聖女として
「――俺を、殺せ」
その一言に、それまで残虐にレギウルスを殺害してしまおうと目論んでいた刺客の斬撃が、ぴたりと停止する。
そして、刺客はレギウルスの瞳を一瞥した。
「……っ」
その双眸は、かつてない絶望が染まり切っており、吐き気がよだつほどこの世の一切合切に諦観していた。
典型的な自暴自棄だ。
そのようなモノ、この激烈な復讐心の前には無意味――。
「なあ、ありがとな、お前」
「――――」
「きっと、俺はお前を好きになれない。――だから、心地よいいんだ」
「…………」
絶句する刺客に対し、レギウルスはにっこりと笑みを浮かべる。
「だから、お前みたいにただただ純然に憎悪だけで俺を殺してくれる奴には感謝しかない。――本当に、ありがとう」
「――――」
一体全体、あの男に何があったのだろうか。
あれほどまでに傲岸不遜という四字熟語を体現したような青年の瞳には、とっくの昔に生きる意味を失っていて。
「……一つ、聞いていいかしら」
「なんだ?」
レギウルスは、「まだ殺さないのか」とやや落胆したように頭髪を掻きながら、一応返答する。
その、余りに場違いな態度にどこか憤慨してしまう。
「何故、あんたはそんな目をしている?」
「――――」
「あの時は、もっと違ったでしょ?」
「……まあな」
『傲慢の英雄』は、まるで無遠慮にカサブタでも剥がされてしまったかのような苦々しい顔色で首肯する。
そんな殊勝な態度に、殊更疑問符が浮かんで来た。
何故、この男は変わった。
それだけが、不明慮――。
「――言わん」
「――――」
「生憎、俺の黒歴史は墓場まで持っていくって決めたんだ。そして、この路地裏がその墓標さ。――殺せ」
「……そう」
こちらを見据える『傲慢の英雄』から伝わってくる確固たる意志に、刺客は「はあ……」と嘆息する。
そして――。
「なら、お望みどおりに」
「――――」
そして、その切っ先を深々とレギウルスの眼球を突き刺した。
それと同刻、それまで強靭な頭蓋骨により保護されていた脳漿もついでとばかりに周囲に炸裂する。
溢れ出る鮮血は濁流が如く、だ。
だが、レギウルスはうめき声の一つさえ出さない。
そればかりか、かえってうわごとのように「ああ……ああ……待たせたな。今、そっちに行くっ」と呟く。
それを一瞥し、刺客は瞑目する。
そして――。
「――止めだ」
「――ぁ」
そして、なんら躊躇することなく刺客は突き刺していた刀剣を引き抜き――洗練された流麗さで、納刀した。
その光景に、レギウルスは片目だけで目を見開く。
だが、真の絶望は、まだこの先。
「――『聖典』」
「な」
刺客が紡いだその一言により、もはや取り返しようのない重傷を負っていた筈のレギウルスを眩い陽光が包み込む。
それに呼応し、満身創痍の重傷も次第に修繕され……。
「止めろ……」
「止めない」
その瞳に宿った絶大な落胆――そして、耐え難き絶望の感情に、刺客は聖職者らしからぬ凄惨な笑みを浮かべる。
そう、別段殺害が必然なワケではないのだ。
刺客の悲願は、『傲慢の英雄』へと精神が壊れる程の苦痛を与えること。
果たして、あのままではそれは果たされていただろうか。
否。
断じて否。
そう少女は苦悶に満ちた表情のレギウルスに酷くご満悦なようで、更に治癒魔術のギアーを一段階上げる。
「止めろ――! お前は俺を殺したくないのか!? 殺したいんだろ! だからこんな人気のない場所で襲撃したんだろ!?」
「――――」
「殺せよ! 殺してくれよ!」
「駄目よ」
「――――」
そして刺客は、その円弧を唇で描きながら、必死に嘆願するレギウルスを嘲笑うようにその顔面を踏み締める。
「ねえ、今どんな気持ち?」
「なに、を……」
「死にたかったんでしょ? 消えちゃいたくて、どうしようもなかったんでしょ? ――そんなあんたの悲願が踏みにじられた時って、どんな気持ちなの?」
「――ッッ」
不意に、それまでやりたい放題に玩具の如く弄ばれていたレギウルスの瞳に、確固たる激怒の情念が浮かぶ。
そして、激昂するレギウルスはその感情に身を委ね、刺客の華奢な首筋を握る。
「殺せば良かった! それで万事解決なんだよ! どうしてお前はそんなことも理解できねえ愚図なんだよ!?」
「度し難い愚図はどっちよ」
刺客は、常軌を逸した膂力により絞められているのにも関わらず、平然そのものの態度でレギウルスを見下ろした。
「私はねえ――あんたが大っ嫌いよ」
「――――」
「ミーニャも、レオンも、アーリャ―も、グロウも、エースも、皆惨殺された。他でもない、あんたに」
「――――」
「私一人だけが残ったのよ? まるで、一人で孤独と無力感を噛み締めろとでも言うかのようにね。だから、散々辛酸を深く深く味わった。そして、この孤独をどうにかする方法は即座に浮かび上がった。――あんたを、苦しめばいい」
「――――」
「私と同じくらい……いえ、それ以上よ。もっと、もっと苦痛に喘いで。発狂したって構わない。私が、聖女として精神さえも治癒してあげるから」
「――――」
「そうして、あんたは正気のまま狂い果てる。何度も、何度も死にきれず。苦悶に満ちた声音を木霊させてね」
「――――」
「私、確信してるの。あんたに生まれてこなければ良かったって、そんな言葉を幾度も幾十度も幾百度も幾千度も言わせて、矜持も理性も投げ捨てて、永劫絶望の淵に浸ってくれたら――私、死んでも構わない!」
「――――」
――それは、純然たる畏怖。
元来、レギウルス・メイカは恐怖を感じ取る心の機関を欠如していた。
なにせ、そのような些事を気にしていれば、きっと今頃この路地裏を生きていけなかったのだから。
精神面で相当脆弱になったのもある。
だが――何より、レギウルスはただただ狂笑するこの少女が、心の奥底から恐ろしかった。
ただ、それだけなのだ。
「さあ、あんたの苦痛を聞かせて」
「……はなから殺す気はねえみたいだな」
「当然よ。これから屋敷へあんたを持ち帰るわ。一生面倒見てあげるから、代わりに一生咽び泣いてね」
「――――」
これはまた高尚な未来設計図だ。
この眩さに主業反吐が出てしまう程に。
故に――。
「――期待外れだ、小娘」
「えっ」
レギウルスは、心底失望したとばかりに肩を落とし――直後、傲然と跳躍し、瞬く間に暫定聖女から離脱していった。
「……逃げられたわね」
刺客――今代聖女、アリシア・R:グロウは目を細める。
だが、その頬は本望を果たし損ねたというのに、まるで恋する乙女のように紅潮し、上気していた。
きっと、これははなから信望しちゃいない高尚な神様からの、ちょっとしたサプライズだ。
――即ち、復讐への前準備さえも愉しめ、と、
「ふっふ。いいわ、神様。久々に拝んであげましょうかね」
そう、アリシアは聖女らしからぬ発言をしながら、嫣然と微笑む。
そして、懐かるある銀盤を取り出した。
「『羅針盤』……ルシファルス家さまさまだわ」
『羅針盤』は三代目ルシファルス家当主が制作したアーティファクトであり、その本質はひとえにマーキングだ。
あくまで人員は限られているが、それでもハッキリとレギウルスの姿は目に浮かぶ。
「捕まえたら、どうしましょう。自分自身の臓腑を刳り貫かせて、それが何色なのか復唱させるのもいいわ。あら、でもやっぱり身体的苦痛じゃ物足りないかしら。あっ! だったら、レギウルスの身内を皆殺しにしましょう! そしたらさしもレギウルスでも泣き叫ぶよね! ああ、想像しただけで可笑しくなりそうだわ」
――武闘派聖女からは、逃げられない。
聖女ちゃん、千鳥のクセが強いグランプリに出場したら何食わぬ顔で優勝してそう。




