君を守りたかった英雄
消えゆく世界は、どこまでも透明で緩やかだった。
不意に、脳裏に閉じ込めていた記憶が溢れかえる。
幼い頃――とはいっても七歳からはハッキリと記憶しているが――の記憶はないが、それでも一つ確かなことがある。
きっと自分はあの少女に出会った瞬間一目惚れしてしまっただなと、そう確かに魂が確信していた。
思い返せば記憶の片隅にはいつもメイルの姿があった。。
笑った顔、はにかむ顔、拗ねたような顔、怒りに満ちた顔、涙だらけの顔、愛しむような顔、はにかんだ顔。
きっとその全てがどんなモノにも代えがたい宝物だったんだろう。
レギウルスには彼女の悲しむような顔が嫌いだった。
きっと、メイルには微笑んだ顔が似合う。
その笑顔を脳裏に焼き付けるためには、二度とメイルを悲しませないような、そんなヒーローにならなければいけなかった。
そしてその誓いは数十年が経った今でも遜色ない――否、より強固となっているのだろう。
今やレギウルスはかつてと比べ物にならないほどの力を身に着け、『傲慢の英雄』として名を馳せてきた。
きっと、一人じゃここまで行けなかったのだろう。
二人で共に寄り添っていたからこそ、今の自分が自分であれた。
でも、最後の最後でこれか。
もうほとんど機能しなくなった瞼には、泣き叫ぶような悲哀に満ちた表情のメイルが呆然と自分を凝視していた。
「――嫌だなぁ」
嫌だ。
このまま自分の思い一つ伝えることができずにサヨナラなんて、絶対に嫌だ。
だがもう既に運命は決定している。
それを覆すことは、一介の人間という矮小な生物であるレギウルスには不可能だろう。
死の覚悟はとっくの昔に済ませている。
だが、それでもメイルのこんな顔を見たくはなかった。
だから――、
「――笑え、メイル」
「――ぁ」
たった一言、死力を尽くして呟くことができた。
レギウルスは最後、小さく微笑み、そして世界から消失した。
「――逃げたか」
少年――アキラは一人呟く。
『傲慢の英雄』が消えた瞬間、おそらく逃走用アーティファクトでも使ったのかもう一人の少女の気配が消え去った。
余程優秀なアーティファクトらしく、アキラであってもその気配を追うことは中々困難を極めるであろう。
「……無事か?」
「ん? 無事無事。 この通り、色々と穴ぽこ空いてるけど一応は生きてるよ」
「そうか……」
実に複雑そうな眼差しでガバルドがアキラを一瞥する。
先刻見せたアキラの余りに無機質な表情が脳裏をよぎる。
あれが、人間が浮かべられる表情なのだろうか。
「お前は、一体……」
「ただの雇われ傭兵さ。 それだけだ。 それだけ」
「――――」
言外に何も聞くなと言われ、思わず口をつぐむ。
ガバルドは帝国制圧など様々な功績により騎士へ任命され、今やその団長だ。
それ故に情報収集能力もそれなりにあるわけで、アキラの経歴も調べつくしたが――何もなかった。
どんなに資料を漁っても「スズシロ・アキラ」の名はなく、また同時に安吾や月彦などの経歴も存在しなかった。
これは突如としてやってきたあの存在と実によく似ている。
それが何を示すのか、ガバルドにはまだ理解できなかったが、それでも何かが起こってしまうことを漠然と理解した。
「――それで、戦局は?」
「どっちかというとウチら優勢。 幹部連中のうち一人は取り逃がしたけど、二名はとりあえず殺したよ」
「なら、この防衛線。 私たちの勝利でいいのか?」
「――さてね」
アキラはガバルドへ振り返り、そう妖しく嗤ったのだった。
暗闇に閉ざされた洞窟に、凄まじい魔力の奔流が荒れ狂う。
大地は揺れ、世界が軋み、そこら一帯の生物の命を蝕んでいく。
「――――」
そして、大岩が凄まじい勢いで爆砕した。
吹き飛ばされた大地は猛烈な勢いで洞窟を抉り、今にも崩落しそうになるなか、男の表情はどこまでも晴れやかだった。
だが、その瞳はどこまでも濁り切っている。
その身に狂気を宿しながら、必死に悲願が叶ったこの瞬間を狂喜乱舞する。
不意に、黒ローブを深く被った男が深く跪く。
刹那、猛烈な瘴気が洞窟を支配した。
その瘴気は魔力の流れを狂わせ、周囲を圧倒的な狂気で満たしていく。
だが既にどうしようもない狂気に呑まれてしまっている男にとって、それは何の痛痒にもならなかった。
「――何者だ」
洞窟に声が響く。
男か女か、高いのか低いのか、上から下からかのか、左か右なのか、その全てが、不鮮明であった。
だが、男に躊躇いはない。
「――世界の、終焉を望む者」
「――――」
「それが私たち――『亡霊鬼』でございます』
そして、世界に未曽有の厄災が解き放たれた。




