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自由への逃走

作者: 泉 羅卯

 リチャードはひたすら走った。熱い息を吐き、雑踏を走り抜けた。人にぶつかっても、構わなかった。とにかく追手を振り切らなくてはならない。それだけを望み、人を押し退け、怪訝そうな顔をする者には「すまん」と声を浴びせながら、人ごみの中を駆け抜けた。

 やがて、追手の姿が消えた。うまく出し抜けた。そう思ったリチャードは、道端にへたり込んだ。

 一週間前、リチャードは突然監禁された。国家機関の手先どもは、それだけでは飽き足らず、常に監視の目を光らせた。しかしリチャードは、一瞬の隙を見逃さず、監禁場所のホテルから逃げ出した。捕まったら、自由を奪われる。それだけはごめんだ。自由を求め、執拗に追ってくる追手たちから、リチャードは必死に逃げた。

 俺は、うまく逃げおおせたのだろうか。立ち上がることのできないまま、リチャードは道の向こうを見やった。誰も来ないようだった。やれやれ。リチャードは大きく溜め息をついた。そうした途端、疲れがどっと押し寄せ、そのまま道に身を横たえた。

 そうしていると、不意に、声が降りかかった。

「あのう……」

 リチャードが見上げると、若い女性が身を屈め、彼を覗き込んでいた。

「具合でも、悪いのですか?」

 女性が訊いた。訊かれて、リチャードはうろたえた。事情をすっかり話すわけにはいかないので、

「走ったら、ちょっと息が上がってしまって……」

 ごほ、ごほ、と咳き込んで、リチャードは立ち上がった。

 立ち上がると、眩暈がした。リチャードはよろめいた。

 そんなリチャードを、女性が支えてくれた。その瞬間、いい香りを感じた。女性の顔がすぐ近くにあることにもどぎまぎし、

「ありがとう」

 そう言ってから、リチャードは顔を横に向けた。が、そんな態度は失礼だろうと思い直し、再び女性に顔を向けると、

「もう、大丈夫……」と、言いかけた。

 ところが、女性に顔を向けた途端、急にまた、息が苦しくなった。リチャードは幾度も咳き込んだ。

 リチャードが苦しそうに咳き込んでも、女性は顔を背けなかった。心配そうな顔をリチャードに向けたまま、

「少し休んだ方がいいわ。よかったら、うちにいらっしゃいな」

 優しく微笑みながら、女性は言った。

 リチャードは女性の言葉に従った。身を隠すには丁度いいと思った。それに、少しの間だけでも身体を休めたいと思った。

 女性の家には、女性の両親だけでなく、かなり高齢と思われる、祖父と祖母もいた。

 リチャードは彼らに歓待された。リチャードはうれしく思った。こんなにも温かい気持ちになったのはいつ以来だろう。国家機関に追われていることも忘れ、リチャードはくつろいだ。自分のおじいちゃんやおばあちゃんのことを思い出したリチャードは、女性の祖父母と長い間話し込んだ。

 食事も一緒にとった。女性の父親は、糖尿病を気にしていた。デザートのケーキが出されると、自分の分をリチャードにすすめた。リチャードはそのケーキを半分食べた。そして、半分は傍らの祖父にすすめた。喜ぶ祖父の顔を見て、リチャードは家族団欒の幸せを存分に味わった。いつまでもここにいたい。そんなことすら、思い始めた。

 しかし、幸せに浸ることができたのは、翌朝までだった。近隣の者が密告したのだろうか、朝早く、国家機関の者が家に押し入って来た。

「リチャードさん……」

 押し入って来た者たちの一人が、「困りますね」と言った。

 リチャードは項垂れた。もはやこれまでだ。絶望感に打ちひしがれた。またあそこに押し込められるのか。あの狭い部屋で、俺は……。

 リチャードを助けてくれた女性が、見かねて言った。

「この人は……」国家機関の者たちの一人に、「何をしたんですか?」

 問われた男が、困った顔をした。しばらく黙ったまま、女性の顔を見つめた。が、やがて、思いきったように、

「この方は、新型コロナウイルスに感染してるんです。療養施設から逃げ出したんですよ」

 そして、目を丸くする女性に向かって、申し訳なさそうに、

「あなたたちご一家も、一緒に来てください。濃厚接触者として、検査を受けていただかなくてはなりません」


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