振る抜かれる一閃
天地が、逆転したようだった。
否。
仮にそうなったとしても、きっとこれほどまでに驚嘆というありきたりな感情に呑まれることはなかっただろう。
これまで、吐き気がするほど『死』に見慣れていた。
屍の山こそ、レギウルス・メイカの日常だったのだ。
ならば何故、ここで四肢が震える。
何故激烈な眩暈が世界を激震させ、これ以上なく魂が揺らめいてしまっているのだろうか、理解できない。
だが、もはやそんな感傷に浸る猶予さえ、無い。
「チッ! レギウルスさん、この女は私が受け持ちます!」
「――?」
舌打ちするメイセへ理解が追いつかない。
だが、百聞は一見に如かずとは正にこのこと。
次の瞬間レギウルス・メイカは何故こうも『賢者』たるメイセが焦燥感をあらわにしているのか理解させられた。
――雪崩のように、『それ』は殺到する。
「ア”ァ!?」
「……『賢者』は避けましたか」
ふと、耳元へ滑り込んだのはそんな無機質なな声音。
目を剥くレギウルスははんば反射的にそれまで鞘に納められていた愛刀『紅血刀』を抜刀し、構える。
その青年は色素の抜け落ちた頭髪を揺らめかせながら、切っ先を『賢者』へ向ける。
「――まずは、『賢者』から」
「――! 『剣聖』!?」
予想だにしていなかった男が突如として顔を覗かせた事実に、今度こそ完璧にレギウルスは驚愕に支配される。
「――黒式二号・『黒閃』ッ!!」
「……片腕一本程度の代償で、良くもこれほどの代物をっ」
刹那、世界が割れる。
それまで『剣』により構築されたゴーレムの頭部に居座っていた『剣聖』は、軽やかに跳躍し、離脱する。
次の瞬間、鋭利なゴーレムは膾のように切り刻まれる。
それに、一切の抵抗は皆無。
一応は最高練度の鉄鋼が併用されているのだが、どうやらメイセの十八番たる空間割断魔術の前には無力だったようだ。
もっとも、
「――『剣』に、際限はありませんよ」
「っ……!」
『剣聖』は、自己犠牲を厭わない。
それは性格云々の話ではなく、『そういう風』に脳細胞が弄られてしまったが故の、機械的な思考回路が起因している。
彼の魔術は行使する度に堪えがたい激痛が苛むだろう。
流血もまた然り。
断じて、無視できる品物ではない筈。
だが、『剣聖』にとってそれは児戯ですらないのだ。
必要不可欠な損害。
それを以て本懐を果たすことができるのならば、もはやハイトにそれを躊躇する必然性など皆無などである。
「ああ、クソっ!」
「レギウルスさん……大丈夫ですか?」
「ハッ!」
レギウルスは声を荒げながら、迫りくる『剣』の津波、あるいは剣人形をその常軌を逸した膂力を以て破砕する。
その獅子奮迅の活躍につい先刻の陰りは感じられない。
だが、それこそが異常なのだ。
精神面的な意味合いで懸念するメイセへ、レギウルスは目を剣呑に細める。
「正直、クソみてぇな気分だ。――だが、これ以上死人を出すわけにもいかねえ。冷静な判断だろ?」
「……優しく採点して60点です」
「微妙!」
レギウルスとて、軽口を交わさなければすぐさま瓦解してしまう程に不安定な心境であるのだろう。
故に、ここは冗談めかしてあげよう。
だが、直後にメイセは目を丸くさせられることとなる。
由縁は、眼前の青年――。
「余裕ですね」
「――ッ!」
気づけば、目と鼻の先だ。
メイセは冷や汗を滝のように流しながら、それでもなお決して諦観することなく、簡易の空間障壁を展開する。
その度に臓腑が抉れるような激痛が神経を侵すが、無視だ。
この程度で日和っていれば、どこにもいけやしない。
「――ッ!」
「ほう……」
あくまでもメイセが張った結界は簡易でしかないので、ただただ剣という一要素に人生を捧げた『剣聖』相手には愚策だ。
空間遮断による絶対防壁さえも真面に効能を及ぼさなくなってしまっている。
故に。
「――レギウルス!」
「あいよ!」
「――――」
結界が崩壊する、そのコンマ三秒前。
神速の勢いで肉薄したレギウルスは、途轍もなく壮絶な剣速の斬撃をハイトの脊椎めがけて繰り出す。
無論、ハイトとてその露骨な殺意を見過ごす筈がない。
「――『流辻』」
「あぁ!?」
流す。
それまではまだいいのだが、問題はあらぬ方向へ捻じ曲げられてしまった軌跡が撫でるであろう射線上にメイセが存在していることだ。
つくづく、やってくれる。
このような戦局でも一切冷静さを喪失しないその手腕こそ、彼が『剣聖』たる由縁なのだろう。
レギウルスは手元の魔力を集中させることにより特段強化された膂力を以て、その軌道を変更する。
(やられっぱなしっていうのも、癪に障るな……!)
強引に遺脱された軌道。
本来ならば決定的な隙にしかならないそれであったが、レギウルスは卓越した技巧を以てそれを次撃に繋げる。
レギウルスは独楽のように遠心力を併用し回転し、ハイトへ激烈な斬撃を加える。
「――遅い」
「っ」
だが、ハイトはそれを受け流し、そしてそのまま一切勢いを押し殺すこともなくレギウルスの手首へと切っ先を向ける。
(……! 狙いは『紅血刀』かっ)
幾らレギウルスとはいえども、腕を断絶されては『紅血刀』を永劫力強く握ってしまえることはできない。
だが、レギウルスの戦歴を舐めないで欲しい。
『紅血刀』を握ってから、こんな展開腐るほど味わった。
今更、驚愕もない。
レギウルスは右腕に握られた『紅血刀』で迫りくるその刀剣を迎撃しようとしたその時――凝然と目を見開く。
「――慢心」
「おいおい……!?」
直後――刀身が伸長する。
それこそレギウルスでさえも目視が困難な程の速力で伸びたその刀身は、容易くレギウルスの手首を切り裂く。
ハイトは、どこか自慢げに宙をくるくると舞うレギウルスの右腕をキャッチする。
「さて……これでまた一歩、追い詰めましたよ」
「……!」
実際のところ、それ自体はなんら問題はない。
『紅血刀』の治癒能力はそもそも一本でも十二分に事足りるのだが……だが、それでも一本簒奪されてしまった。
仮に、最後に一本が強奪されてしまえば、それこそ詰みだ。
その事実は強くレギウルスを押し潰し――。
「――レギウルス!」
「……っ」
強張った頬を、ぶたれたような衝撃を受ける。
由縁は不明だ。
だが、突如として声を張り上げたメイセに、どこか心が沸いてしまっていて。
「この程度で重圧を感じるような男に、メイルが似合いますか?」
「――っ。やかましわっ」
そう悪態を吐くが、レギウルスにはつい先程までの焦燥感は皆無。
(……まずは奪われた『紅血刀』を奪還するか)
自分でも驚くほどに先刻の叱咤を契機とし精神は冷徹としており、さも当然のように無策な彼らしくもなく次策が沸きだす。
めげないレギウルスに、ハイトも流石に忌々し気に舌打ちする。
「……やはり、貴方を真っ先に誅殺すべきですか」
「寝言は死んでから言ってください」
――黒式二号・『黒閃』。
それが『剣聖』の至近距離で行使され、射線上の一切合切を薙ぎ払わんとする。
それと同刻、レギウルスも絶対的にハイトの退路を塞ごうと、虚空を跳躍しながらハッキリと急迫する。
八方塞がりな戦局の最中、ハイトの瞳は微かに揺れ。
「――奥義・『迅』」
「は」
世界から、音が消えた。
そうとしか錯覚できない程の光景が、繰り広げられる。
唐突に、ハイトの刀身が鮮烈な藍色に光輝いたのだ。
そして、流麗な挙動でハイトは踏み込み、思わず敵ながらも惚れ惚れしてしまう程の一閃で虚空を薙ぎ払った。
直後、世界が割れたのだ。
ただ、それだけ。
その一閃だけで、ハイト・メイカ――『剣聖』は戦局をひっくり返した。




