青年の終わりと少女の始まり
我ながらやりすぎたとは思っている。
しかしながら後悔と反省は毛ほどにも抱いておりません。 罵ってください
「――――」
何かが、呟かれたような気がした。
刹那、何かが世界から弾け飛ぶ。
――消えた
メイルにはそうただ漠然と悟ることしか叶わなかったのである。
「――ぇ?」
無い。
メイルが何度確認してもつい数秒前までアキラの寝首を掻こうとしていた爪がまるで最初からなかったかのように、否、そもそもそんなモノ存在しなかったのだ。
本来存在したモノが、たった一言によって消え去る。
まさに――魔法。
ペテン師ですら目を剥くような、そんな手管だ。
そもそもメイルに龍の如き鋭利な爪など存在しないのだ。
そうと脳が理解していながらもこの違和感を拭い去ることは叶わない。
そして――、
「――そうか。 運が良かったな」
やけに無感動的な声が響いた。
刹那、咄嗟に構えた腕が張り裂けそうなほどの殴打と連続して強烈な蹴りがメイルの腸目掛けて炸裂する。
巨人族の膂力すらも優に上回る一撃を真面に喰らい、盛大に吹き飛ぶメイルと咄嗟にレギウルスがキャッチする。
「……お前、何をした!」
脳は、アキラがただ打撃を放っただけだと理解していながらも、魂がけたましく警鐘を打ち鳴らす。
滝のように冷や汗を流しながら、険しい剣幕でそう問う。
返答は実にシンプルだった。
「――消した」
「……はっ?」
「つい数秒前お前らが認識していた存在を消した。 ただそれだけだ」
「――――」
言葉が、見つからない。
存在の否定。
アキラの言葉を要約するとその結論に達することとなる。
そしてそれと同時に胸をくすぶっていた違和感の正体にようやく気が付いた。
世界が忘れていたメイルの「爪」の存在、それを忘れることを、魂が本能的に拒んでいたのかもしれない。
そしてようやくアキラの異変にも気が付く。
何も感じない。
今まではまだどこか欠落しているがそれでもちゃんとした人間味が確かにあったはずなのに、今はそれすらない。
ただ、無機質で空虚な眼差しを二人へ向けている。
これが、人間だというのか。
虚ろな瞳に何かを宿し、まるで機械、否機械ですら上回るような空虚なこの男を、果たして世界は人間だと呼ぶのだろうか。
ようやく、レギウルスは己が龍の逆鱗に触れてしまったことを察する。
それと同時に、己の死も。
存在の否定なんて、どれだけ魔力を込めようが防げないだろうし、そもそもその範囲がどれ程なのかすらも不明だ。
存在さえも否定されれば、どのように紅血刀を使おうが無意味だろう。
絶対致死の魔術を自由自在に繰り出す相手にこの情報量は、余りに絶望的。
「――さぁ。 己を不甲斐なさに歯噛みしろ。 終わりを噛み締めろ。 世界を憎め」
絶望の歯車は、もう既にどうしようもなく揃っていたのだ。
アキラが掌をかかげると、黒色の球体がどこからか出現する。
理性が、本能が、魂が逃げろと叫んでいる。
だが、この少年相手に二人同時に逃げ切ることは到底不可能であるだろう。
最も合理的なプランは、誰か一人を囮にしもう一方が逃走する。
――ザクッ、ザクッ
静かに、されど確かに足音がこちらゆっくりと、まるで恐怖を煽るかのように近づいてくるのが感じられる。
「――レギ、逃げて」
「……まさか死の間際に、こうも意見が食い違うとはな。 ――お前こそ逃げろ。 ただえさえ逃走なんて恥なんだ。 それに――お前に、恥ずかしい姿は見せたくないからな。 だから、逃げろよ。 そして、俺の分まで生きてくれ。 頼む」
何故、ここまでレギウルスが強くあれたか。
それはたった一人の少女を守り切るため、なんていう思わず笑ってしまいそうな、だが一人の青年にとっては命よりも大事な誓いだ。
これを破るわけには、絶対にいけない。
青年は少女に生きろ、そうただ言った。
だからこそ少女は――その手を振り払う。
「メイルは、死にたくないのだ。 ――それでもレギに生きて欲しい。 でも、それすらも叶わないというのなら――せめて、一緒に死のう?」
「――――」
「世界が、私たちを忘れたって構わない。 ――だって、私たちは私たちを憶えているのだから」
「――ッ。 お前って奴は……!」
青年は、堪えていた涙腺がついに決壊し、それでもなおなけなしの力で強く、強くメイルを抱きしめる。
二度と、離れないように。
レギウルスのように強くあれなくてもいい。
ただ、彼が傍に寄り添ってくれるだけで救われたんだ。
今までも、これからも。
「――遺言は、済んだか?」
「あぁ。 ――もう、悔いはない」
「そうか」
無感動に二人を見下ろし――一気に黒玉が集束し、そして膨張する。
死は目前。
レギウルスはすべてを否定するエネルギーの塊が二人へと衝突する寸前、強くメイルを抱きしめ――その背を押した。
「――ぇ?」
「――メイル」
黒玉に押し潰される直前、レギウルスは万感の思いをその言葉に宿し、花が咲くような笑みを見せた。
「――生きてくれ」
刹那、黒玉が『傲慢の英雄』を否定した。
「――術式改変・【天衣無縫】】




