正に人生クソゲー
あくまでも、技巧の向上はついでです。
化け物と永劫死闘を演じていると自然と強くなっていくという寸法です。
一歩。
全神経を研ぎ澄ませ、それを成す。
「――ッ」
「……ふうん」
少女――リーニャは、一応は師範たる存在であるアリシアへと、気配を押し殺すこともなく飛びかかった。
それは理性無き獣の蛮行。
だが、アリシアはその奥底に見え透いた真意を看破する。
「……ブラフね」
直後――リーニャの輪郭が掻き消える。
常人――否、ある程度の武を納めている者ならば、先刻の阿呆な暴虐にリーニャを失望、落胆――そして、慢心していただろう。
だが、それは余りにも露骨。
断じて数か月もの間血の滲むような凄惨たる地獄を味わった者のそれではない。
それを、アリシアは誰よりも知っている。
故に、急転した緩急に動揺することも、ない。
「――っ」
「練度も中々……でも、息は殺せてないわよ?」
「――――」
滾る全身全霊の魔力を以て極限にまで脚力を強靭化。
今やリーニャの速力は音速をゆうに超え、レギウルスでさえも冷や汗を流してしまう程のモノであった。
それは、埋め込まれた魔晶石の元の主故か。
そう判断づけ――アリシアは、鞘に納めた愛刀を腱の部分へ、さながら流れる水が如き自然さを以て添えた。
直後、甲高い金属音が木霊する。
「ッ!」
「まだまだね」
確かに、一時の蛮行により敵対者の意識に些細な綻びを生み出し、その直後に壮絶な速度を以て翻弄する戦方はなかなかどうして有用だ。
だが、それは相手が稀代の『聖女』でなければの話。
たとえ常軌を逸した脚力を以て姿をくらませようとも不毛だ。
足音、吐息、拍動。
そういった些末な情報を総合、それから推察すれば、座標なんて周知の事実のようなモノなのである。
「仮に私相手に背後を取るのなら、幽霊でもなきゃ無理よ」
「……流石生粋の暗殺者」
「『聖女』の間違いね」
「――――」
だが、リーニャもめげない。
この程度で諦観していれば、とっくの昔に煉獄さえも生温いと言える程の鍛錬の日々を謳歌できていない。
一旦、形成を立て直す。
そういった心意気でバックステップし、アリシアから距離を取るが――奏でられた足音は、依然遠ざかることはなかった。
「これでも速度なら分があると思ってんだけど……」
「そういうところが甘いわね」
「くっ……! 言い返せないっ」
「はっ」
猛烈な勢いで後退する。
が、アリシアはなんでもないようにリーニャの全力、それをゆうに上回った代物さえも否定してしまう。
もはや、リーニャからはもっかの存在は断じて『聖女』なんていう神々しい響きのモノではなく、さながら悪鬼羅刹の存在のようにしか感じられなかった。
無論、そんなことを言ったら確実に折檻されるだろうから黙秘するが。
「それじゃあ、そろそろ攻勢に回ろうかしら」
「――――」
間延びするような、どこかとぼけた声音。
だが、直後にその華奢な身体から溢れ出したのは、たとえ『老龍』であろうとも涙目で逃げ惑ってしまうような、それほどの気迫。
それに絡めとられ、呼吸さえも困難になる。
一応、これでも慣れた方なのだ。
当初はそれに直面した時点で無様に白目を剥いて失神してしまったのは苦い記憶、あるいは黒歴史である。
だが、こうしてリーニャも化け物ともいえる存在と対峙できている。
その事実で無理矢理リーニャは自信を奮い立たせ鼓舞し、そのまま来るべき嵐風が如き猛攻へ備え――。
「――――」
――トンッ。
右から、足音。
だが、リーニャは会得したばかりの気配感知魔術をフル活用し、意図的に断片程度の情報までは隠匿されていないそれを発足した。
真なる気配は――背後。
「残念、真正面よ」
「!?」
では、ない。
アリシアは『聖女』として獲得した無尽蔵のエネルギーにより、対面しているのにも関わらず自身の気配の一切を遮断したのだ。
感じ取った気配は露骨な罠。
それを理解し、リーニャは歯噛みし――。
「――一本」
――そして、くるくると独楽のように宙を舞った。
「控えめに言って、あの人は頭おかしいと思う」
「同感だ」
満身創痍のリーニャに対し、丁度用事も済ませ、冷やかしに来たレギウルスはモルモットでも見るかのような眼差しをする。
きっと、その認識には相違ない筈だ。
殊更、不満に拍車がかかる。
「……せめて、なにか進言してくれたらいいのに」
「安心しろ。薄情な俺はたとえか弱い女の子が無様に叩きのめされても鼻くそほじって暴漢するような男だから」
「最低男まったなし!」
「さて、なんのことやら」
と、飄々と返答するのは、大柄な青年――レギウルス・メイカだ。
あの事件以降、せめてもの罪滅ぼしとばかりに、魔人国の治安を維持するような活動に邁進しているらしい。
無論、その真意なんて知れたモノ。
最低限の配慮ができるリーニャは別段それを指摘することはないのだが、不快感を憶えないこともない。
無論、だからなんだという話でもあるが。
それと、邪険にできない最もたる要因は、どことなくレギウルスから憧れにも近い眼差しをおくられているからか。
後、単純に差し入れが嬉しい。
「お疲れのリーニャちゃんに、寛大な俺からお見上げだぞ」
「寛大って、辞書で調べて……牛丼!?」
「おお、お子様にとっても俺にとっても大好物の牛丼だ」
「おお……たまには、たまにはやる男っ」
「一言余計だ」
手提げから醸し出されるのは、否応なしに食欲を刺激してしまう香ばしい肉汁が放つ甘美な香りであった。
それが鼻腔を満たしてだけで腹が膨れ上がった気さえする。
貧民街に住んでいた者にとって、牛肉なんて贅沢品――否、もはやある種の金塊にも似た価値の品物であった。
ある程度はこうした食事ににも慣れてきたとはいえども、やはりこの歓喜を忘却することは断じてないだろう。
熾烈極まりなき鍛錬に相当体力も疲弊しきってしまったのは、殊更に狂喜乱舞すべき事態であろう。
そう思案し、直後リーニャは理性なき獣のように箸も使わずそれに貪り喰らおうと――。
「お前は犬か」
「……その認識は、不本意っ」
「そういう反論は箸くらい使えるようになってから言うんだな」
「くっ……!」
どこか共感にも似た感情を瞳に宿し、生暖かい眼差しを向けるレギウルスにやや頬を紅潮させながら、リーニャはひったくるように手元に握られている箸を簒奪、そしてそれを覚束ない仕草でなんとか握る。
貧民街にいたことろ雑草で餓えた腹を満たすことさえも日常茶判事であったリーニャが箸なんて上等な文化を知り得ているワケがない。
一応はレギウルスもちょっとした同居のよしみで指導しているが、やはり本人曰く手で貪り喰らうのは一番適しているらしい。
もちろん、その気持ちは分からないモノではない。
だが、一応はリーニャも一端の女の子なので、そうした挙動にはいい加減気を遣って欲しいモノである。
「美味……美味……」
いっそ滂沱の涙さえも流す勢いで舌という感覚器官を刺激するその味わいに感服するリーニャであった。
そんな彼女へ、レギウルスは流し目をおくりつつ近況を尋ねる。
「で、最近どうだ?」
「――聞きたい?」
「イイデス」
虚無の眼差しで問い返され、そっと目を逸らすレギウルス。
嫌な予感に本能が警鐘をけたましくならすが、されど脅威という概念は容易くそんな抵抗を無為にする。
「聞いてよ! あの女、絶対頭おかしいって! なんで毎日毎日あの女に叩きのめされないといけないの!? 蟻が巨人に果敢に立ち向かえっていうようなもんじゃん! だってのに、あの女私が倒れるたびにねちねちと耳が痛くなるような嫌味を垂れ流してくるんだよ!? っていうか、そもそも――」
「あー」
嗚呼、また愚痴のスパイラルが始まるのか……。
そう、レギウルスは諦観しながらも、悲痛に声を張り上げるリーニャへ耳を傾けた。




