もういいよ
パタンッ。
そんな擬音がお似合いな程に呆気なく、リーニャの痩せ干せた細身が揺蕩い――そして、転落する。
「餓鬼ぃ!?」
「――――」
『龍』と思わしき声音が魂の奥深くへと木霊したとそう認識した瞬間に、本当に唐突にリーニャが卒倒したのだ。
予想だにしていなかった事態に目を剥くレギウルス。
それに反し――アリシアの瞳は、凪いでいた。
「安心しなさい。それで正常よ」
「――っ。これも、『儀式』の一環ってことか……?」
「御名答」
アリシアはそう淡白に返答する。
普段の飄々とした雰囲気とは異色な――どこか、時折アキラが見せるような冷淡な表情をするアリシア。
そんな彼女に、レギウルスは怪訝な眼差しをする。
「『儀式』においてこれは必然……驚嘆するに値しないわ」
「……そうか。じゃあ、俺たちはどうすれな……」
「せいぜい首を長くして待っていなさい。あんたにそれ以外のことができるワケもないでしょ? そこら辺、自覚して欲しいわね」
「……ホント、手厳しいな」
「はっ」
アリシアは薄い笑みを浮かべ、「ただし」と片目を瞑る。
「私が想定していた関門……それは、まだ二つ存在するわ」
「――――」
彼女が提示した懸念は、およそ三つ。
その内一片は門番と多少なりとも一悶着あったものの、からくも解決したので、逆算すると残るゆりょすべき事項は二点ということとなる。
「……もう『祠』に辿り着いてんぞ」
「だから、よ」
「――。詳細を、話せ」
「それも、また一興かしらね」
「――?」
意味深な、歓喜とも悲哀とも言いとれない複雑奇怪な真意を推し量れない笑みを浮かべるアリシアをレギウルスは一瞥する。
「確かに、私たちの存在は露見しないわ。でもね、それにも例外があるわ。――『龍』が目覚めたのなら、あの男たちがそれを無視できる筈がないのよ」
「……はあ? それはあの男が始末したんだろ?」
「さあ」
「さあって……」
いよいよ不穏になっていく話題に冷や汗を流すレギウルス。
仮にアリシアが『妄執の狂王』と契約しているのならば、懸念材料を徹底的に現実改変魔術を以て撤去していた筈。
故に、アリシアのそれは杞憂だ。
その、筈。
だが、乾いた笑みを浮かべるアリシアからは、言い知れぬ悪寒が感じれて。
「おいおい……マジかよ」
「ええ。絶対の絶対に、ね」
「……はあ」
抜刀。
直後、嘆息し猛然とアリシアめがけて跳躍するレギウルスの速力はそれこそ音速さえもゆうに上回る。
惰弱な人間が幾ら努力しようが脚力のみでジェット機を追い越せないのと同等だ。
アリシアは、突如として自身の首筋へ鋭利な深紅の刀身を添えるレギウルスに一切反応することができなかった。
だが、冷や汗の一つもない。
当然、必然、道理。
とっくの昔に、こうなることは把握していたのだから。
今更動揺するような無様を、『聖女』が晒す筈が無かった。
「何の心算?」
「それ、聞く意味あるか?」
「――――」
ちらりとレギウルスを一瞥し、その瞳に宿った冷酷な感情を看破した瞬間、アリシアは嘆息し全身から力を抜いた。
両手を掲げ、降伏の意を表明しつつ、なおも言い繕うとする。
「何が不満だったのかしら。正直、私には理解できないわ」
「そうか? なら、懇切丁寧に俺が言ってやるよ。――スズシロ・アキラはその程度の懸念事項を焼却できないような男じゃねえ。似たようなお前が、そんなあほくさいヘマをする筈がねえじゃねぇか」
「誉めてるのかしら。だったら、口下手と罵倒すべきね。買い被りもよして欲しいわ。まあ、否定はしないわ」
「――――」
「違う違う、そういう意味合いじゃない」
「だったら、どういう意図なのか、とっとと吐け」
「――――」
レギウルス・メイカは常日頃アリシアを潜在的な敵対者と認識し、些末な挙動の一切を見逃さないように気を配っていた。
故に、ある程度思考回路も理解できる。
この女はきっと本質的にスズシロ・アキラと共通する闇を抱え、それを断じて露呈させないように笑顔を振りまくような、そんな人種だ。
合理を何よりを優先し、計画も周到。
故に、確信できる。
――アリシアは、この程度のミスをするような女ではないと。
というか、本人もその致命的な綻びは認知しているので、まず間違いなくこれは故意での犯行であろう。
「別に、俺は黙秘してもいいと思うぜ。拷問の楽しみが増える」
「狂人の発想ね。少なくとも、常人とは思えないわ」
「そりゃあどうも。俺だって、お前と同じように好きでこうなったワケじゃねえんだよ。……ああ、あれも欺瞞か」
「はて、なんのことやら」
「ハッ」
不信感は絶頂に達した。
洪水のように溢れ出したそれはやがて疑惑へ、そして疑惑は確固たる確信へと昇華されてしまうのだ。
その確信を以て、レギウルスは吠える。
「最終宣告だ。――吐くか、地獄を味わうか。選べ」
「一応聞いておくけど、これがあんたの履き違えだってことは想像だにしなかったの? 一度でも、そう考えた?」
「考えて、模索しても結局不明慮だからこうしてるんだよ。それに確かな理由が存在するのなら、今のうちに吐露しろよ。そしたら知人を拷問するだなんていう気まずい体験を三度もしちまったことになる」
「二回はしてるんだ」
「そういう世界なんだよ」
「言い得て妙だわ」
「――――」
依然、アリシアは核心に触れようとすることもなく、他愛もない雑談に興じているだけにとどまっていた。
これが冤罪ならば、迅速にその語弊をとこうと尽力しようとするのが条理だ。
だが、それをなさいということは――。
「……やっぱり、お前は俺の敵か」
「私、まだ全然言及していないんだけど」
「うるせぇ。殺されたくなかったら、とっととメイセを呼べ。アイツがいれば、手短にこの薄暗い洞窟からも退散できるから」
「別にいいけど、結局無駄と思うわよ? 魔力なんて、『祠』の周囲を覆い尽くす結界が相殺しているから不毛だわ」
「それも、虚言だとしたら?」
「堂々巡りだわ」
「だな」
否定は、しない。
レギウルスは埒が明かないとばかりに、とりおえず少しは口が軽くなるようにと、『紅血刀』を振り上げ――。
「――ぁ」
――刹那、アリシアの胸元から血飛沫が噴出した。
「は?」
その斬撃は肋骨を接触の刹那で破砕し、そして臓腑に至るまでに甚大なダメージを加え、破裂させてしまっていた。
同刻、アリシアの口元からおびただしい程の鮮血が溢れ出す。
当然だ。
なにせ、内臓に刀剣の切っ先が突き刺さり、そして無遠慮にそれが抉ってしまったのだ。
レギウルスの頬を、アリシアの鮮やかな液体が深紅に染め上げた。
「……は?」
レギウルスは――斬って、いなかった。
あくまでも未遂であり、それ以上の暴虐は魂に誓って絶対的に実行していないと、そう宣言できてしまう。
ならば、殊更に理解できない。
――どうしてアリシアが力なく血反吐を撒き散らしながら倒れ伏しているのか、まったく理解できない。
「――やれやれ。憐れなな娘だ」
「……あ?」
不意に、しわがれた声音が耳朶を打った。
目を見開くレギウルスは、タイミングからして敵襲と理解し、即座に『紅血刀』を以て切り裂こうと目論む。
岩盤が刳り貫かれる程の脚力を以て肉薄する。
そして、いざ気配の主へ到達したと思った瞬間――唐突に、気管が紅に染まった。
「――ッ!?」
痛覚、苦痛、鈍痛、激痛。
今レギウルス・メイカを支配するのは、たったそれだけの感覚だ。
そんなレギウルスを、その男――初老の男は、口元に凄惨な笑みを浮かべながら、歓迎でもするかのように両腕を広げた。
そして――言う。
「ようこそ、我らの聖域へ。歓迎しよう、『傲慢の英雄』――否、咎人よ」




