掻き立てる悪寒
――アリシア。
その一言が耳朶を打った瞬間、鈍感なレギウルスでも容易く判別できる程にメイセが驚嘆に息を呑んでいた。
あるいは、それは突然背後から刺されたような衝撃か。
レギウルスも、詳細は依然知り得ないままだ。
アリシアから、仮にメイセへ協力を仰ぎ、そして失策してしまった場合にのみ口にしていいと、そう許諾された四句。
そして、それは今この瞬間これ以上なく猛威を振るっている。
「そんな……どうして彼女がっ。というか、何故よりにもよって、貴方が何故あんな女の名を……?」
「紆余曲折あって、今は共闘してる」
「……は?」
目が点になる。
そんな用句を迷わず連想させる程に、今度こそ明確に驚愕をあらわにする。
「……御冗談を」
「あん? 別段、虚言の類じゃねえぞ。そもそも、どうしてお前はあの女のことを……」
「――ちょっと、黙っててください」
「――。おう」
追及しようとするレギウルスの出鼻を、メイセは「あー」と思わず天を仰ぎながら、そう低い声で挫く。
そして、数秒の熟考。
それが幕を閉じた頃には、頭痛を堪えるような表情をしたメイセが、肩を落としながら渋々とレギウルスへ向き直る。
「話が変わりました。私も、この騒動の収束に協力しますよ」
「……おいおい、一体全体どんな心変わりだ? つい先程まであれほど酷薄に魔人族を見捨ててきた野郎の台詞じゃねえぞ」
「……図々しいですね、相も変わらず」
「――――」
そう断じ、メイセは「はあ」と嘆息する。
「詮索禁止、そしてアリシア嬢との面会。これが強力条件です」
「……そうか」
正直、問い詰めたいことは辞書程度では収まり切れない程の存在する。
が、沸き上がる疑問符を正そうとすれば、それは契約条件の『一切の詮索禁止』を反故にしてしまうことになる。
そうなってしまって今更加勢を拒絶されてしまえば立つ瀬もない。
故に、此処は何も見ないふりだ。
そもそも、誓約云々にこのひねくれ者が真面に受けごたえする情景が恐ろしい程に浮かび上がらないのだが。
と、苦々しい顔をするレギウルスへ、メイセは「ただし」と付け加える。
「忘れないように。あくまでも、私が協力するのはこれが最初で最後。次だなんて、それこそ夢のまた夢です」
「――――」
「貴方の咎を許したワケではない。それを、ゆめゆめ忘却しないように」
「……分かってるさ」
険しい眼光で射抜かれ、俯くレギウルスであったが、特段メイセは留飲を下げた様子もなく、不機嫌に『転移』を行使。
レギウルス?
無論、置いてけぼりだ。
「……は?」
この後滅茶苦茶走った。
「遅かったですね」
そう、淡々と息を絶え絶えなレギウルスへと、怜悧な視線を向ける現『賢者』に、レギウルスは思わず額に血管を浮かべる。
あの後、レギウルスは当初アリシアと設定してあった集合地点に向かったが、いざ足を踏み入れてみるとそこには人気の一つさえなかった。
十中八九、これも嫌がらせの一環だとガバルドが悟ったのは、香ばしい煽り文句がつづられたポスターを発見した時であった。
こんな鬼気迫った状況でそんな芸当、本当にどうかしてる……。
そんな呆れともつかない感情と、同時にその脳天を刺し貫いてしまいたいという残虐な憤慨の念に苛まることに。
結局、嗅覚を頼りになんとかしたが、常人ならばこの状況も相まって発狂して然るべき状況であっただろう。
無論、真に合流したレギウルスを満面の笑みで迎え入れたアリシアの顔面にそれまでの葛藤の一切合切を投げ捨て精一杯拳を振るったが。
それを予測し、さも当然とばかりに回避するアリシアへ、軽いどころか激烈な殺意が沸き出てくる。
が、レギウルスとてそんな些事に気を取られるような無様は無い。
レギウルスは、心を強く保って、この痛烈な疲労感の発端となった『賢者』を殺人鬼さながらの眼光で睨み上げる。
あるいは、それは親の仇を睥睨するような眼差しか。
だが、強かな『賢者』は特段気にする素振りも見せることはなかったが。
「手前、次あったら整形してやんよ。その女か男なのかもはっきりしない顔面を、もっと男前に砕いてやるっ」
「はてさて。今の脆弱な貴方にそんな大道芸なんてできますかね」
「――――」
なんともタイムリーな皮肉に殊更憤慨するが、それと同時にうしろめたさも感受してしまい、目線を逸らしてしまう。
そして、そのままある人物と目が合った。
「あら。メイセに比べたら遅かったわね」
「お前もかよ……」
そこには、この火事場の最中でも血の一滴たりとも滴ることもなく、悠々とした心意気でアリシアが佇んでいた。
そんな場違いな挙動に、レギウルスもカチンとくるが、ここは我慢だ。
「……で、戦局は?」
「メイセが万事解決してくれたわよ。住民の一切はとっくの昔に非難を完了しているわ」
「……それはそれは」
いよいよ、自分の存在意義が分からなくなってくる。
別段、示威的な欲望なんて皆無であったが、それでも人として少々自分の無能さに嫌気が差してきただけである。
と、心なしか悄然とするレギウルスへ、アリシアは薄い笑みを浮かべる。
「さて。そろそろ撤収するわよ。烈火なんて、もうとっくの昔に収まっているんだし」
「……そういや、そうだな」
そもそもレギウルスは『傲慢の英雄』に至るまでの過程で、幾度となく挫折と苦痛を味わってきた。
いっそ、慣れ過ぎてそれを感じ取る器官が麻痺してしまう程度には。
完全ではないし、ある程度は感じ取る。
というか、痛覚自体は健在だ。
あくまでも、レギウルス・メイカは感じ取った激痛を不要だと切り捨て、視線を逸らすだけである。
それ故に、烈火の熱波ならば、精々蚊に刺された程度にしか感受することができないのである。
正直嗅覚に没頭しすぎて他に目を向けることを忘却してしまい、道中に展開されていた炎熱の収束の是非なんて気にもしなかった。
目を丸くするレギウルスへ、呆れたようにアリシアは呟く。
「炎熱は、中々に罪深いわ。器物損害はもちろん、その他大勢の人々を殺害した。それだけの大罪を侵していながら、私の魔術から逃げられる道理なんてないわ」
「……お前の魔術ってのは」
「秘密よ」
「デスヨネ―」
固有魔術の情報秘匿は魔術師にとっての、如何なる結界術にも匹敵する最高峰の防御手段であるのだ。
そんな条理を聞き入れない程にアリシアは阿呆ではない。
それを予測していたレギウルスは、思わずそんな棒読みボイスが垂れ流してしまう。
「……では、私はこれで」
「あっ」
と、そんなレギウルスへメイセは別段視線を傾けることもなく、淡々と『転移』を行使し、その輪郭を掻き消す。
どうやら、和気藹々と雑談に興じるような甘ったるしい意思は皆無なようだ。
それも、必然のこと。
メイセのあの眼差しに宿った確固たる敵愾心をくみ取ったレギウルスだからこそ、その独断専行を咎めきれない。
「……俺は今回ほとんど活躍できてなかったから、精々復興に尽力する。お前はもう、二度と姿を現すなよ」
「あら、随分と辛辣ね」
「元来、下町では素性さえ知れねえ奴を信じちまったら再度、そのまま身ぐるみ剝がされるのが請負だ」
「それはそれは」
なんていいつく、アリシアは一切レギウルスから背を向ける気配を見せない。
そんな強情な彼女にレギウルスは思わず頬を引き攣らせ、そして不意に怪訝そうな顔をする。
「なあ、アリシア。……なんか、地下に魔力感じねえか?」
「――――」
それは、ミジンコ程度の些細な魔力の躍動。
だが、これだけのテロ活動が実行されたこの場において、それが齎す意味はあまりにも絶大で――。
「――ッッ」
紅血刀が流星が如く土砂を巻き上げながら大地を穿つ。
それを幾度となく繰り返し――そして、レギウルスは目撃した。
「この魔法陣……」
どこかで……確か、真っ先に足を踏み入れた住居で偶然見つかり、直々に手を下した奇妙な魔法陣と端々が共通するモノが目に留まる。
そして――。
「――『起動』」
その一言が、木霊する。




