錫杖へ
――法国へ潜入するわよ
そう言い放ったアリシアに瞠目しつつ、頬を引き攣らせたレギウルスはなんとか声音を絞り出した。
「潜入って……中々どうして不穏だな」
「そもそも、この計略自体が物騒なのよ。今更かしら」
「……ハッ」
虚勢交じりに鼻で笑うが、それさえも児戯のようにアリシアは受け流しつつ、すっとリーニャへ視線を傾ける。
「もう、この男から聞いた?」
「……ん」
「なら、話は早いわ」
目を細めたアリシアは、滔々と事情を語る。
「そもそもの話、『聖女』と化するには色々と面倒なプロセスを踏む必要性があるわ。――その一つが、『儀式』」
「『儀式』……」
「字面のまま受け取らないことね。実際は、精神的な意味合いで物騒だわ」
「――――」
どこか苦しい表情をあらわにするアリシア。
だが、直後には張り付けたような微笑を取り戻す。
「『儀式』に挑戦するには、必然法国のさる機関――『祠』へ足を踏み入らなければいけないのよねえ」
「……だから、わざわざ不法侵入するって寸法だな」
「そういうことよ」
『儀式』や『祠』の詳細は依然として不明慮なのだが、それでも『聖女』と化するには法国へ向か分ければなならないことは理解できた。
ならば、自明の理として次点の議題も浮かび上がってくる。
「憂慮すべきは……手段か」
「御名答よ」
「褒められても、これを考慮すると全然嬉しくねえよ」
「あら、辛辣ね」
「――――」
それもそう。
なにせ、こうして『清瀧事変』がおさまっているからこそ戦乱にまで発展していないものの、依然法国とは険悪だ。
そんな彼らが、果たして身勝手に『聖女』となりたいとほざく餓鬼の容貌を逐一聞き入れるだろうか。
まして、その餓鬼は魔人族。
法国にとって不倶戴天の怨敵なのだ。
これらの事実から、もはや穏当に『儀式』とやらを済ませることが到底不可能であるとそう悟ることができた。
「……だが、お前のことだ。次策は存在するんだろ?」
「言うに及ばず、よ」
「ハッ」
もはや言わずもがなだが、アリシアという少女は『聖女』などという神聖な肩書に似合わぬ精神的な悪辣さを持ち合わせている。
用意周到なのは当然のこと。
十中八九、前準備を果たしているからこそ、こうして今回の議題を口にしているのだ。
「なら、お前は一体全体どんなモノを思案した?」
「そうはやらないで。でもねえ、私もさっさと済ませたいのはやまやまなんだけど……どうせなら、彼の口からそれを述べさせてもらおうかしら」
「彼?」
前触れなく吐露された『彼』という存在に胡乱気な眼差しをするレギウルスであったが、直後にはそんな余裕もなくなった。
なにせ――。
「――はあ、本当に、鬱屈、面倒、鬱屈としますねえ」
「――――」
ノックもなく、木製のドアを開け部屋へと足を踏み入れたのは、一人の長髪の美丈夫で――。
思わぬ人物の来訪に凝然とするレギウルスへと、その青年は怜悧な眼差しでみっともなく唖然とするレギウルスを射抜いた。
そして――。
「どうも、皆さま初めまして。――『賢者』ことメイセです」
そう、青年――『賢者』は、不敵な笑みを浮かべ、恭しく頭を下げたのだった。
「どうして……っ」
アリシアとメイセとの間に、なんらかのつながりが存在することは、数週間前の爆弾騒動の際に理解していた。
だが、それでもこのタイミングで足を踏み入れるという展開は、さしもアキラであろうとも予測できなかっただろう。
そんな、確固たる自覚がレギウルスには、有る。
「どうしたんですか、レギウルスさん」
「……お前こそ、どうしたんだよ」
沈静するレギウルスに対し、その奥底に宿った感情さえもうかがうことのできないような眼差しでメイセは一瞥する。
そんなメイセへ、レギウルスは敵意をあらわに牙を剥く。
「……そんなお前こそ、どうせこんなところにいんだよ?」
「ん。それを貴方に仰る義務なんて、私にはないですよ。――目障りなんで、とっとと視界からどいてくれます?」
「――ぁ」
悪感情は、容易くそれ以上の代物により塗りつぶされる。
メイセは、それこそ射殺せんとばかりにそれまでの機械的な仕草はどこへやら、これ以上なく感情をあらわにする。
それこそ、今にも飛びかかりそうな勢いだ。
その痛烈な眼光に射抜かれ、思わず硬直するレギウルスへ、メイセは怜悧な眼差しを向け、口を開く。
「そもそも、気安く話しかけないでくれませんか?」
「――――」
「貴方は、自分自身の手で天命よりも重要だと、そう嘯くモノを瓦解させた。私は、それを永劫許しませんよ」
「……俺はっ」
もはや、憤慨はない。
ただただ胸を飽和するのは絶え間の無い喪失感である。
レギウルスは、せめて言い訳の一つや二つでも口にしようとするが、それはメイセが遮るようにして声を張り上げたことにより中断せざるを得なくなってしまった。
「――では、アリシアさん」
「何かしら」
「いい加減、今回の一件で数か月前の一件について許しを得てもいいのでは? そろそろ、私の自由の身になりたいんですよ」
「あら。貴方はそんな指図ができる立場ですかね?」
「しないなら、それでいいんですよ。――僕は、僕のやるべきことをするまでです」
「――――」
凝然と目を見開くレギウルス。
メイセの瞳からは、並々ならぬ覚悟と決意が湛えられており、断じてそれが虚言の類ではないと証明している。
だが、それ以上にレギウルスが驚嘆したのは――重なったからだ。
――■■、■■■■■■■■■■■。
それは、誰の声音だったか。
メイセが言い放った声色を、確かにレギウルス・メイカはどこかで耳にしたのだ。
だが、肝心のその『どこか』が雲霞の如く漠然としており、依然として輪郭を帯びることはなかった。
ままならぬ事態に歯噛みするレギウルスであった。
だが、事態はそんなレギウルスを置き去りにし、更に進んでいく。
「……それは、脅迫かしら」
「いいえ。――宣戦布告ですよ」
「――。あの貧弱な男も、言うようになったわね。猫と添い寝するようになって調子に乗ったのかしらね」
「昔と今とでは行使できるモノが異なれば、必然合理に則った行動は多少なりとも変動する。ただ、それだけです」
「どうだか」
「――――」
依然として、会話の大前提が不明慮となってしまっているので、レギウルスも、リーニャもその真意をくみ取ることはできない。
だが、断じて両者の間柄が良好ではないこと程度は、察することができたが。
「はあ……この男ありてあの男あり……ままならないものね」
「おや、それは称賛しているのでしょうか」
「まさか。紛れもない罵倒よ。あんたも、あの男と同類視でもされたら相当な不快感を抱くでしょう?」
「いいえ――光栄ですよ、その評論」
「……訂正。あんたらは似ていないわ。あんたの方が、余程喰えない」
「それはそれは」
好々爺のような社交的な笑みを浮かべるメイセをしばらくアリシアは見据え……そして、「はあ……」と嘆息した。
「いいわ。あんたの要望、叶えさせてもらうわ」
「二言は、ありませんね?」
「勿論」
「それは、重畳」
メイセは深く息を吸い込み、吐息する。
刹那瞑目し、そしてどこか晴れやかな屈託のない笑みを浮かべながら、トントンと指先で錫杖を叩く。
その度に心地の良い金属質な音が木霊した。
「では、早速私は私でとっとと本懐を果たすとしましょう。――では、『天界』」
「――――」
一声。
それがトリガーと化し、刹那レギウルスの視界が霞み――そして、大理石の清楚な雰囲気が醸し出される、度し難い程に純白に包まれた街並みが映った。




