それぞれの終局
「――――」
ああ、あれはいつの日だろう。
優し気な彼が――お兄ちゃんがおかしそうに笑ってる。その笑顔は子供のように無邪気で、私もつられて笑ってしまったんだった。
その時お兄ちゃんとどんな会話をしたのかは覚えてない。
だけど胸の中を満たしていたあの暖かい感情は、今でもよく覚えている。
「……これは?」
「見て分からないほど耄碌してるとは思えないけど」
スピカはぴくりとも表情を変えず、自分の眉間に突きつけられたライムの細い指先を一瞥する。
魔術の発動条件は二つだ。詠唱と、思念。
ライムの場合は後者だ。
卓越したセンスと膨大な魔力量で無詠唱の欠点である火力不足を補ったライムの魔法ならば抵抗の余地なくスピカを灰も残さず焼却できるだろう。
つまりこの状況でスピカの命はライムに握られている。
後は引き金を引けば容易く離反者を始末できる。
その状況下でもスピカは一切動揺せず、先程彼が言った言葉が混乱や酔狂ではないことをライムに痛感させた。
「この程度では止まりませんよ。殺意を、我が身を焼くほどの殺意でなければ何も成せなさい」
「私にそれが無いって言いたいの?」
「いえ、貴女は必要に迫られれば必ず殺意を手に持つ。――貴女がぼくを殺せないのは、貴女が迷っているからです。貴女も今の彼の様子に疑問を抱いているのでしょ? あんな人がお兄ちゃんな訳がないと」
「……うるさい」
否定は、しない。
ただ嫌々とライムは耳を塞ぐ子供のように、かすれた声を絞り出す。
「別に、ぼくは貴女の在り方を否定したいわけじゃありません。ただ、今の貴女では敵としてぼくと対峙した時その役割を全うできずに死ぬでしょうね」
「私が、あんたに? 笑わせる」
「何なら試してみせましょうか?」
ほんの一瞬。
わずかな意識の綻びを突いてスピカはライムの視界から消え去り、今度は逆に彼女の首筋に鋭利な刀をかざす。
後少し腕を動かせばライムの首は飛ぶ。
瞬きにも満たない刹那で二人の立場はまったく逆のものになった。
「…………っ」
「やはり、弱くなってますね。魔術は術者の感情に大きく左右される側面がある。つまりはそういうことでしょうね」
分かったような口を。
そうがなりたくなるが、こうして情けなく無力化した時点で負け犬の遠吠えでしかないとライムは内心で舌打ちした。
「あんたは逆にそこまでして彼を殺したいのね……!」
「ええ、あの人はもうあの人ではない。これ以上あの人の物語を汚すなら、いっそぼくが幕を下ろした方がいい」
「身勝手ね」
「そうかもしれません」
淡々とそう返された。
もはやスピカの意思は易々と動くものではない。
どれだけ言葉を尽くしても無駄――なら。
「……勘違いしないでよ。私はあくまであんたを監視するだけだから。殺せる機会があったら、躊躇なく殺す」
「ええ、どうぞご自由に」
「それに――」
刀を鞘に納めるスピカにライムは釘を刺す。
「私はお兄ちゃんを殺したりしない」
「ほう」
「私は、私なりの方法でケリをつける」
あんたは邪魔をするなよ。
そう獣のような形相で睨み上げるライムに、スピカはくすっと笑って「べーっ」と意思表示した。
「けほっ……けほっ」
煙臭い。
ハイトは思わず咳き込んだ。
周囲は先程の一閃の余波で派手に倒壊しており、瓦礫がそこら中に転がっている。土煙が舞う中、ハイトはある方向を睨んだ。
そこにはついさっきまでレギウルスが立っていた――。
――殺気。
「――ッッ‼ まだ立つか‼」
「ああああああッッ‼‼」
背後からの凄まじい殺気を感じて、ハイトはその場から離れる。
振り返るとそこに居たのは――亡霊だった。
右腕と胴の一部が先刻の一撃で食い破られ、決して無視できない量の血を流しているはず。
なのにレギウルスは立っていた。
どころか執念深くハイトを殺そうと残った左腕を振るう。
「そうまでして俺に勝ちたいか、亡霊!」
「――――!!」
返事代わりの咆哮。
体の大部分を失ってもなお、レギウルスの動きには鋭さがあった。
否――更に加速しているのだ。
命の危機に瀕し、半ば地獄に片足を突っ込んでいる現状が本能を刺激し、彼の潜在能力を引き出す。
ハイトの剣が縦横無尽に変形するが、レギウルスはそのすべてを山勘で回避。
そのままハイトの間合いに潜り込んだ。
「ははっ!!」
ハイトは笑った。
「剣」は中距離でこそ真髄を発揮する。
この距離ではかえって邪魔だ。ハイトは剣を手放し肉弾戦に切り替える。
レギウルスが拳を振るう。
彼の人間離れした腕力から放たれるこの一撃を正面から食らえばハイトでは一瞬で肉塊になってしまう。
ハイトはレギウルスの拳を受け流し、更にがら空きの足に蹴りを加えた。
バランスを崩し、転倒しかけるレギウルスにハイトは大きく踏み込んだ。
そして――一撃。
「これで分かっただろ――貴様では俺に勝てない」
「……そーかもな」
血反吐を吐き、力なくそう応じるレギウルス。
ただ……その顔は笑っていた。
「はっ!?」
レギウルスは最後の力を振り絞り、再びハイトの間合いに入る。
大振りの拳。
なんだ、またかとハイトは受け流そうとするが……その拳が直前で止まった。
フェイント。目を見開くハイトの一瞬の隙を突いて――レギウルスはハイトの端正な顔に噛み付いた。
「あ、がっ」
噛む、噛む、噛む、噛む、噛む。
どれだけ殴られても、斬られても、命の灯が尽きようとも、執念だけでハイトを殺そうとする。
(亡霊!? そんなチンケな存在じゃない、これはもっと悍ましい――)
血が洪水のように垂れて、混じり合う。
人が倒れる鈍い音が響いた。
そこから起き上がる者はなく、沢山の瓦礫はまるで彼等の墓標のようだった。




