第2話 奴隷少女との朝食
「おはようございます。トール様」
誰だ?
知らない少女が俺の部屋の入口に立っていた。
少女は美しく、思わず見入ってしまう。
混乱する頭の中、俺はようやく気付く。
彼女は俺の奴隷の森妖精だ。
しかし、なぜ彼女のことを知らないと、などと思ったのか。
「朝食の用意ができましたので、お呼びに参りました」
考え事をしていると、彼女は無表情かつ淡々とした口調で告げた。
そうだ、これは今日に限ったことではなく、毎朝のことではないか。
「あ、ああ、ありがとう。すぐ行くよ」
そう言ったとき、今まで無表情だった彼女の眉が動いたような気がした。
◇
テーブルに着くと乳の粥と穀物のパン、ハム肉に似た料理が用意されていた。
俺は食事に手をつけながらふと思った。
先程、彼女に抱いた感覚は前世の記憶を思い出した影響なのではないのかと。
言うなれば俺は彼女の美しさに新鮮さを覚えていた。
逆に今までなんとも思わなかったことが不思議なくらいに。
つまり、それは俺自身の精神性が変化したということだ。
しかし、今朝、重大な記憶を取り戻したばかりなはずなのに違和感はない。
むしろ、今はとても当たり前のことのように受け入れている。
そして現在、現代人の価値観を得たことで困っていることがある。
それは彼女の存在だ。
部屋の隅に立つ森妖精の少女が俺の食事を見ているのが非常に気になる。
今まで俺はどうしていたんだっけ。
どうしても、気まずい沈黙を感じてしまう。
「なあ、お前はもう食事を食べたのか?」
苦しくて会話を投げてみる。
しかし――
「はい」
短い返答で会話は途切れる。
そのせいか、さっきよりも重い沈黙を感じてしまう。
かなり、気まずい。
しかし、改めて考えてみると今まで彼女とまともに会話という会話をしたことがなかった。
そこで、俺はある重大な事実に気付く。
(俺、この娘の名前知らなくね?)
――という事実に。
いやいやいや、ありえるか?
今まで世話してもらった相手の名前を知らないとか。
しかし、いくら思い起こしても名前は出てこない。
聞くのか名前を?
いくらなんでも失礼すぎないか?
そういえば俺は今までおい、とかお前、とかで呼んでいたし、会話も最低限で事務的なことだけだった。
だが、さすがにこれはまずい。
……仕方ないか。
「お、おい。お前は俺に仕えてどれくらいになる?」
いきなり聞くのは怖いのでまずは外堀から埋める。
情けない話だが彼女がどのくらい前からいるのかさえ俺には曖昧だった。
質問がくるとは思っていなかったのか、彼女は少し驚いた後すぐ表情を戻した。
「はい。初めてご主人様にお仕えしてから3年ほどが経っているかと思います。」
真面目な気質なのだろう。
彼女の言葉使いや所作からそんな印象を受けた。
驚くことにこの世界の暦は月の呼び方が異なるだけでグレゴリウス暦とほぼ同じであった。
しかし、3年か。
長いといえば長い。
それを聞いて俺は思い出した。
彼女は俺が大将首を討ち取った褒美として奴隷の中から選んだのだ。
なぜ、彼女を選んだのかというと森妖精は長命ですぐ死ぬことはないだろうと考えたからだ。
我ながら呆れる理由だ。
以前の俺は彼女を飯を用意し、掃除をする存在という程度にしか思っていなかったのだ。
しかし、記憶を取り戻した今では奴隷という言葉にも抵抗を感じる。
「日々の仕事は辛くはないか?」
この集落での奴隷の暮らしが楽ではないのはわかっている。
だが、聞かずにはいられなかった。
しかし、彼女は
「はい、辛くはありません。ご主人様のおかげで不自由ない生活を送らせてもらっています」
アースガルドの奴隷階級は個人の所有する私有奴隷と集落全体の公共財産としての公有奴隷に分けられる。
彼女は俺の私有奴隷だ。
しかし、奴隷と言っても現代日本人がイメージするような鎖に繋がれ、鞭を打たれて強制労働、というわけではない。
むしろ、そのあり方は前の世界の古代の奴隷制に近い。
結婚や職業などに制限はあるものの、財産権は認められている。
また、奴隷に対する不当な暴力を禁止する法や風潮も存在する。
奴隷は主人の財産であるため不当な扱いは主人の品格を貶めることだとされているのだ。
「そうか……ところで」
俺はいったん間を置き、覚悟を決める。
「改めて、お前の名前を聞かせてくれないか?」
「……?」
少女はポカンとした顔をしたように見えた。
自分でも間抜けな質問だと思う。
なにせ3年も奉仕してきた主人が自分の名前を覚えていないのだから。
「し、失礼しました。私の名前はシルフィア・ウィンダールといいます」
彼女、シルフィアはそれでも丁寧に答える。
風をイメージさせるような語感、それが俺に3年間仕えてくれた者の名であった。
「そうか……良い、名前だ、な。いやな、お前に改めて名前を尋ねたのは訳があるんだ」
なんとか言い訳を探す。
仮にも主人として仕者の名前を覚えてなかった、というの恥ずかしすぎる。
「……褒美、そうだ、褒美、いや贈り物をするために名前を尋ねたのだ。3年も仕えてくれたお前に礼がしたくてな」
我ながら咄嗟で苦しい言い訳だが、同時に悪くないアイディアだと思った。
日頃の感謝を伝えるという点でプレゼントは良い手だと思う。
例えば、名前入りのアクセサリーとかはどうだろうか?
これなら名前を聞いたことも不自然ではないし、彼女の好感度も上がるのではないか?
「い、いえ、私はすでにご主人様のおかげで暮らしている身です。これ以上、何かを受け取るなど滅相もございません」
「そうか?しかし、シルフィア、良き主人は良い働きをした従者に礼を欠かさないものだと聞く。ここは素直に受けり、俺に主人らしいことをさせろ」
「しかし、……いえ、かしこまりました。有り難く頂戴させていただきます」
遠慮するシルフィアを俺の酒が飲めないのか理論で納得させる。
上下関係特有の強引なやり方は心が痛むが仕方ない。
「決まりだな。贈り物は首飾りにしようと考えている。素材の色や形など好みはあるか?」
「ご主人様のくださる物であればどのような物でも嬉しく思います」
なんとなく、そう答えるような気がしていた。
それに、今のはこっちの質問の仕方も悪かった。
しかし、これまでの会話で彼女の性格は分かってきたような気がする。
「そうか、ならこちらで勝手に決めさせてもらう。楽しみに待っているといい」
そう言うとシルフィアがまた困ったような顔をした。
なんだろうか。
さっきから俺が喋ると彼女の無表情に変化があるような。
何か気になる事でもあるのか?
「あ、あの、質問をお許しいただけないでしょうか?」
少し緊張したようにシルフィアが問う。
「ああ。構わない。なんだ?」
「失礼ですが、今日のトール様は普段とは様子が異なるように思います。何かあったのでしょうか?」
なるほど。
つまり、彼女が気にしていることは俺がヘンだということだ。
そして、それは当然の反応だろう。
今まで全く自分を顧みない男がある朝より急に話しかけてきたのだから。
しかし、前世の記憶が蘇ったからと言っても頭を疑われるだけだと思うのでここは――
「そうだな。少し、考えを改めたんだ。戦いのことばかり考えていたがそれ以外のことにも目を向けるべきなのではないのか、と」
「……そうなのですか。答えていただきありがとうございます」
シルフィアは頭を下げる。
彼女はおそらく、考えを改めたその理由を聞きたかったのだろう。
しかし、この場はこれでいい。
そして、これから方針は決まった。
まずは首飾りの材料集めだ。
「俺はこれから出かける留守を頼む」
そう言って、俺は朝食を済ませると、従者への贈り物のため鉱山へと向かう準備にとりかかった。
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