邪魔
「――『剣聖』」
「弟と、そう呼んでくださいよ、兄者」
「どの口で……」
こうしている間にも、アリシアの失血は留まることを知らない。
こんなところでちんたらしている暇はないのだ。
「ハイト。二度は言わねえ。――消えろ」
「兄者に、俺を指図する権限などありませんよ」
「まあ、そうだな。強いて言うなら、俺がお前の兄だからか?」
「今しがた俺を弟などではないと言った口でなにを」
「ふむ。それもそうだな」
もとより、ダメ元だ。
そもそもの話、この白髪の男がこうしてレギウルスの征く道を阻んだ時点で、その目的は知れている。
「……やはり、俺を殺す気か」
「いつだって、そうですよ」
「だよなあ。――ああ、そうだよなあ」
刹那――莫大な殺意が沸き上がる。
レギウルス・メイカという人物を起点として、耐え難い壮絶な気配が溢れ出し、そしてそれは物理的に現世を圧迫する。
これ程、怒り狂ったのは何時ぶりだろうか。
腸が煮えくり返るとは正にこのこと。
ならば――もはや、躊躇する必要性も皆無だ。
「アリシア、リーニャ。動くぞ」
「――――」
アイテムボックスを行使しようとした結果、『龍』が発する瘴気故か格納庫自体が爆発四散してしまった。
故に、アリシアとリーニャは片腕で固定しなければならない。
あの『剣聖』相手に、片腕で。
正に絶体絶命と形容すべき窮地だろう。
だが――レギウルスとて、あの頃とは違う。
「――――」
「――ッッ」
踏み込み、低い姿勢で抜刀。
だが、その極端に無駄という概念を削ぎ落した斬撃が切り裂いたのは、レギウルスの特殊な技巧を以て生成された虚ろの気配。
そして、実体はハイトの背後へとっくの昔に回り込んでいた。
(迎撃……間に合わない)
かつて、ハイトとレギウルスは二度剣を交えた。
一度目は惨劇の路地裏で。
そして、二戦目において、かの大戦でレギウルス・メイカはついにかの『剣聖』へ一矢報いたのだ。
そして――それは三十年前のこと。
今のレギウルスは、かつてとは全く異なる。
「ッッ」
回避、迎撃の類は恐ろしい速力故に不可。
だが、生半可な結界は容易く一蹴されてしまうので――ここは、流麗にのらりくらりとさせてもらう。
「――『流辻』」
「――――」
受ける、ではなく流す。
ハイトの膂力では到底どうにもならない一閃だとしても、その威力の一切合切を虚空へ押し出してしまえば万事解決だ。
無論、ハイトについて知り尽くしたレギウルスだ。
この程度の陳腐な展開、予測済み。
それ故に、これは次点を想定とした一撃だ。
「まだまだ――行くぞ!」
「――っ」
レギウルスの斬撃を「流した」ハイトであったが、それ故に多少なりとも姿勢が乱れてしまうのだ。
だが、それもコンマ一秒程度の代物。
だが、それの塩梅を一度違えてしまった者から首が吹っ飛んでしまうのが、戦場という過酷な空間である。
塵は、塵でしかない。
言うに及ばず塵芥の類でなせるものなど皆無であり、点火しても線香花火にさえ満たない熱量しか発さないだろう。
だが、それが積み重なったら?
「――!」
「『流辻』……『西風の神楽舞』」
ハイトは『流辻』単体ではなく、連撃に対応すべく編み出した『西風の神楽舞』を以て応戦するようだ。
一閃。
その度に微かに刀身を傾け、最小限の動作で受け流し、そしてその動作さえもさも当然のように次点へ繋げる。
それは、さながら流れる水のような自然さだ。
木の葉が重力に従いひらひら舞い散るのと同じくらい当然に、ハイトはレギウルス・メイカの連撃を防ぎきった。
だが――。
(……拙い)
一閃。
受け流す――が、微かに息が乱れ、その度に些細でこそあるが、確かに剣に陰りが見えてしまった。
そして、疲労とは蓄積する代物。
特段、スタミナという観点においては近衛騎士の中でも最弱に位置するハイトならばそれが顕著になる。
更にそれに拍車をかけるのが、増大したレギウルスの身体能力。
レギウルスは『清瀧事変』以降会得した『術式改変』を投げ捨て、その代わりに比類なき身体能力を会得した。
それは、三十年前の比ではない。
一撃一撃が酷く重いのだ。
その刀剣を振るう度に確かに鮮血が飛散しているというのに、その剣速に影が差すことは断じてない。
(このまま押し切る――!)
疲弊は粗末なミスへ。
そしてそのミスはやがて綻びとなり――そして、最後の最後で猛威を振るってしまう『隙』と変貌してしまうのだ。
この調子ならば、勝算は――。
「はあ」
「――――」
それは、溜息だ。
さも当然のようで、きっと普段の『剣聖』を見知った者ならば絶句するであろう光景に、レギウルスは目を見張る。
そして――跳躍。
その、直後。
「――『彼岸花』」
『剣』が、散った。
研ぎ澄まされた鉄鋼。
それらが編み出すのは一輪の無骨な――それでいて、惚れ惚れしてしまう程に美麗な、華であった。
その花弁が、開く。
「――――」
刹那――『剣』が、散った。
有能な研磨師の手によって生成されたその刀剣は、持ち前の鋭利さを一切損なうことなくこれ以上ない形で猛威を振るう。
それは、さながら散弾だ。
『剣』が編み出す一輪の花からひらひらと舞い散る刀身という花弁は、容赦情けなくハイトを起点として周囲一帯を薙ぎ払う。
その弾速は、さながら光線だ。
とてもじゃないがレギウルスであろうともそれを視認して回避することなどできやしない。
「がっ」
だが、その殺戮劇も数瞬持続しただけ。
それが経ってしまった直後、ハイトの口内から鈍い鉛のような味わいの液体が絶え間なく溢れ出してしまう。
「……無理し過ぎましたか」
「だったら、ああいう手段はそうやすやすと使うなよ。死ぬぞ」
「それで勅命を果たせるのなら、本懐です」
「流石、筋金入りの洗脳者だ」
「はて」
こてんと、頭蓋骨が露出する程の猛撃を振るった直後とは思えないくらい愛嬌の厚動作で小首を傾げるハイト。
その瞳からは、相も変わらず一切の感情が抜け落ちている。
「……殊更、兄弟なんかじゃねえよな」
「そんな辛辣なこと言わないでくださいよ、兄者」
「――いい加減、黙れよ」
「長話は嫌いですか」
「人にもよるな」
と、レギウルスは虚勢を張りながら満身創痍の肉体を『紅血刀』の効力により再生しながら返答する。
ちらりと、横目でアリシアたちの容態を確認する。
依然、アリシアの瞳が見開かれることはない。
だが、それ以上も以下もなく、先刻無作為に放たれた弾丸に伴い生じたであろう被害の形跡は皆無であった。
(身を張った甲斐があったな)
それは、せめてもの贖罪だ。
レギウルスは先刻ハイトが射出した『剣』からアリシアとリーニャの身を守るべく、文字通り肉壁となったのである。
唯一の懸念はレギウルスの身を抉ったその弾丸が貫通するか否かだったが……どうやら、それは杞憂だったようだ。
「それに関しては唯一の僥倖だな、クソっ」
「それはそれは」
「――――」
じっと、レギウルスはハイトを睥睨する。
(さて……どうするか)
正直、千日手感が凄まじい。
『剣聖』は『龍』の効能なのかは知りもしないが、はんば不死不滅の存在と成り果ててしまっているのだ。
打倒は、もはや不可能。
そしてそれは、無尽蔵に類似する程の血液量を保有し、それを糧に際限なく肉体の損耗を否定できるレギウルスも同義。
二度、『剣聖』と刃を交えた。
互いの力量は互角。
だが、『剣聖』とレギウルスの相性が最悪すぎて、それこそ三日以上ろくに睡眠をとることもなく戦乱に明け暮れていたのだ。
そして、その末路は今現在も同様。
もはや、逃亡以外に手段は――。
「兄者――随分と、日和ったのだな」
「――――」
それは、酷く落胆したかのような声音だった。
一応、『剣聖』も魔人族です。それでも『剣聖』として――法国の英雄として認知されている時点でグリューセルさんの性悪さが知れ渡ります。




