【江戸時代小説/男色編】二つ道
今は昔“武士とあらば衆道に通ずるべし”といわれ、武道ゆく者、前髪上げをしたらば念者になり若衆を持つことが一般的であった。
また、若衆は立ち振る舞いから社会の常識まで幅広く様々な事柄を人生の先輩である念者に見習ったという。
ここに一人の男芸者がいた。芸名をお銀、本名を恋情晶といった。まだ幼い七つで奉公のため家を出て都へゆき、そのまま奉公先が江戸に移るときについて行ってから早六年。地元には帰らず、ずっと芸一筋で生きてきた。
そんなお銀を一目見て、渡嘉敷の家の長男がぜひとも義兄弟にと名乗り出た。下の名を直哉といったこの男は代々続く武家の血筋を引いており、芸者のお銀からしてみれば、まったく別の世界にゆくことになる。
晶は、どうせ自分の見目だけを見て気に入ったのだろう、自分がなびかないとわかればすぐ他へ気持ちを移すに違いないと、初めのうちは断っていた。
しかし一年たっても直哉はお銀だけをひいきにし、強引に契りを交わそうとはせず、客として一線は超えてこなかった。
やんわりと外堀を埋められていることを承知しつつも、最近になって、お銀も満更でもなくなってきた。
二年目を迎えたある日、この日も直哉はお銀を指名し、座敷へ呼んだ。
「今日は記念すべき良き日、わたしとお銀が出会って早二年だ。もしもわたしと義兄弟になってもよいと思われるならば、この盃を受けておくれ」
お銀は、この男から次に誘われることがあれば受けようと考えていた。
直哉は実直な優しい人という印象があり、晶はこの人の義弟なら、たとえ芸の世界を手放した自分であっても、また胸を張って武道の世界でもやっていけるだろうと思っていたからだ。
その晩、晶は直哉から盃を受けた。
かくして晶は“お銀”を捨て、武道の道を進み始めた。芸者だった頃に培った忍耐努力、真面目さとひたむきさで立ち振る舞いはすぐに身につけた。社会常識はすでにあったため、武士としての決まり事を覚えるだけだった。
渡嘉敷の屋敷にやってきて、一ヶ月がたとうとしている時のこと。
直哉の従兄弟だという男が屋敷に押しかけてきた。
「あいにく兄者は外出中でして……」
「なんや、見ぃひん顔やな。だれや」
晶は丁寧に一礼し、自己紹介した。
一方、直哉の従兄弟は将哉と名乗り、品定めするように晶を下から上に見て「おまん、直哉んことを“兄者”言うたな。まさか義兄弟いうんと違うやろな」とすごんでみせた。
晶は怖くなったが堂々と頭を下げ、うそをついてもあとでわかることと思い、正直に契りを交した仲だと打ち明けた。
すると将哉は「えらいちんちくりんなやつ選びよったな、あいつ」とわざと晶の耳元で言い、ずかずかと屋敷に上がるなり、奥の間の障子をがっと開き「わては、直哉に話があるんや。あいつが帰ってきよるまでいさせてもらうで」、どかっとその場に座った。
晶は将哉にお茶を出し、直哉が帰るのを将哉と共に待つことにした。
しばらくして直哉が戻り「将哉んと一刻ほど話をするから団子でも食べておいで」と小遣いをよこした。
晶は屋敷を出て団子を食べ帰ってきたところ、ちょうどふたりが座敷を出てきた。
すると直哉がいきなり晶の肩を持ちながら将哉に向かって言った。
「将哉ん、わたしはこいつと契りを交わしたばかりだ。すまん」
晶はいったいなんの話なのかと不安になって直哉を見た。
直哉は菓子をもらった子どものように笑っているばかりであった。
「早いもん勝ちってやつか。しゃぁないな。帰るわ」
晶は将哉と目が合い、失礼にならないよう軽くお礼をした。
将哉が玄関先まで行くのにあとからついて行くと「おまん、筋がええらしいな。うち来て、芸者やらんか」と将哉が誘ってきた。
元の道に戻るなら今、そんな声がどこからか聞こえた気がした。
少し考えて、晶は深々とお辞儀し「芸者は一度捨てた道。ここにきて武道をも捨てては、どっちつかずでなにも身につきません」と断った。
「ほら、こういう真面目さがよいのだ」と直哉は晶の肩をぐいと寄せた。
「惜しいなぁ」と将哉は言って、堺へ帰った。
やっとお帰りになられたと思って、ふぅと息をこぼすと「どっと疲れただろう」と直哉が笑って晶に声をかけた。
晶は「堺のひというのはみな、ああいう感じなのでしょうか」と返す。
「ならば、今度ふたりで堺に確かめに行ってみるか」などと直哉が言うので、晶は「ご冗談を、身が持ちませぬ」と袖を振って笑った。
それからのふたりは、直哉が四十九の年齢でこの世を去るまで共に幸せに暮らし、ひとりになった晶は生涯、武道の精神を学びつつ自由に生きたという。
おわり
※題名の意味:“二つ”二本の・二番目の、“道”道のり・ある特定の分野