その、男は
ヤケクソ
――差し伸べられたそれを、思いっきり振り払ってしまえばどれだけ心地よいだろうか。
「――――」
だが、それは叶わない。
この場で切望するそれを実行してしまえば、たちまちアリシアの体内はその鉄塊を以て蹂躙されてしまうだろう。
それもこれも、レギウルスの不手際のせいで。
「…………」
あるいは、アリシアだって、巧みに法国と立ち回ろうとしていたのかもしれない。
だが、その目論見が成就されることはない。
結局その真意は分からずじまいであったが――少なくとも、レギウルスへ害意があうような代物ではない。
ならば……。
「……『誓約』するのは、お前じゃない。この国全員だ」
「ええ。結構です」
「――――」
それでいい。
自己犠牲で、魔人国もアリシアも救われてしまうのなら、結局この一手こそが紛れもない最善策なのである。
ならば、もはやそれを振り払う利益なんてなかった。
レギウルスは、渋々とその掌を――。
「――ホント、いつだって貴方は自分勝手ですね」
不意に、そんな声音が耳朶を打った。
「猫さん……ちょっと、頑張ってくださいね」
「誰です、貴方」
「さあ、誰でしょうね」
トンッ。
そんな擬音が似合う程に軽快に着地したその長髪の男――『賢者』メイセは、嘆息しながら纏いついた埃を振り払った。
そんあメイセへ、ハイトは無感動的な眼差しを向ける。
「おい、お前……その傷っ」
「聞かないで下さい」
「――――」
強い口調でそう押し切られるが――とてもじゃないが、錫杖を握る右腕が木っ端微塵になってしまっていた光景を見過ごすことはできなかった。
骨髄は抉れ、血管はとっくの昔に破裂している。
濁流が如き鮮血がメイセの衣服を深紅に染め上げていた。
「……無理矢理魔術を行使し、この空間へ足を踏み入れましたか。それも、その程度の損害で済ませて……」
「小賢しいことが売りなんですよ」
「それはそれは……だがっ」
「――――」
刹那――『剣聖』が掻き消える。
ハイトは足音の一切を押し殺し、鋭い眼差しでメイセを睥睨しながら滑走することにより、徐々に距離を詰める。
縦横無尽に動き回り――そして、メイセの頭上へ落下した。
(その様子じゃあ魔術は二度は使えない)
『龍』が放つ瘴気は覿面だ。
それは、力なくぶらりぶらりと糸の切れた人形のように揺れるその左腕が一切合切を物語っていた。
これ以上メイセが魔術を行使することは、無い。
あったとしても、十八番で流すだけだ。
「――敗因が、笑える程見当たりませんね」
「笑わない癖して何をw」
だが――この洞窟内において、迎撃手段が魔術以外に存在しやしない筈ないのだ。
メイセは「はあ……」と重苦しい溜息を吐きながら、懐から二種の手榴弾にも似た形状の兵器を取り出す。
「メイドイン・ルシファルス……それが今、猛威を振るいますよ」
「――!」
仮にその自己申告が虚言の類でないのなら、メイセが握ってあるそれはアーティファクトの類ということだ。
しかも、あのルシファルス家が制作した。
ブラフかもしれない。
だが、その危険性を考慮してもなお足を止めるに足ると、そう判断せざるを得ない程にルシファルス家という存在は強大であった。
故に、思わず薄笑いがこぼれでてしまう。
「残念……嘘ですよ。高性能な煙幕と、閃光球です」
「――!?」
――刹那、『白』が洞窟内を満たした。
果て無き暗闇こそ洞窟の平時。
だが、今この瞬間においてはその道理さえも一切効能を及ぼすことなく、莫大な極光の前に成す術もなく屈服する。
ハイトとて人間だ。
ある程度は魔力因子を揺らめかせることにより再生は可能なのだろうが……それでも、時間稼ぎ程度には、なる。
更に、それに拍車をかけるのが生物の気配を煙幕というベールにより包み込み、覆い尽くしてしまっているという現状だ。
もはや、その性能はルシファルス家のそれと遜色ない。
「さる自称紳士会心の出来です。とくとご覧あれ」
「――。そこかぁっ」
だが、ハイトとて阿呆ではない。
微かに耳朶を打った嘲弄するかのような声音、それの反響の度合いにより所在位置を容易く割り出してくる。
瞬く間に看破され、メイセはこれ以上なく天才の恐ろしさを痛感する。
だが――。
「――生憎、努力は怠らない主義なんですよ。凡夫なモンで」
「は」
そうして――ようやく、メイセがそれまで全神経を注ぎ構築していた術式が猛威を振るうこととなる。
虚空に浮かび上がったのは幾重にも重複する魔法陣だ。
さながら時計のような配置のそれに、メイセがそれまで精緻かつ繊細な作業を要求される代物をこなしてきた成果が『色』となりて加わる。
魔法陣を鮮烈に彩るのは――黒色だ。
漆黒ですらない。
ただただ空虚な――さながら深淵が如きその暗闇が魔法陣を彩る時、かの悪鬼羅刹が方向を轟かせる。
――それは、かつて失われた筈の神仏の御業。
「黒式三号――『天界』」
紛れもなく、赫狼、そしてルインたちが滅ぼした筈の存在であるかつての『神獣』――『黒猫』の十八番が、猛威を振るう。
「この状況下で魔術……自殺する気ですか?」
「聡明な猫さんに、コツを教えてもらいましてねえ……おかげで、多少の損害を被りながらもこうして五体満足で居られますよ」
と、メイセは無理難題に対し、尊大な態度で渋々ながらも攻略法を伝授してくれた憮然とした黒猫を想起し苦笑する。
そして――。
「お嬢さんも、頂きますよ」
霞む輪郭の最中、そうメイセが薄く笑った瞬間――それまで、ハイトに生殺与奪気の権を握られていたアリシアの華奢な細身が掻き消える。
メイセの――否、『黒猫』の空間魔術が牙を剥いたのだ。
その度に盛大に吐血するメイセだったが、何故かその口元に浮かび上がっていたのはどこかの誰かさんそっくりの快活な笑みで。
「ッ! 待て!」
「待てないようにすれば、いいんじゃないんですかねええ」
嘲笑。
それだけを残し――ハイトの鋭い一閃が振るわれる頃には、とっくの昔に彼らの姿形は消え失せてしまっていた。
「刑期終えた、受刑者みたいな気分ですね……胸糞悪いっ」
そう嘆息したメイセは、ある程度の止血を済ませ、ちらりと唖然とするレギウルスを一瞥した。
「阿呆みたいに間抜けに口開けて、どうしたんですか?」
「いや、どうしたって……俺の方こそ聞きたいわ! お前……お前っ、どうしてお前が俺なんかを……」
「ああ、そこからですか」
「――――」
メイセは「心底面倒くさい」という本音を隠そうともしないような大仰な動作で天を仰ぎ……そして、目を細める。
「――友人って、知ってますか?」
「――――」
「一緒に馬鹿騒ぎして、一緒に笑い合って、一緒に泣き合って、時々詰り合ったり……そういう関係なんですよね、友人っていうのは」
「それが……」
突如として意味不明な戯言を吐こうとするメイセに胡乱気な眼差しを向けるレギウルスであったが、それを遮るような声音が耳朶を打つ。
「それがどうした、なんて辛辣なこと言わないでくださいよ。私……いや、僕の場合、天涯孤独でね。ずっと、ずっと孤独だったんですけど……ある日、どっかの誰かさんと出逢って、ちょっとは人生が変わりましたよ」
「――――」
「僕たちなら、なんだって出来た。そんなことを、あの青い日に抱いていたんでしょうね。……でも、結局僕は僕でしかなかった。変わろうと思ったんですけど、どうしてもこの性根だけはどうにもならなくてね。丁度、それを自覚したのも身内が殺された最中でねえ……。僕は、ずっとずっと本心を押し殺して彼らと笑ってたんですよ」
一拍。
メイセは似合わない笑みを浮かべ――確かに、レギウルスを見据えた。
「でも、貴方にはちゃんと寄り添うべき人が居る。……僕のようには、なりませんよ。……ああ、話が脱線しましたね。つまり、僕がどうして貴方を救助したのか、それが不思議で不思議でしょうがないんでしたっけ。なら、答えは一つです。
その笑みは、本当に誰かさんと瓜二つで。
「――友達だから、たまにはこういうこともいいかなって、そう思っただけですよ」
そう、『賢者』――否、メイセは言い切った。




