月夜に揺蕩いて
七章最終話、です。
正確にはまだエピローグありますけどね。
――恥の多い生涯を送ってきました。
そんな言葉が、いつまでたっても忘れられない。
「――――」
微睡みから醒めた『それ』はすっと目を細める。
なんとなしに周囲一帯を見渡してみると、かつての廃墟は明らかに天才でも巻き起こったかのように荒れ果て、大地の岩盤も剥き出しになっていた。
『老龍』、及ぶその配下との死闘の余波により、存在する建築物の一切合切が軋みあへ、軋轢を刻みながら瓦礫と化して朽ち果てる。
そんな光景を、『それ』はただただ無機質な眼差しで見つめていた。
「――――」
生じたのは、激烈な悪意の波動。
『それ』は怜悧な瞳で、螺旋状に渦を巻く闇色の魔力を全身に纏った青年を、無感動的に一瞥する。
「存外……剥き出しの本性。中々見れるモノじゃない」
「――――」
「この時を待ちわびていたよ、アキラ君――否、キサラギくんと、その呼称の方がより精緻なのかな」
「――――」
『それ』は、ルインのおどけた物言いにも一切動じることなく、ぼんやりと虚空を眺めている。
が、ルインはそんな『それ』の無礼千万な作法にも特段咎めることもなく、それどころかそれでいいとばかりに快活な笑みを浮かべる。
爛爛と輝くその瞳が『それ』を射抜いた。
突き刺さる眼光に対し、『それ』はどこか吹く風。
「――――」
藍色の、やや標準よりは伸びきった髪を場違いにも綺麗に整えようとブラシを取り出す姿はどこまでもマイペース。
故に、にじみ出る異端性も否が応でも強調される。
あるいは、そのまま自分の世界に没頭してしまいそうでもある。
無論、この場は熾烈極まりなき戦場。
そんな聖域におけるこの蛮行、それこそ無礼千万と叩き切られても可笑しくはないのだろう。
故に――。
「――『暴食』」
「――――」
――刹那、影が蠢動する。
ルインの魔力が注がれていくことにより影の顎門を象り、痛烈な眼光に殺意を上乗せし、『それ』を射抜く。
影は猛然と暗闇を大海原のように掻き分け、『それ』と肉薄する。
――『暴食』。
かつての戦乱の、その一歩前の時期に『強欲』により制作された『神獣』こと『厄龍』ルインの権能だ。
その本質は、一切合切の捕食。
存在、魂魄、物質、大気、概念。
ルインの身に宿った権能『暴食』は、一切の例外もなくそれらの概念を喰らい尽くす卑しい悪鬼の類だ。
無論、『それ』とて直撃すれば即死は免れない。
『それ』は存外虚弱だ。
少なくとも、触れてしまえば呆気なく崩壊してしまうような氷細工のような印象さえ抱いてしまう程度には。
されど、急迫する悪鬼の速力はさながら閃光。
もはや、『それ』がそれに貪り咀嚼される末路を回避するのは到底不可能――ならば、どれだけよかっただろうか。
「――『天衣無縫』」
「っ」
紡がれる、異端なる者の証が。
刹那、『それ』へと猛然と急迫していた影が瞬く間に消え失せ、そのまま分子さえ余すことなく掻き消す。
だが――目下のルインには、自身が及ぼした魔の手が『それ』の魔術により掻き消されたことを認知していた。
つまり――。
「術式の、改変……!」
「――――」
元来、『天衣無縫』の術式対象となってしまったモノは一切の例外もなく存在そのものが消失する。
が、明らかに宣告見せた大道芸は、それとは異なっていた。
――『花鳥風月』。
十中八九、妹の入れ知恵なのだろう。
どうして君はどの世界線でも妹やってるんだよ……とルインは『それ』へ懐いた女児を思い浮かべ苦笑する。
(さて……どう攻め込む?)
依然、実力は未知数。
スズシロ・アキラは確かに強力無比な魔術を保有していた――だが、それでもなお、雑念が多々見受けられる。
それは、きっと彼が聡明過ぎるが故なのだろう。
良い意味で多感。
それ故に自身の一挙手一投足に細心の注意を払い、そして常日頃それが及ぼす効力を重々承知しているのだ。
魔術は、白紙の既定の術式に自身の記憶と魂という鮮烈な色彩を塗りたくりオリジナリティーを醸し出す。
そして、その『色』はより濃厚であればある程に術式は効力を発揮するのだ。
スズシロ・アキラの本質は『無』。
だが、彼は白崎沙織を筆頭に、様々な出会いと離別を繰り返してきた。
その過程により『ひともどき』はこの世界のありとあらゆる事情に精通し、そして迫害されないためにも擬態の術を学習したのだ。
それ故に、完全なる『無』にはなり切れない。
だからこそ、あの程度の角さえ破滅できないのである。
「……はあ、どうして僕がこんな面倒なことを」
「――――」
そう独り言ちながら、ルインは再度『暴食』を展開しようとし――目を見開く。
――なにせ、幾ら目を凝らそうとも、つい先程まで『それ』が滞在していた空間は完全に無人と化していたのだから。
「――『紫電烈火』ッッ!!」
認識。
そのコンマ二秒後には、既にルインはその陣の構築を済ませており、刹那を以て魔力も注ぎ終わる。
そして、虚空により構築されたその術式が解放され――廃墟全土へ拡散する膨大な烈火と雷電の濁流が溢れ出した。
――『紫電烈火』。
かつて『聖戦』の頃存在した烈火と雷電、これらの魔術を合成する能力を保有するさる戦士のオリジナルだ。
これがルインが行使できうる術式の中で最も適用範囲が広大だ。
これならば、なんら支障も――。
「なっ……」
「――――」
『それ』は軽く虚空を足場に軽やかに跳躍。
ルインは頭上で優雅に舞い踊る『それ』の姿を歯軋りしながら睥睨していた。
(空中! 天才的なセンスは健在かっ)
そう結論づけたルインは、手元に魔力を集束させ――。
「――『憤怒』!」
「――――」
ルインの詠唱に一切頓着すりこともなく、『それ』はただただ無垢な風体でルインへと急迫――する直前、『滅炎』の折れた刀身を胸元に添える。
その直後、鮮烈な轟音が薄汚い廃墟に電波した。
「これも防ぐか!」
「…………」
ルインは『憤怒』の権能により極限にまで研ぎ澄ませた感覚、膂力をフル活用し影による怒涛の連撃を繰り出す。
が、もはやそれは『それ』にとってわざわざ『天衣無縫』を扱う程の弾幕ではないようだ。
『それ』はただ淡々と自身へ迫りくる狂犬の一切合切を切っ先無き片刃で容易くまるで赤子をあやすように切り伏せた。
虚空に描かれた軌跡は流麗の直地。
思わず、一人の武人としてあのルインでさえ見惚れてしまった程の軌跡に撫でられた存在は、たちまち霧のようにその身を霧散させていく。
だが――。
(これなら――!)
「――――」
随分と影のストックを浪費してしまったが、その損失さえ目をつぶれる程の利得を獲得できたのならば、文句を言うのは筋違いだろう。
ルインは愉悦混じりの嘲笑を浮かべ、一言。
「――『傲慢』」
「――――」
――それは、かつての獅子王の十八番。
ただただ超常的な魔術により重力子を一点に集束させ、その空間そのものに途轍もない質量を付与する。
『傲慢』はそうして生成された重力球の操作を旨としている。
そして――。
「――『怠惰』」
「…………」
展開されるのは、無謬の領域。
そこに君臨する覇者に絶対的なアドバンテージを、されど牙を剥く不埒な輩には、その権能の簒奪を。
『怠惰』は対象の魔術行使権限を一時剥奪するモノだ。
無論、あくまでもこれは簡易的なモノ。
本家には叶いやしないのだ。
だが、それでもその片鱗を得られ、そしてそれがこれ以上なく獅子奮迅の活躍をしているのならば、ルインも万々歳だ。
魔術は封じた。
『傲慢』により生成した重力球はルインの意識が健在な限り如何なる戦局であろうとも永劫対象を追随し続ける。
故に回避は不毛。
その上で、唯一の対抗手段たる『天衣無縫』を剥奪したのだ。
「――少し、休め」
「――――」
絶対絶滅。
が、されど『それ』は迫りくる致命的な一手に対し、なんら焦燥感も抱くことなくどこか吹く風である。
そもそも感情が凪いでいるのも主因だ。
だが――何よりも、そもそもの話迫りくるこれらが自身へ危害を及ぼすことがないと、そう理解しているから。
「――消えて」
「――っ。嘘だろ……」
勅命は、下った。
故に、結果は必然。
いっそ神々しい『それ』は、珍しく口元にやや自慢げな笑みを浮かべ――一斉に重力球を消滅させていった。
(なっ……!? 魔術は『怠惰』の影響下にあるから不可能な筈……いや、そもそも干渉される依然に自身へ迫りくる『怠惰』の術式を消失させたのか……!)
御名答。
『それ』は展開される『怠惰』の領域を『天衣無縫』により相殺、中和したのだ。
ある程度既存のスズシロ・アキラの魔術的な技量を理解しているからこそ、ルインもこの解答には到達できなかったようだ。
同時、深刻な絶望感が全身を苛む。
(魔術禁句さえも不可……勝算がないぞ!)
元来、スズシロ・アキラの力量がルインや『老龍』のような実力者に匹敵していないかと問われれば、ひとえにそれは技量だろう。
一切合切を掻き消す『天衣無縫』、そしてガイアスにより下賜されたもう一つの固有魔術『蒼海』。
一つ一つのスペックには、もはや際限など存在しない。
だが――スズシロ・アキラは未だ魔術に目覚めて数か月程度なのだ。
余談なのだが、あの才色兼備なライカでさえ自身の魔術を使いこなすのに七年もの月日を要したのだ。
才能的に言ってしまえば、スズシロ・アキラよりもライカの方が格段に上田。
そのライカでさえ、七年。
ならば、たかが数か月程度の、それもライカよりもなお才覚に恵まれなかったスズシロ・アキラなどいうに及ばないのだ。
だが――今現在、『それ』は自身の魂に宿ったスペックの一切合切を余すことなく昇華させ、使いこなしているのだ。
魔術的な潜在能力では、まず明らかにスズシロ・アキラの方がカラクリ人形を操作する程度のライカより格上だ。
そして、それが完全に引き出されたとなると――。
「……化け物っ」
もはや、そうとしか言いようがなかった。
あるいは、真っ向勝負でさえあの『憤怒』に呆気なく勝利してしまうのではないかとさえ思えてしまう。
これを物の怪の類と言わずして、何というか。
しかし、どうやらルインがなんの悪意もなく純然たる畏怖により吐き出された声音は、思わぬ事態を呼び込んだようだ。
「……化け物。そう、思う?」
「…………まあね」
ポーカーフェイスを決め込むルインであったが、内心では相当に混乱していた。
なにせ、あれだけ淡白で無口だった『それ』が、初めて口数は少ないが、確かに声音を口にしたのである。
無論、その動揺を表に出すこともないが。
そんなルインへ、一切合切を見透かしているような、そんな冷や冷やする眼差しを向ける『それ』は、なおも語る。
「……一見すると容姿端麗、質実剛健、才色兼備の完璧超人。されど実際のところはただただ空虚で、そもそも自身が人ですらないとそう信じ込んで、成り損なった。あの子にあって、変わってしまった。もう、どうしようもなく」
「……それは、良いことじゃないか」
「……そう。きっと、誰が俯瞰してみてしまえば、そんなことを言っていられると思う。――でも、心の奥底はそれでいいのかって、そう引っかかってた。媚びた笑みを浮かべて得たモノに、なんの価値もない。でも、結局そう否定いながらも、それに縋ってしまうんだ。……ホント、我ながら身勝手」
「――――」
――それは、独白だ。
人にも、化け物にも成り損なって出来損ないの、極めて異質かつ理解できない、あるいは戯言のように思える独白。
それに対し、ルインはただ静かに目を伏せる。
「沙織にあんなにも過保護になってしまうのも、きっと自分がそれに縋っていたから。あの子が居なければ、また『化け物』に成り果ててしまう。それが、ただただ怖かった」
「――――」
誰にも理解されない。
誰も共感さえしない。
誰も、見向きしない。
そんな、哀れな少年の声音は一拍停滞し、満面の笑みを浮かべ――その直後、能面が如き真顔へ後戻りする。
その光景は、どこまでも歪で。
「――『恥の多い生涯を送ってきました』。……この言葉が、いつまで経っても脳裏から焼き付いて離れない。自分もそうだった。他者を理解できず、それでも理解したふりをする自分自身が、この世界の汚点のような気さえした」
「――――」
「でもさ、気づいたんだ」
『それ』は、機械的な冷笑を浮かべ――そして、紡ぐ。
「――俺は、『化け物』だ」
その、声音を。
「もう、後戻りなんてできない。――だからこそ、俺は『化け物』になることを選択する。俺は誰も理解せず、誰にも理解されない、ただただ『人』から迫害されるだけの悪鬼だ」
そう口にする『それ』――化け物の口元には、どこか自虐的な笑みが浮かんでいた。




