銀嶺世界の終焉
テレビのコマーシャルにP丸様が出てて思わず吹き出してしもうた
――声を聞いた。
「――誰かぁ!」
「――――」
『助けて、助けて』、と。
ひたすら理性なき獣のように生に縋るその姿は、どこまでも真実だった。
――きっと、嬉しかったんだろう。
嘘なんて何一つない、人間、否、生物本来の魂の叫びが。
――気が付けば、現場に駆け込んでいた。
「――遅いなぁ」
ただ漠然とそんなくだらない感情が飽和する。
世界がスローモーションになり、つい先ほど道端で拾ったガラスの破片を片手に、滑り込むように彼は割って入った。
声が聞こえ、駆け付けた路地裏には二人の人間がいた。
ナイフを逆手に、存在そのものが「武」という概念を侮辱しているような存在と、もう一人、崩れ落ちる女性。
おそらく、金目当ての襲撃か。
もしくは女性の容姿や年齢からして体目当てか?
否、どうでもいいこと。
なんせその未来は永遠に訪れることのないのだから。
「――ぁっ」
「――――」
血飛沫が、舞っていた。
握りしめたガラスの破片が一閃され、大男の寝首を頸動脈ごと裂く。
そしてそのまま、何ら躊躇することなく空中で大男を蹴り上げた。
何の冗談か面白い程吹き飛び、小さく痙攣する。
それもほんの数秒だけで、やがて「静か」になった。
――元々、才能があったんだろう。
ガバルドも一端の放浪者。
それなりに体も鍛えているので、一般人程度なら数秒で瞬殺できる。
だが、この大男は明らかに手練れ。
それをたった一突きで殺すその手腕は、まさに死神のようだった。
「――――」
おそらく、初めて人死を見たのだろう。
愕然と目を見開き、絶命した大男を凝視する女性。
それを一瞥したガバルドの心中に溢れ出した感情は、困惑だった。
何故、あの少女は「人助けをしろ」と言ったのか。
こんなことをしてもガバルドには何の利益も無いはずだ。
もしかして、誑かされたのだろうか。
――否。
あの少女の顔は、確かにどこかふざけているようではあったが、心の声を聞くと一語一句間違っていなかった。
ならば、何故?
困惑し、しばし熟考しようとするガバルドへ、女性が声をかけた。
「あ、あのっ」
「?」
何か言葉を探すよう間を置き、女性は言葉を紡ぐ。
――その一言が、ガバルドの転機となることも知らずに。
「――ありがとうございますっ!」
「――ぁ」
それは、余りに至極当然不文律のマナーだった。
悪いと思えば誤り、助力を得れば感謝の意を伝える。
だが、一体どれだけの者がその言葉を本心から紡いでいるのだろうか。
女性の魂を探る、嘘はない。
――何故、自分は、こうも当然のことに驚愕しているのだろう。
否、それでは少々言葉足らずだ。
――歓喜。
それが今ガバルドの心中を飽和する感情であった。
それから数十年。
彼は、大手多数の人間が、戦場では己を曝け出すことを知った。
幾多もの戦場を経験し、そして刃を振るったガバルドだからこそ分かる。
その数十年は駆け抜けるようにあまりに呆気なく、濃密だった。
だが、激変の数十年間の中で、一つだけ変わらない理屈があった。
――人を助ければ感謝される。
それに気が付けた時、ようやく彼は自分に備わった「耳」が呪いなんかじゃないことに気がついていた。
そして英雄は、今日も戦場と『声』を求めて彷徨い続ける。
――雪が、降っていた。
どういうわけか、超常の現象の安売りにより、物理法則までもハリボテとなっているようだ。
雪が積もり、荒れ果てた大地を白く染める。
吐息も白く濁り、氷点下の世界が広がっていた。
そんな銀嶺の世界に、鮮血が舞う。
「――ぁ」
終わりは、余りに呆気なかった。
スケートスタイルによって何度も何度も加速されたガバルドは、超常的な剣の冴えでジューズの胴体を真っ二つに両断する。
そして振り返りざまに、もう一閃。
反射的に展開されたであろう電撃ごとジューズの体に真っ赤な一文字が刻まれ、口元から大量に吐血する。
零れ落ちる鮮血が真っ白な大地を赤く染める。
「――私の、勝ちだ」
「どうやら、ここまでのようだな」
何かが崩れ落ちる音が背後に聞こえる。
振り返るまでもなく、ガバルドはこびりついた血を払い、静かに納刀する。
「――遺言を、聞こうか」
「あら、優しいこと」
「これでも、十数年の付き合いだからな」
「なら一言。 ――愛している」
「ハッ。 今更だな」
唐突に囁かれた愛を俺は鼻で笑う。
これほど滑稽な愛があってたまるか。
――だが、死ぬ前に一つ。
「――一つ、聞いていいか?」
「なんでも」
「あの路地裏で崩れ落ちたあの女性――お前だな?」
「――――」
無言は、肯定の証。
ジューズは何かを悟ったようにそっと目を閉じた。
「気づいたのね」
「そりゃあそうだ。 なんせ、あれが人生の転機だからな。 忘れるわけねぇだろうが」
「それは、嬉しことね」
段々とジューズの声が細く掠れている。
終わりが、死神が近づいている証拠だ。
俺は瞑目し――言葉を紡ぐ。
「ジューズ」
「――――」
「ありがとな」
「――ぁ」
それは、かつてガバルドにジューズがかけた言葉だった。
理解し、ジューズは瞳から一筋の涙粒を流す。
そして、
「――こちらこそ」
そう言い残し、安らかな顔で静かに息を引き取ったのであった。




