受け継がれたその感情の行き場は
「――――」
想像、したこともなかった。
突如として襲い掛かったその驚愕の事実に凝然と目を剥き絶句するレギウルスへ、なおもアリシアは声を紡ぐ。
「勘違いしてるかもしれないけど、私だって最初は唯の、本当につきなみにありふれた村娘だったのよ」
「――――」
「それが、あの日から――あんたのせいで、狂った」
「っ……」
レギウルスが壊滅にまで追い込んだ集落なんて、それこそ数える気さえ萎え果ててしまう程の物量だ。
故に、アリシアと思わしき少女なんて記憶の片隅にさえない。
それが、殊更に罪悪感という形でレギウルスの心を締め付ける。
「みんな死んだ。あんたに、殺された」
「――――」
「許すと思った? 受け入れると思った? 嗤って無かったことにするって、そう筋違いしてたのかしら?」
「――――」
「仮にそうだったら、笑いものね。――私は、いつだってあんたを想ってる。誇張抜きに、殺したくなる程に」
「……そう、か」
当然の、帰結。
それまでの友好的な態度がベールと化し、その激烈な憎悪が強調されるようなことなんて、なかったのだ。
罪悪感は、存在した。
だが、それは愛猫の敏感な尻尾を不慮の事故で踏んでしまったことに対する代物程度でしかないのである。
レギウルス・メイカはあまりにも人を殺め過ぎたが故に、その感覚が完膚無きままに麻痺してしまっているのだ。
「――――」
だが、こうして面と向かって弾劾されたのならば、どうだろうか。
自分が幼気ない少女を狂わせてしまったと。
そう自覚した刹那、押し潰されてしまいそうな痛烈な自己嫌悪が再発してしまい、レギウルスへと襲い掛かる。
憔悴するレギウルス。
そんな彼を見据え――直後、アリシアの細身が掻き消えた。
「――殺して、しまえばよかったの」
「――――」
切っ先が、かつての焼き直しのようにレギウルスの頑強な首筋へと添えられていた。
だが、あの時と異なる点が、一つ。
それは、アリシアは飽和する感情が爆発してしまい、これまでの努力を水泡に帰すような真似を全身全霊で阻止しようとしていること。
その証拠が、小刻みに震える刀身だ。
これは、アリシアの胸の内の葛藤の、何よりをも証。
そして、そんな本来ならば無縁だったはずの葛藤を抱かずにいられないようにしてしまった起因は――レギウルス・メイカ。
たった、一人なのだ。
「――――」
消えてしまえばいい。
この世から、『レギウルス・メイカ』という醜悪な存在が掻き消えてしまったら、どれだけ幸せだろうか。
もし、レギウルスの罪深さを証明するこの少女が、仮に屈託ない笑みを浮かべられていたのなら――。
そうなって、いれば。
「――殺したければ、殺せばいい」
「――――」
「だが、お前にはお前なりに、復讐についての計略が存在する。なら、俺は、精々それを受け入れてやるよ」
「……そう」
「――――」
返答は、震え、酷く弱々しいモノであった。
直後、それまでレギウルスの喉笛をいざ撫でようとしていた鋭利な短刀はアリシアの懐へ戻り――再度、華奢な輪郭が消失する。
「また、後で」
「――――」
『聖女』の名に恥じない壮絶な魔力をあてに脚力を我武者羅に強化したアリシアは、猛然とレギウルスへと背を向ける。
その表情は、常軌を逸した動体視力をもつレギウルスでさえも定かではなかった。
「――――」
土煙が止むと、無論そこにはアリシアに姿は存在しない。
その事実に目を伏せ、レギウルスはそっと目を伏せる。
「……どれだけ業が深いんだよ、俺は」
懺悔のような声音は、闇夜に溶け込んだ。
「――――」
手先が、震える。
それは、先刻の余韻が依然健在だからか。
否。
あるいは、もっと根底的な――。
「違うわ」
否定。
少女は、そっと目を伏せ、そして髪飾りへ指先を触れさせる。
雪の結晶を模した髪飾りは、不思議なことにこの季節だというのに、やけに肌寒かった。
まるで、すぐ傍らにあの子が居るような。
そんな、不埒な錯覚に襲われる。
「――それは、違うわ」
あの男は、妹を惨殺した。
村の、皆も。
なら、唯一の生き残りとして――妹の、あの絶叫を耳にし、温厚な彼女の身に宿った怨嗟を受け継いだ少女には、それを遂行する義務が、ある。
そうしなければ、ならない。
「ええ、それでいい」
自覚。
少女は、今更になって自身の身に課せられたそれを悟り――そして、機械疾な微笑を、ただ浮かべた。
涼風が、少女たった一人を、ただ撫でた。
「――――」
沈黙するリーニャに、レギウルスはそっと目を伏せる。
アリシアもどうせ告げるのだから、どうせならと、そう焦燥感にも似た思いでレギウルスは確定した事実を口にしたのだ。
それを耳にし、リーニャがどう反応するか。
満面の笑み?
代償に震えでもするのだろうか。
あるいは――。
分からない。
何が正解なのか、何も――。
「それは、真実?」
「……ああ。仮にこれが虚言の類だったら、死んでも構わねえよ」
「――――」
『誓約』を交わした状態で告げられた、確固たる事実に微かにリーニャの瞳が震えたような気がした。
そして――。
「――そう」
「――――」
リーニャは狂喜乱舞するわけでも、されど意気消沈することもなく、感情が伺いづらい曖昧模糊とした笑みを浮かべている。
その瞳の奥底に宿った感情を推し量ることは、きっと神々でも到底成し得ないだろう。
それを、レギウルス程度の凡人以下の存在が成し遂げるだなんて、到底不可能であった。
「……動揺、しないんだな」
「してる。色んな感情が飽和してる。しすぎて、真面に感情表現ができない。唯、それだけの話だよ」
「……そうか」
そいえば、この少女もなかなかどうして感情をあらわにすることを不得手にしているのだと、そう目を微かに見開く。
「……で、お前はこれから」
「どうする、なんて言わないで」
「――――」
「もう、とっくの昔にわたしはわたしの旅路の終点を決めている。――だから、今更それを揺らめかさないで」
「……ああ」
きっと、こうなるんだろうと、予感があった。
否。
それはある種の確信だ。
それでもこうしていざそれに直面してしまえば、流石に薄情なレギウルスとはいえどもくるモノがある。
「……そうか」
「……なんでお前がそんなに悄然としてるの」
「してねえよ。後、大人相手をお前呼ばわりするなよ。俺みたいな寛容な奴なら笑って過ごせるが、短慮な奴なら即座にキレちまうからな」
そう苦し紛れに嘆息するレギウルス。
そんな彼へ、無慈悲で酷薄なそれは容易く襲い掛かってくる。
「別に、そんな助言なんていらない。――どうせ、すぐに死ぬんだし」
「――ぁ」
無論、それは意図したモノではない。
だが、こうしてその一言がどれだけ目下のか弱い少女を無遠慮に激震させてしまったと知ってしまったのだ。
込み上げてくる感情も、人一倍鮮烈だ。
沈黙するレギウルスの悄然とした感情を過敏に察知し、リーニャもそれにならおうとしていたの瞬間――。
「――あら、あんたが一番乗りかしら?」
――もはや感傷に浸っている暇さえないと、そう痛い程痛感した。
足を踏み入れたのは、悠々とした雰囲気の、清楚な装い、だがその性根はアキラばかりに腐り切った『聖女』だ。
彼女は、一目見て何が生じたのか、悟ったらしい。
故に、殊更に深い笑みを浮かべる。
「あんたも、リーニャちゃんも――そして、私の覚悟もこうしてより強かな覚悟を成せたようだわ。なら、僥倖よ」
「――――」
そして――その声音が、紡がれた。
アリシアは、口元に『聖女』らしい楚々とした微笑を浮かべ――言った。
「――法国へ、潜入するわよ」




