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VRMMОで異世界転移してしまった件  作者: 天辻 睡蓮
七章・「約定の大地」
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昇陽、それが呪いとなった日














 瞼を開いた瞬間、世界は陽光に満ち足りていた。


「――――」


 期待、していたのだ。

 生れ落ちた瞬間から、その少女はきっとこの後の旅路も、ずっとずっと二人で笑い合えると、そう思えたのだ。


 そう、確信していた。


 そして、それが打ち破られるのは七年後。


「――――」


 死体だった。


 それまで慕っていた年上の少女は唯一の貧相な衣服さえも剥かれ、結局は不興を買ったのか鮮血に染まっていた。

 あんまりだった。


 姉のように、思えていたのだ。


 少女にとって、目下で鼓動を途絶えさせる女性は、紛れもなく大切な、かけがえのない存在であったのだ。

 それが崩れ落ちた刹那、痛感する。


――人は、誰かの『大切』をさも当然のように踏み躙るのだと。


 そう認知した途端、楽園は悪夢に切り替わった。


 終わることなき、醒めぬ夢へ。


「――――」


 














 リーニャという少女の話をしよう。


 彼女は、貧困が蔓延るこの魔人国において月並みにありふれた、必然的な親の愛情さえも貰い損ねた、誰からも期待されないような、そんな存在だ。

 俗にいえば、孤児。


 そんな彼女が初めて瞼を開いた瞬間、その視界に移ったのは同じような赤子だった。


「――――」


 すやすやと、殺したくなるほど安らかな寝息が耳朶を打つ。


「――――」


 誰か、理解できない。

 どんな関係なのか、いずれ如何にそれがこじれるのか、未来も現在も過去も、その一切合切が不明慮であった。


 だが、本能が理解する。


――この子を、守らなければ


 そう、願った。


 後に発覚したのだが、リーニャと弟と思わしき人物は双子らしかった。


 きっと、庇護欲を抱いてしまったのは、親にも見捨てられたが故に孤独に打ち震える自分にとって弟は唯一無二の家族だからだろう。

 ある種の依存ともいえるだろうが、それはまた別の話である。


「――――」


 二人は、物心がつくまで寄り添って生きてきた。


 悪獣のように雑草を分け合い、それを堪能することによりなんとか飢餓に打ち震える腹を満たしてきた。

 傍目から見ると、地獄のような光景だったのかもしれない。


 寝どころなんて、藁があるだけまだマシだ。


 最悪、地べたで惰眠を貪っていたことさえもあるのだ。

 一度、猛吹雪の中居場所もないリーニャと弟は凍え切った岩盤に凍死しかけたこともあったが、その時は二人寄り添ってなんとか地獄を耐え忍んできた。


 この環境が悪夢だと、そう思えたことはない。


 リーニャという少女は、存外真っすぐな人格者だったのだ。


 否。

 それは、あるいは精神は熟達してあらず、酸いも甘いも嚙み分けていないからこそ抱けた希望なのかもしれない。


 でも、きっとリーニャにとってはそうか否かは心底どうでもいい。


 明日を迎えられたら、それだけで満足だったのだ。


 だが、そんなリーニャにもある日ふと、弟以外の『大切な人』が出来た。


「――――」


 それは、さる猛暑日の風景であった。


 リーニャと弟は燦然と煌めく太陽に辟易しながらも、自身を苛む壮絶な飢餓感から必死に目を逸らしていた時の頃。


――可哀想な子


 そんな、声が聞こえた。


 それまで真っ当な教育を受けていなかったリーニャには、その声音の意味合いを十二分に把握することはできない。

 だが、そこに悪意は存在しないと、そう察することはできた。


 毎度の如く霞む視界が、声の主が懐から何かを取り出したのが分かった。


 微かに鼻腔を満たすその甘美な香り、それは――。


――ほら、これでもお食べ


 そう、14、15歳程度の少女は、そっと目を伏せながら、せめてもと新鮮な生地で仕立て上げられたパンを差し出す。


 パン。

 つまり――腹の奥底を満たすモノ。


「――ッ」


 もはや、理性はない。


 常日頃餓死寸前となっていたリーニャは、誰よりも真っ先にそれに喰らいつこうと跳躍しようと――。

 

 そして、同じように膝を曲げる弟と目が合った。


 沈黙。

 なんとなく二人が互いが貧民街に住民らしからぬ遠慮をしあっている雰囲気を悟った少女は、嘆息する。


 数瞬後、少女はもう一個懐から新鮮な小麦の生地により編み込まれたそれを差し出した。


――ほら、お食べ

 

 それからは、真面な記憶は存在しない。

 ただ、リーニャは女の子としての沽券さえも一切投げ捨て、さながら獣のようにそれに喰らいついたと、そう理解できた。


 弟も同様だ。


 常日頃餓え寂れている貧民街において、小麦の一粒は紛れもなく金銀財宝にさえ匹敵するような代物だ。


 それで身に余る贅沢と、そう思えた矢先に、これだ。


 狂喜乱舞するのも、致し方ないだろう。


――……ちょっと、可愛いかも


 ふと、そんな声音が耳元に滑り込んだ。


 見上げてみると、そこには羨望するかのような眼差しをする少女が目に映った。

 彼女は、「はあ……」と嘆息しながら、ぐっと屈折しつつ、立ち上がる。

 そして――その一言はするりと、吹き抜けるように届いた。


――またね


 それから、リーニャ、弟、そして少女との奇妙な関係は持続していた。


 少女は一体全体何を想ったのか、ことあるごとに二人の定位置へ足を運び、名高い職人が焼き上げたパンを口にさせた。


 その度に一心不乱にそれを食らおうとする双子にほっこりとした笑みをこぼしていたりもしたのは懐かしい記憶だ。


 彼女の施しはそれだけではない。


 それまで言語を解さなかったからこそ獣のような印象を帯びていたリーニャたちに文字を授けたのも、この少女だ。


 聡明な少女は、リーニャたちが知り得ないようなことを飽和する程に網羅し、そしてそれを快く教えていた。

 その少女は、触れ合う度にリーニャにとって大切な存在になっていて。


 最初は、空腹故だった。


 本能が、この少女に順々にしていればパンを貰えると、食事できると、そう否応なしに理解したのだ。

 だが、次第にそれも移り変わっていった。


――誰も見抜きもしない孤独を味わった


 貧民街の民草は最終的に団結だなんていう高尚なモノとはあまりにも無縁で、結局自分の腹を満たすことにしか関心がない。


 故に、寒さに肩を寄り添う双子のことなんて、誰一人として見向きどころか、認識さえしなかったのだ。

 だが、この少女は?


 ちゃんとリーニャを見てくれてる。

 

 そう認識すると、自然と笑みがこぼれ出るようになっていった。


「――――」


 それから、三年もの月日が経った。


 これは後になってリーニャが知り得ることなのだが、今日は彼女にとって七度目に生誕祭となるらしい。

 心底どうでもいいと、普段ならば断じるだろう。


 だが――それは、今でもそう言えるだろうか。


 関係ない、だなんて身勝手なこと、果たしてリーニャには言えてしまうのだろうか。


 声が、聞こえた。


――え?


 間抜けな、間抜けな声音だった。

 その現実に対する理解が及ばず、まるでそれから必死に目を逸らしているような、そんな錯覚がした。


 後に聞くに、リーニャはさる貴族の令嬢だったらしい。


 確かに、その上等な装いも断じて薄汚い貧民街の代物ではないので、ある程度はそれに納得できる。


 そもそも、余程の成功をおさめない限り貧民街出身の者がパンだなんていう貴族御用達の品物を持ち合わせている筈がないのだ。

 それを、リーニャは幼稚さ故に疑問に思いもしなかった。


 あるいは、これはそれ故の末路か。


「――――」


 貴族の令嬢なんて、それこそ人質にしてしまえばいいカモだ。


 定期的に薄汚い双子の元へと足を運ぶ貴族らしき少女は否が応でも悪目立ちしてしまい、そして標的となってしまった。

 頑強な、華奢な少女ではどうにもならない筋力の大男が、その肩を掴む。


 後は、転がり落ちるようだった。


 それから大男たちは唖然とする双子を置き去りに、抵抗する少女を無理矢理昏倒させ、連れ去っていった。


「っ」

 

 走った。


 唯、少女の安否を願って、双子は走った。


 そして、目撃したのだ。


――身ぐるみ剥がれ、鮮血を撒き散らし仰向けに生気のない眼差しで太陽を眺める、少女を。





 ・補足

 そもそも、この子ってさる暗殺一家の次女だったんですよね。腕前も中々。ですが、やはり根底的に暗殺なんていう外道の所行に精神的な幼さ故か受け入れることができず、日々悶々としていたようです。そんな時に例の兄弟に出くわます。少女にとってはほんの気休め程度でしょうが、思った以上の懐きぶりがちょっと嬉しかったらしく、ちょくちょく顔を出していたようです。ちなみに、基本暗殺一家に家族の情はありません。だいたいみんな孤独です。だいたい慣れる。まあ、それもある種の教育の一環なんでしょうけど。閑話休題。とにもかくにも、そんなカンジで徐々に兄弟に情が移ってしまい、今では本当に手のかかる弟や妹のように接していたようです。本人もちょくちょくそういった家庭に憧れていたんでしょうね。


 ……長くなりそうなので、それからの顛末はまた次話で。

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