蠢動せし悪意
――情景が、切り替わる。
「――――」
それまでの閑散とした風景であったが、それがその一声を起因として、突如として静謐なそれへと変換される。
相も変わらずの突飛な進歩的な現象に頬を引き攣らせつつ、レギウルスは一言。
「いや、手段単純!」
「シンプルイズベスト。自明の理よ」
「いや、そうだけど……っ!」
レギウルスはもっとこう、ロマンチック溢れる展開をどこか期待していたのだ。
だが、ふたを開いてしまえば、これだ。
無論、それが不毛な落胆であると理解している。
もう、レギウルス・メイカはリーニャという少女へ徹底的に肩入れし助力すると、そう定めたのだ。
故に、順調に物事が進むのならば、それは僥倖以外の何物でもない。
だが、だが――。
「なんか、釈然としねえ……!」
「一人で何ぶつぶつ呟いているんすか。死ねばいいのに」
正論であった。
押し黙るレギウルスに対し、メイセはそっとアリシアを一瞥する。
ちなみに、その手の気配遮断を旨とするアリシアと、『賢者』の合作により気配遮断の効力が発揮される結界が張り巡らされている。
これで幾ら喧騒に塗れたとしても、誰も見向きもしないだろう。
無論、この緊迫した状況の最中でそんな蛮行に及ぶような阿呆は一人として存在しないというのが現実だが。
閑話休題。
「これで、私は終幕ですかね」
「いえいえ。まだ、色々とあるわ。――『祠』まで連れて行って頂戴」
「……『祠』、ですか」
「あら?」
『賢者』ことメイセが行使する『転移』の術式は不法侵入の際、これ以上なく猛威を振るう代物である。
故に、依然助力を乞うのも無理ない話。
だが、メイセは渋面し、そっと目を逸らした。
「――無理です」
「あー。やっぱり?」
「ええ。というか、懸念されていたのなら聞かないでください」
嘆息するメイセ、そして「はあ……」と重苦しい溜息をつくアリシアの袖を、リーニャは引っ張る。
「どういうこと?」
「空間魔術を会得している者は確かに微弱……でも、0じゃないのよ」
「故に、法国も相応の処置を施そうと躍起になるのが自明の理。『祠』周囲には濃密な魔力因子相殺結界が展開されています」
「……つまり、空間術の行使は不可能だってこった」
「ええ」
納得は、できた。
確かにそれは理にかなっているとそう納得することができる。
だが、今現在レギウルスたちが欲しているのは断じて納得などという生半可な自己満足の類ではないのだ。
切望するのは手段。
そして――隣には、それを旨とする智謀者が、一名。
「――アリシア」
「分かってるわよ」
名を呼ばれただけでアリシアはレギウルスが自身に如何なるモノを欲しているのか察し、息を吐く。
「無策……っていう無様は晒すまいな」
「誰に言ってるのよ」
「そうでなくきゃ」
そう、不敵な笑みを浮かべるアリシア。
(……似ているな)
誰に。
そんな問いかけは余りにも不毛だ。
少なくとも、メイルならば容易くレギウルスの胸を締め付けるその感慨の全貌を一目みて看破してしまえるだろう。
――誰に言ってんだよ
あの男は、どんな逆境でも薄い円弧を浮かべ、だからこそ殊更にクールだろと、そうほざいていた。
そして、レギウルスは片目をつぶるアリシアを一瞥する。
彼女からはこの窮地の最中にあっても特段取り乱すこともなく、いっそのこと鼻歌さえも奏でている様子だ。
それは、自分自身へ矛先が確定した揺るぎようのない自尊心故か。
「――――」
アキラは、どうだっただろうか。
あの不敵な笑みは果たして虚勢の類か、あるいはアリシアのように、心の奥底から沸きがった代物なのか。
今になって思えば、在りし日がセピア色に染まっていくようだ。
結局、レギウルスは今この日に至るまでスズシロ・アキラというあの華奢な少年について、考えようともしなかった。
その末路が、これか。
ならば、それは当然の帰結だろう。
自己本位な自分には、きっと自明の理の。
「メイカ」
「――――」
アキラは、最後の最後レギウルスと妹を庇って、そして出現した超常の存在――『厄龍』により八つ裂きにされた。
もし、あの場にレギウルスではなく、例えば『帝王』のようなもっと有用な、臨機応変に物事に対応できる隔絶した存在が居たのなら、あるいは結果は違っていたのかもしれない。
それもこれも、レギウルスがあまりにも惰弱だから。
アキラの死だって、レギウルスの脆弱さが呼び起こした末路と、そう解釈してもなんら申し分はない――。
「――メイカ!」
「……ぁ?」
不意に、強かな声音が耳朶を打つ。
それに目を丸くするレギウルスへ、どこか身を案じるような眼差しで、リーニャが上目遣いで問いかける。
「どうしたの? 何かい呼びかけても、全然応答しなかったし……」
「ああ……なんでもない」
「でもっ」
「なんでもないって。っていうか、お前こそもっと気を張れよ。俺なんかに頓着していちゃ、『聖女』なんかにはなれないぜ?」
「――――」
あえて、軽口ではぐらかそうと目論む。
だが、そんなレギウルスに対し、リーニャはどことなくアリシアを彷彿とさせるような、一切合切を見透かす神仏のような眼差しをし、それが射抜いた。
それだけで、心停止でもしたような錯覚に陥る。
そして――。
「――ん」
「っ」
嘆息。
それに伴い、リーニャはおおむろにレギウルスを視線から除外する。
同刻、それまでレギウルス・メイカの身を強固に苛んでいた呪縛による束縛が掻き消え、新鮮な空気が肺腑を満たす。
児童相手にこれだ。
『傲慢の英雄』も随分とおちたモノだ。
「……はあ」
見捨てられる……それと似て非なる、どこか母の抱擁にも共通するような温かさが宿った眼差しに射抜かれた。
きっと、見逃されたのだ。
それもこれも、リーニャの寛容さ故に。
「……こりゃあもう、どっちが大人で餓鬼か、分からなくなってきたな」
歯痒くも、見る見るうちに強かになっていく少女に、どこか親心のような部分が疼いた自覚のあるレギウルス。
「あいつだって、相当な心労を感じているんだ。……俺みたいな野郎が、これ以上その不可を増大させちまったら、いけねえよな」
鼓舞する心算でこうして同伴としいうのに足を引きずってしまったとなると、それこそ笑い話にさえならないだろう。
虚勢を張ってもいい。
せめて、あの少女にとってレギウルスという男が一助になっていれば、それで満足である。
「何やってんの、二人とも」
「なんでもない。ただ、メイカがぼーとしてただけ」
「あらそう。随分と情けないわね、あんた」
「やかましいわ」
「ハッ」
いつになく毒舌を発揮するアリシアに苦笑しながら、レギウルスは待ち受ける二人の元へ、小走りに駆けていった。
「報告。既定路線通り、彼らが法国へ足を踏み入れました」
「――。そうですか」
らしくもなく、老衰の起因となる時間という名の荒波に浸る初老の男は、目を細め――そして、どこか凄惨な笑みを浮かべた。
あるいはそれは、肉食獣が丁度視線上に都合の良い得物が転がりこんできたような、そんな表情だ。
「さて……ようやく事態が動いてきましたね」
既に、前準備は完璧だ。
精緻なプログラムさながらの計略を練った、さる少女の共犯者たる初老の男は、彼女そっくりな柔和な笑みを浮かべる。
アリシアのそれはと、全くの別物。
だが、それでも滲み出る悪意をベールで覆い尽くすことはできず。
「――――」
肌でその爛爛と輝く双眸に射抜かれた秘書官は冷や汗を掻きながら、それでも一切表情を崩すことはない。
彼の前では、一挙手一投足が命どり。
故に、黙秘こそ最喘息なのだ。
「――では、始めよう。我らの英雄譚の始まりを。そして、悪しき魔人族にとっての終焉を」
「御意」
そう、初老の男――『法王』グリューセルは、囁いたのだった。




