張り巡し、蔓延り、摘み取る
「お前は……っ!」
「『法王』……そういえば、分かりますかね?」
「――――」
目を見開き、唖然と目下の初老の男――法国の総大将たる、『法王』ことグリューセルを凝視する。
そんなレギウルスの不躾な眼差しをグリューセルが咎めることはない。
この地に、グリューセル――『法王』が存在すること。
それは、億歩譲って、まだいい。
だが、その皺だらけの右腕に握られている短剣には――鮮血が、滴っていた。
「どうして……『聖女』だろっ。仲間だろっ」
「仲間ぁ?」
「――――」
怖気。
それは、グリューセルから発せられた赤子のような幼稚な疑念が、これ以上なく恐怖心を掻き立てるから。
グリューセルは乾いた笑みを浮かべ――アリシアへと、更に短刀を投擲した。
「――ッ!」
それを目視したレギウルスは高らかに跳躍。
そして、アリシアを存命させようと躍起になり、愛刀たる『紅血刀』を全身全霊の魔力を込め――振るう。
「――ぁ」
結局、それは仮定の話でしかなかった。
それだけ。
確かに、レギウルスには振るった刀身が飛翔されたその鋭利な短刀を弾き返すと、そう予期していたのだ。
ただ、その寸前でレギウルスの右腕が弾け飛んだだけ。
たった、それだけのことだ。
「ぁ?」
理解不能。
魔力を流動させた瞬間、本当になんの前触れもなくレギウルスの頑強な右腕はそれを構成する骨を巻き添えに破裂したのだ。
もはや、原型なんて見る影もない。
正しい意味で、その腕は肉塊だ。
その事実に、思考が白熱――しない。
「あああッッ!!」
「ほう……」
それが、どうした。
そう惰弱な自分自身をこれ以上なく鼓舞し、レギウルスは更に四肢が焼き切れる覚悟でアリシアへと跳躍。
そして、その強靭な肉体がか弱い彼女へ急迫する凶刃を遮った。
同刻、苦悶に満ちたうめき声が木霊する。
だが、それでもレギウルスが激痛故に転倒するような無様を晒すことは断じてなかった。
レギウルスが胸元に突き刺さった短刀をおおむろに取っ払い、その拍子にそれまでせき止められいた、血管からはみ出した血液が躍動する。
故の、濁流が如き物量の流血だ。
「あがっ……」
だが、それでも十二分だ。
『紅血刀』の権能を行使。
十中八九、この耐え難き鈍痛の起因は魔力を流動させてしまったことだろうが、これに関しては問題ない。
そもそも、『紅血刀』は魔力がないに等しいレギウルスでさえも運用できるような代物であるのだ。
必然、鮮烈な痛覚、それに伴う筋肉の裂傷も存在しない。
そうして五体満足となったレギウルスは、半眼でこうなってしまった発端たるグリューセルを射殺せんとばかりに睨み上げる。
「……アリシアは、『聖女』は生物兵器でしかないって、そう一度だけ言っていたなあ。つまり、そういうことか」
「お察しの通り。――ゴミが一つ増えようが減ろうが、私にとっては心底些末なことなんですよねえ」
「ああ、そうかい!」
合理主義なところは、敬愛していたアンセルと共通している。
だが、アンセルは確かにレギウルスたちを認識していることに対し、この男にとって駒なんて信号程度の意味しかなさないのだ。
故に、処理することに対する抵抗なんてない。
考えてみれば、存外腑に落ちる。
ああ、なんて――。
「――ホント、クソったれだな人間は」
「ええ。全く以てその通りですよ」
「――――」
人間には、『英雄』のようにただ他者に救いがあらんことを切願し奮闘する者もいれば、沙織のように眩しいくらい真っすぐな性根の人物も、多く存在する。
――ただ、それ以上に度し難い悪人が多いだけで。
「――――」
レギウルスとて自身が聖人君子とは口が裂けてもいえないが、それでも最低限理性ある者としての配慮は欠かさず生きてきた自負がある。
だが、目下の男にはそれさえもないのだ。
醜悪、そんな形容さえも生温い。
いっそ、レギウルスとは乖離した生物と説明された方がまだ救いようがあった。
だが――。
「――それが、人間の本性かっ」
「いいですねえ、その憎しみ、憎悪、憤怒、憤慨、激怒! それを見ていると――あのクソ野郎が手塩をかけて育ててきた若手を摘み取っていくと、そう自覚した途端腹がこれ以上なく満たされますねえ!」
「――T。腐れ外道め」
「上等ですよ、その評価」
そう屈託のない笑みを浮かべるグリューセルへ、レギウルスへ一切躊躇することなく猛烈な勢いで飛翔した。
「おや? 分かっているのでしょう? 魔力により筋力を如何に強靭化したとしても、それは刹那の代物。代償は甚大ですよ?」
「知ってる!」
その程度、障害に値せず。
レギウルスはその身に宿った激烈な烈火に身を委ね、一つの閃光と化しグリューセルへと猪突猛進に激突する。
一歩。
その一歩ごとに、神経が侵されそれまで研磨されていた筋線維の一切合切が成す術もなく散り散りになってしまう。
喉元で花火でも興じられたような、そんな苦痛。
だが――痛みなら、狂う程知っていた。
「あああああああ――ッ!!」
「愚直、愚鈍、さながらそのひたむきな姿勢は傀儡のようですねえ」
咆哮を轟かせることによりからくもその痛覚を紛らわせたレギウルスは、ついにグリューセルの間合いへ一歩足を踏み入れた。
踏み入れ、脚が裂けた。
「っ」
瞬時に、起因を察する。
糸だ、
超極細の鉄糸が蜘蛛の巣のように張り巡らせ、それに踏み込んだ瞬間、強く踏み込めば踏み込む程に呆気なく肉体が断絶される仕組みである。
なんとも姑息な手法だ。
そう鼻で笑い、レギウルスは『紅血刀』によりそれを完治させ、間髪入れずに怒涛の連撃を虚空へ叩き込んだ。
唯の糸如きと、強靭どころの話ではない宝刀。
どちらに軍配が上がるなんて、そんなの見るまでもなかった。
(このまま、首をも切り裂く――!)
跳躍。
それと同時に、それまで巡らされていた幾重もの鉄糸が、さながら洪水のように自由落下に従い落下する。
「おや、喰らったのは初見だけですか」
「当ったり前だッ! お前なんかとキャリアが断然違ぇんだよ!」
「ああ、そうですか」
グリューセルはそんなレギウルスに対し、特段動揺した様子を見せることもなく、いっそのこと不敵な笑みさえ浮かべていた。
「確かに、私では貴方のような猛者には足元にも及びませんね」
「分かったら、さっさと首晒せやっ」
「いえいえ。それには及びませんよ」
「――――」
――足音。
金属質なそれが耳朶を打った瞬間、レギウルスは超人的な反応速度で『紅血刀』を振るい、背後に降り立ったその気配へ一矢報いようとする。
が――結局、深紅の刀身は虚空を切り裂いただけ。
確かに、レギウルスはその気配を察知したというのに、だ。
「ブラフ!」
「御名答」
刹那――極光が視界を満たした。
「――っ」
息を吐く暇さえない。
絶え間なく溢れ出す暴力という概念の化身は猛烈な勢いでレギウルスを打ちのめし、流星群が如き勢いで吹き飛ばず。
筋肉は刹那で蒸発し、骨髄もボロボロだ。
だが――それで、生きている。
「ぐっ……ぁっ」
満身創痍。
その程度の形容では到底済まされない瀕死の重傷を負ってしまったレギウルスであるが、それでも、なんでもないように彼は立ち上がる。
瓦礫を押しのけ、丁度クッションとなった『龍』に心中で頭を下げ――グリューセルへ刳り貫くような眼差しを向ける。
「おいおい、殺せてねえぞ」
「……存外、強靭ですね」
「そういうワケじゃねえよ。ほとんど自滅だけど、お前の攻撃は俺にも十二分に通用してんぞ」
「おや。それは朗報だ」
「ああ、全くだ。そのせいで痛くて、悲しくて、辛くてしょうがない。――だから」
そして、レギウルスは一陣の風と化し、即座に倒れ伏すアリシアとリーニャを回収し――グリューセルから、背を向けた。
「――今は、逃げさせてもらうぞ」




