狂喜乱舞
「――あら。遅かったわね」
声が、投げかけられる。
それだけ切り取ってしまえば、それは月並みにありふれた発言であった。――発言者が聖女でなければ。
「…………」
なんとなく、やるせない気持ちを発散すべくレギウルスはいきつけの酒場へ足を踏み入れ――そして、聖女と目が合った。
明らかに、レギウルスしか見えていない聖女と。
間抜けな顔を晒して絶句するのも必然だ。
「どうして、ここに……」
「あら、その面食らった顔、いいわね。百億の名画にも勝る」
「――――」
何とか聖女という最低最悪の存在から離脱し、ほとぼりが冷めたと筋違いしたが故の末路がこれである。
渋面するレギウルスだったが――。
「所要がある」
「ちょ!?」
そう、一言告げレギウルスはなるべく酒屋の建築物を破砕しないように細心の中を払いながら、聖女へ背を向け――。
「――あらあら、ご主人様から逃げるなんて悪い子ね」
「なんで並走してんの!?」
られることもできず、さも当然とばかりに光と化し自分へと並走する聖女にツッコんでしまったのも無理のない話だ。
レギウルスの脚力は『自戒』により既存のそれを遥かに超越している。
何故、それに人間が――。
「――愛よ」
「――――」
「あんたを苦しませたい。これ程の情念が、愛以外のなんだって言うのかしら」
「…………」
もはや、呆れもしない。
どこまでもマイペースな聖女にレギウルスは辟易し、面倒だが足を引っかけ、転倒を誘発させようと――。
「甘いわ」
「すわっ」
したが、やっぱりやられ返されてしまう。
卓越した技量によりレギウルスへ一本取った聖女は、そのまま強靭な動体へと、鋭利な短刀を突き刺した。
「がっ……」
「あら。痛みにはなれているのね」
どうやらアーティファクトの類だったらしく、その短刀はレギウルスのおぞましい程の魔力によりコーティングされた筋肉さえも突き抜けていく。
それと同刻、口内が鮮血で溢れかえった。
だが、どうやら戦士として戦場で負傷するのにあまりにも慣れてしまったようで、それ以上も以下もないようだ、
そんな薄いリアクションに聖女は不満げだ。
「――やっぱり、身内を殺すべきかしら」
「――ッ!?」
嫌気が差した聖女が放ったその一声に、思わずレギウルスは凝然と目を見張る。
その反応はどうやら聖女にとってドストライクだったらしく、「いいわ……とってもいいリアクションよ!」とほざく。
「ええ、あんたって相当身体的苦痛に慣れてるじゃない? でも、精神は? 存外脆弱なんじゃないかしら」
「――――」
沈黙は何よりをも肯定。
馬乗りする形でレギウルスのマウントを取った聖女の口が裂け、細められた瞳からは絶え間なく愛で補装された悪意が溢れ出していく。
「やっぱり、図星?」
「……だったら、どうする?」
「もちろん、みーんな殺すわ! 老若男女の貴賤なんてない! 無慈悲に! 無感動に! 無遠慮に! ――まるで、あんたみたいに!」
「ッ……!」
最後の最後に付け加えられた一言はこれ以上ない程にレギウルスの最も繊細な部分を深く深くえぐる。
「理不尽の根源に理不尽に殺されちゃう! そんな光景をあんたが見たら、あんたはどんな顔をするかしらね? ああ、下着が濡れちゃうわ! 想像しただけで馬鹿になっちゃいそう!」
「……化け物がっ」
もっとも、目下の強靭を産み落とした張本人こそレギウルス・メイカその人なのだが。
そんな度し難い事実にただえさえ鬱屈とした心境に拍車がかかり、どうしようもないとばかりに嘆息する。
「……なら、その前に俺が自刃でもしたらどうする?」
「あら。お仲間のために自らの生命さえも人質にするその気概、中々に健気だわ。壊し甲斐があってなによりよ」
「……この性悪っ」」
「誉め言葉よ」
うっとりと頬を染めるアリシアは、いつになく透徹した眼差しで先程のレギウルスの提言に回答する。
「あんたのその脅迫、余りにも杜撰よ。そもそも、あれほどまでに死を欲しているのならさっさと自害するのが道理だわ」
「――――」
「それをしないのは、何故? そんなの自明の理よ。怖いんでしょ、自分の肉体に鋭利な刃を突き刺すのは」
「っ……! それは……」
アリシアの一切合切を見透かしたような瞳に不快感をあらわにするが、それも中途で霧散してしまう。
なにせ、彼女が言い放った声音の一切は的を射ているから。
口答えせず、恨めしそうに睨み上げるレギウルスに対し、アリシアは殊更に情欲しながらも、理知的な理論を口にする。
「たとえあんたはそれで丸く収まると知っていても、誰かのために死ねないわ。そう、自覚してるんでしょ?」
「――! お前に、何が分かるっているんだよ!」
「分かるわよ、一切が」
「――――」
激発するレギウルスを、アリシアは余裕綽々な態度を一切崩すことなく、すっと怜悧な瞳で射抜く。
「幾年、あんたを想い続けていたと思う?」
「――――」
「知ってる? これでも、何度か秘密裏に逢ったことがあるの。その時はまだ実力不足だったから手出しはしなかったけど、それでもあんたのその可哀想な性根のおおよそは把握できたわよ。だから、どうしてそんあ目をするのかも推察できる」
アリシアは、深淵が如く、葛藤と壮絶な自己嫌悪により濁り切ってしまったレギウルスの双眸を一瞥する。
「というか、自覚するのが遅すぎるのよ。第三者である私ですら容易く看破できるような事項を、どうして何百年もかかっているのやら」
「…………」
呆れ果てたようなアリシアの声音だったが、そのどれもがレギウルスの心の奥底の最もか弱い部分を強く打ち付ける。
こうして俯瞰した視点から糾弾されると、色々と思うことがあるらしい。
そんなレギウルスを、アリシアは恍惚とした表情でその瞳に確固たる狂気をにじませながら結論を叩きつける。
「あんたは、結局自分のために生き足掻くことしかできない。でも、それでも不完全なことに身内が傷つけば、相応に感傷に浸ることはできるわよね」
「お前……」
まるで全知全能の神のようにレギウルスを知り尽くしたその声音に、さしも彼でも頬が引き攣ってしまう。
同時に、鮮烈な自身に対する再度の失望も沸き上がった。
――一人ですよ、貴方は。
その一声が、これ以上なくレギウルスの心を抉る。
際限なく溢れ出す自己嫌悪の念に俯いてしまうのも仕方がないのかもしれない。
だが、目下の最大の理解者を嘯く少女はその程度でははなから満足なんてしやしない。
「あら。落ち込んじゃったわね。他者の心情の機敏にはあれだけ疎いのに、どうして自分自身をかえりみるとこうも感情が揺れ動くのかしら」
「――っ」
「惨めね。この上なく無様だわ。あんたはもう『傲慢の英雄』なんかじゃない。――唯の、一匹狼よ。そんなあんたに、果たして人質なんて有用かしらね」
「……確かにな」
「あら。認可するの?」
「……流石に、もう誤魔化しきれねよ」
「あらそう」
なけなしの矜持がアリシアの叱責により容易く掻き消されてしまい、あろうことか瞳さえ潤ませるレギウルス。
もはや、『傲慢の英雄』なんて見る影もない。
ただただ陰鬱な感情だけが、レギウルスを支配し、痛烈な諦念がこれ以上なく魂を侵食していった。
それまでそれを疑うことさえなかった絶対の価値観が、こうも呆気なくハリボテだと、そう切り捨てられたのだ。
屈辱的な感情さえ皆無だ。
存在するのは、空虚な諦念と、そしてとめどない落胆である。
「――――」
そんなレギウルスにアリシアは薄く微笑みながら、いよいよ最終段階へと移ろうと――。
「ッ」
――直後、強かに廃墟に爆音が木霊していった。




