暗躍する影
ちょっと、ライムちゃん臭が漂いますね
「――動機に関しては、黙秘します」
「何故」
メイセは明確に拒否したというのも関わらず、こうも土足で無遠慮に踏み入られることにやや当惑する。
が、それも刹那のこと。
数瞬後には疎まし気にメイルを一瞥し、声音を紡ぐ。
「そこに、私にメリットが有りますか?」
「――――」
「既に十二分に義務……誠意は示しました。これ以上と言われてしまえば、それは即ち私の自由意志の侵害。然るべき対応に移らせてもらいます」
「……なら、これ以上の詮索は遠慮するのだ」
「それは結構なことでお」
「――――」
渋々引き下がるメイルにメイセは酷薄な薄笑いを浮かべる。
器の小さい奴だ。
俺はそんなメイセの個人的な心境に特段固執することもなく、淡々と本懐を果たすように直球で催促する。
「んじゃ、さっさと『転移』しろよ。そのがお前の存在意義だろ」
「今この場に限っての話ですがね」
「ああ」
メイセは俺の声音に渋面をしながら首肯し、指先に魔術を構築する。
俺が魔術というそれまで全く以て無縁であった領域へ粋な計らいにより到達したのは、つい先日である。
だが、それでも感覚的とはいえども編み込まれる術式は理解できる。
特段陣には不純物は混入することもなく、されど神速が如き速力で構築されていき――。
「――『転移』」
一言。
その一声で、視界が改変される。
「――――」
廃墟の暗がりに慣れ切っていた俺の瞼は、突如として目を焼き付ける燦然と煌めく陽光に驚愕した。
俺は迅速により魔力を巡らせることにより溢れ出す光に対応する。
数秒後、ようやく周囲を見渡せる程度にまで落ち着く。
すると――。
「……さながら里帰りしたような心境だな」
「実際、それはあながち的外れではないのだ」
「ハッ」
喧騒に塗れ、本来人族の間では至極当然のように死守されていた秩序という概念さえ元々存在しやしない。
薄暗く、荒廃した街並みは相も変わらずだ。
あくまでも、此処から背を向けたのは数か月前。
大規模な遠征となるとそれこそ数年は帰国できないようなパターンも十二分に存在するので、それと比較すればなんてことはない。
だが、それでも懐古だなんていう似合わない感傷を憶えてしまうのは、それだけ過ぎ去った日夜が鮮烈だったからか。
「――――」
今更、何を。
俺は前兆もなく溢れ出しそうになった悔恨だなんていう柄にもない感情を即座に押し殺し、そのまま平時を装う。
「……にしても、ホント変わっていねえなこの町」
「全くなのだ」
魔人族の生活環境は劣悪だ。
建築物の大半は軋轢が生じており、天井が剥き出しなモノや埃だらけの代物だって別段希少ではないのだ。
否、そもそもこの界隈はホームという定義こそが過疎。
卑しき餓鬼の寝床なんて、道端が相場だ。
やはり、この腐敗しきった空気は如何に数百年もの間の悲願を成し遂げたとしても変わりはしないようだ。
「……不潔」
「慣れろ。これが日常だぞ」
「……流石元孤児ですね。こうしてその肩書に相応しい恩赦を会得し相応の生活を謳歌しているのにも関わらず、依然この寂れた街への抵抗は皆無ですか」
「こんなのまだ序の口だ。色々と魔人国の責め苦は存在するが、個人的には売春屋付近で寝泊まりせざるを得なかった際に感じ取った気まずさは最高潮さ」
流石に豪胆という確固たる自覚があるこの俺でも、あんな劣悪な寝床でのうのうと瞼を閉じることはできやしない。
と、苦い思い出を語る俺へと、メイルは路傍の石でも見下すかのような眼差しで見上げる。
「……えっち」
「!? 違う、違うんだメイル!」
「どうせ、お金であんなことやこんなことをしたんでしょ?」
「誤解だ誤解! 俺はそんな節操なしじゃねえぞ!」
確かに金銀財宝ならばそれこそ売る程にあったのだが、そもそも俺の人生は始終闘争に明け暮れているだけ。
そんな下らない名目で散財なんてしない。
というか、俺はメイルにしか……。
「おや、顔が真っ赤ですね『傲慢の英雄』」
「言うな!」
恥ずかしい妄想をしてると看破され、侮蔑の眼差しを向けられてしまえば俺は二度と立ち直れないだろう。
が、どうやら俺の一声は火の油を注ぐような悪手だったらしい。
「……思い出したのだ? 私じゃない女と過ごした一夜を」
「!?」
誤解、加速。
俺は発端たるメイセを一瞥し――その口元に浮かんだ冷笑に、確実にこれが奴なりの陰湿な嫌がらせだと理解する。
が、もはや悪辣なるメイセを叱責する暇など皆無らしい。
なにせ――すぐ目の前に、虚無の眼差しをするメイルが迫っているのだから。
「レギ、失望したのだ。レギがそんな浮気者だとは……」
「止めろお! 冤罪でそんな軽蔑の眼差しを向けるな! 俺の繊細な心が死滅する!」
「御冗談を。麗しい彼女が居ながらも、売女と平然と一夜を明かしてきた男がそんな言葉を放っても、寒いジョークにしかなりませんよ」
「テメェっ、後で脳天捻り潰してやんよっ」
「はっはっは」
いや、「はっはっは」じゃねえよ。
そして、窮地へ陥ってしまった俺が思わず発した怨嗟の怒声が、更にメイルへ確信を与えたようだ。
だが、『賢者』とてれっきとした社会人。
これ以上悪意で破局の場面を出くわすことは勘弁したい心境だろう。
さあ『賢者』!
その正論で与太話を信じ込むメイルに俺が純白そのものであることをこれでもかと誇示してしまえ!
「――『賢者』。少々レギと共に席を話す。浮気者なレギには、そろそろ調教が必要不可欠」
「頑張ってくださいね(満面の笑み)」
賢者ああああああああああ!!
手前、何良い笑顔で見送ろうとしてんだよ。
監視という役柄こそ『賢者』たるメイセに課せられた任務なんだから、そこは順々に従っちまえよ!
だが、俺の絶叫虚しく――肩に、掌が触れた。
「レギ――ちょっと、いい?」
「…………」
「NО」と言ってしまえば、俺は死ぬのだろう。
俺はさながら叩き売られる家畜が如き心境で、黙々とメイルに連行され、路地裏へ誘い込まれたのだった。
「……はあ。行きましたか」
メイセは、すっと目を細めレギウルスを万力にも勝る膂力を以て連行するメイルの背が次第に遠ざかり――そして、完全に消失する。
それを見計らって、メイセは耳元に指先を触れ、すっと瞑目する。
発した魔力信号は、容易く目的の人物へと接続する。
そして――。
『――どうも、メイセさん』
「……主様、って呼称すればご満悦ですか?」
『いえいえ。別段、俺は某蜥蜴のように、部下にそのような尊大な呼称を強要することは断じてありませんよ』
「それはそれは」
メイセは油断ならない相手の声音が脳裏に文字通り木霊する不可思議な感覚に顔をしかめながらも、目を細める。
『経過は?』
「順当です。彼らを法国から遠ざけることは叶いました」
『それは重畳』
「――――」
そもそも、『念話』により発せられる声音は平淡なのだが、大抵の場合口調などからその本質が大小あれどにじみ出てくる。
だが、この少年にはそれさえないのだ。
余りにも異端。
直接対面したことはないが、十中八九常人らしい外見をしている筈がないだろう。
きっと、この人物はメイセと同類だ。
だが、だからとって両者の間に明確な優劣が皆無と問われてしまえば、メイセは苦い顔をせざるを得ないだろう。
このたった数日で国家の大半を取り込んだこの少年は存外規格外だ。
明確に、唯の使い走りであるメイセとは一線を画している。
故にメイセは極力地雷を踏まないように細心の中を払って声音を呟いた。
「次の指示は?」
『今のところは、何も。ただ、随時経過を報告してください』
「了解。では」
『――――』
一語一句が文字通り生命活動の有無に直結するような相手とはこれ以上一言たりとも対話したくなかったので、即座に切り上げようとする。
が――そんなメイセを嘲笑うかのように、一声が投げかけられた。
『――期待、してますよ』
「――。ありがたき幸せ」
今は唯――その声音が、怖ろしかった。
まっ!




