アイビー
前後の緩急がスゴイ。
――それは、寂れた大樹だった。
そもそも魔人国の大地は気候的な要因により砂漠化することもできず、さりとて健全でさえない中途半端な渇きにより満たされていた。
そしてこの森林は、本来子葉が芽生えない筈のこの国における数少ない例外である。
「――――」
森が、開けた。
メイルの強かな一閃を以てそれまで俺たちの行き先を遮っていたその樹木の一切を蹴散らしていく。
木々が肌を掠めた。
だが、今やそんな些事を気にする余念も無く。
「――ふんっ」
「っ」
そして――陽光が、瞼を刺激する。
燦然と輝く太陽に思わず目を細め――固まってしまった。
なにせ、ようやく到達したそのたった一本の樹木はもう数百年も経つのに、あの頃と何一つ遜色がない。
まるでそれは、俺たちの見えぬ糸はまだ生きているとでも告げるように。
「……はあ」
馬鹿らしい。
そう、思わず抱いてしまった淡い希望的観測を断じることもできたが……きっと、それは酷く野蛮な所業だろう。
もしかしたら、まだほつれていないのかもしれない。
幻想だ。
下らぬ、理想の類だ。
――だが、それでもいいんじゃないかと、そう思えてしまうのは成長の証だろうか。
分からない。
ただただ言語化し難い感情が幾度となく胸元を飽和し尽くし、これ以上なく切ない情念が沸き出てくる。
あるいは、それは恋情とも同類視すべきなのだろうか。
「……ホント、変わらないのだ」
「……冷静に思案するとヤバいよな。こんな劣悪な土地で数百年も生息しているだなんて」
「そんな貴重な樹木を選別した男が何を」
一瞥。
不思議なことに、盗賊や既存の魔獣から身を守るために大樹の枝木の隙間に接地した簡易的な寝床は、今も健在だ。
拙い落書きも端々から伺える。
在りし日、俺たち四人は塒を共にし、互いに肩を寄せった。
そしたら、なんだって怖くない。
そんな、気がしたのだ。
「――ッ」
唇を嚙み締める。
もう、未来永劫あの日は来ないのだ。
間接的とはいえども、俺がその起因を編み出してしまった以上、その悔恨から逃れることはできなかった。
「――それでいいのだ」
「――――」
「その感情の解を思案するのは、他とは違ってまだ猶予が存在する。だから好きなだけ苦悩して、好きなだけ葛藤するのだ」
「……数日前と言ってること違ぇー」
「人生なんて、そんなモノなのだ」
「――――」
あくまでも、スズシロ・アキラの死と、あの日へ懐古し、そして後悔するのは別物だっていう話か。
なら――。
「メイル、済まんが俺はアキラの死も、何時まで経っても噛み締めてやるよ。――二度と、この感情が風化しないように」
「――――」
合理を追求するのなら、きっと咎めるべきだ。
だが、メイルはそっと愛しむように目を細めそっと微笑を添えるだけで、如何なる声音を吐くこともない。
それでいい。
きっと、俺たちに言葉なんて概念、とっくの昔に不必要と成り果ててしまったのだろう。
だから、ただ寄り添ってくれているだけでいい。
それだけで、どうしようもない悪鬼羅刹や断崖絶壁も、不敵な笑みを浮かべ乗り越えられる気がしたから。
「……ごめん、ヨシュアン、ヨセル」
「――――」
メイルは再度懐から手持ち袋を取り出し――そして、それをおおむろに大樹の枝木へと投げ入れた。
やがて、それは綺麗な放物線を描き、かつて俺たちが寝床にしていた木製の足場に、悠々と着地していった。
「――何時か、必ずそっちに向かうのだ」
そうメイルは気丈な笑みを浮かべ――そっと、未だ姿変わらぬ不朽の大樹へと、頭を下げた。
不意に、鮮烈なつむじ風が吹き荒れ、メイルの琥珀色のセミロングの頭髪がひらひらと蝶のように舞う。
それに刹那俺は条件反射で目を閉じてしまい――。
「――――」
――不意に、木の葉が目に移った。
その木の葉は、数奇なことにひらひらと大空を舞い踊り――そして、最終的にヨセルの遺骨が入った袋へ、触れた。
「――アイビー」
「――――」
「確か、そんな葉だったのだ」
振り返ると、そこには満面の笑みを浮かべ――そして、その瞳から、一滴の雫を滴らせるメイルの姿が。
俺はそんな幼馴染に微苦笑し――天を仰いで、一言。
「……これで、あいつからコレを貰い受けるのも三度目か」
「ちょっと、執拗な気がするが――まあ、悪くは、ないのだ」
「――――」
自己満足、絵空事、空虚な妄想――それでも、良かった。
否――それ以外では、きっと二人は満たされていなかったのだろう。
「……行くか」
俺の一斉に、どこか恥じらうように一切合切を照らし上げる太陽を見上げていたメイルはようやく周囲を向き直り。
「ん」
そう、言った。
それから、一日は慌ただしく過ぎ去っていった。
あれからしんみりした雰囲気が持続すると思いきや、突如として馳せ参じた某紳士と偶然顔を合わせたり。
「おやおや、レギウルス殿と……偽ロリではありませんか!」
「偽ロリ言うなし」
「認めん、認めませんぞ……! 幼女は、幼気であってこそ幼女なのです!!」
「お前、言っとくけどここ公共の場だからな」
「流石紳士。私たちにできないことを平然とやってのける」
「ふっ……数十年来の旧友に対するこの扱い……弁解があるのなら、とくと聞き入れようじゃないか!」
「お前は、変わらねえな……」
「や、止めろっ! 私を度し難い変態のような眼差しで見るなあ!」
と、散々喚かれたり。
ちなみに、紳士は最近お気に入りの幼女がまた一人増加していたらしく、今日はその女児のストーキングの真っただ中らしい。
慌ただしく「では、私には所要がありますので!」と焦燥感を露わに聞くに堪えない声音を好きなだけ叫び、そして台風のように過ぎ去っていた。
やはり、彼は相も変わらずなようである。
ああ、そう。
そういえな、戦士団にも久々に顔を出したんだったな。
「おお……! これはこれは! メイル殿とクソ英雄野郎ではありませんか!」
「お前今言ったこともう一遍言ってみろよ」
「ロリコンクソイキリ野郎と申しました!」
「悪化しているようにしか思えないのだ。
「まあまあ。――その実、俺ってお前らの上司とマブなんだよな」
「偉大なるメイカ殿。この度はお越しに下さり、感激の至りです。ご注文は紅茶ですか? それとも、賄賂ですか?」
「あっ、今の嘘だぞ」
「テメェクソリア充ッッ!! もういっぺん言ってみろやい! 俺があんな屈辱味わって頭下げたのに、無駄!? 一度その頭かち割ってやろうか痛い痛い痛い痛い痛い! お願いですから止めてくださいお願いいたします!」
「なあ――脳髄って、どんな色なんだろうな」
「ひええええええッッ!!??」
と、暑苦しい後輩に冷やかしに言ったり。
ちなみにこの後輩、その実メイルに果敢にも戦時中であるのも関わらず酷薄しやがった豪胆な野郎である。
無論、「ふざけているのだ?」と真顔で叱責されたり。
そのまま約数十分、メイルに思わず幼児化してしまう程に正論と言う名の凶器を突きつけられていたとか。
余談だが、この男は一目で俺たちの関係性の発展を看破しやがり、そして盛大に喚いていたりもした。
逆恨みもいいところである。
その後再度メイルに制裁と言う名の言葉の暴力が猛威を振るい、立派な豚と化した。
ちょっと何が起こってるのかよくわからない光景であったとだけはコメントしておこう。
だが、日が暮れる頃には既に大抵の人物とは旧交を温めてきっており、完全に手持無沙汰となっていた。
が、別段それが退屈な筈がない。
結局、俺たちが夜が明けるまであのあどけない頃にさかのぼったように、精一杯騒ぎきっていったのだった。




