白い世界
――破砕。
「――ッッ!!」
メイルが振るったその剛腕は容易くセフィール――異形の心臓とも言いとれる魔晶石を完膚無きままに破壊する。
それに伴い、異形から醸し出される威圧感が消えうせた。
それも、必然のこと。
異形の超常的なエネルギーの源はあくまでも魔晶石でしかないのだ。
これが砕け散ってしまえば、もはや目下の悪鬼羅刹など恐れるに足らないような存在でしかなかった。
「……存外、呆気ないのだ」
「その割には随分と苦戦したようですね?」
メイルの独り言に、そうどことなく億劫そうな声音で返答が。
メイルは「この期に及んで……」とやや頬を引き攣らせながら、周囲の無礼千万な少年を睥睨する。
「当初あんたが立てた予想よりは遥かに早いでしょ?」
「アキラ様なら三秒で片付けますよ?」
「……飛び道具は反則なのだ」
「『龍穿』は飛び道具ではないのですがね……」
「同じようなモノなのだ」
「はあ……」
支離滅裂な物言いにややスピカは辟易したよう。
ふと、スピカはちらりと目を凝らし、異形の肉体が崩壊していく最中、微動だにしない少女を一瞥する。
真っ白な少女の瞳は固く閉じられ、心なしか汗ばんでいる様子。
「……後は、沙織任せなのだ」
「言い得て妙です」
スピカが提言したモノは単純明快。
――つまり、一度セフィールを滅ぼし、そしてその後に再構築するというモノ。
治癒魔術は、相当強引に拡大解釈してみれば『物質に干渉する魔術』なので、一応魔晶石には干渉できる。
が、それはあくまでも一部例外だ。
凡庸な魔術師ならばまず不可能。
挫折するのが請負だ。
だが――白崎沙織という少女の場合、どうやら少々勝手が違ったようだ。
スズシロ・アキラを天才と言い合わらすのならば、ひとえに白崎沙織は才覚の化け物と表現できるだろう。
スズシロ・アキラでさえ霞む程の天賦の才。
それが猛威を振るえば、このような偉業も容易である。
「――――」
スピカが提示した計略はこう。
①魔晶石へのマーキング
②異形の魔晶石破壊
③『厄印』剥奪
④魔晶石の修繕。
①はスピカが異形と対峙した際、かの悪鬼の肺腑へ潜り込むことにより済ませたモノだ。
魔術という概念は存外複雑かつ繊細であり、どうしても距離が離れれば離れる程により効き目が薄くなってしまうのが道理だ。
だからこそのマーキングである。
このマーキングを刻まれたモノには、如何に距離が離れていようとも、魔力さえ注いでしまえばなんら障害もなく魔術が及ぶという代物だ。
更に、沙織の術式の適用範囲を予め魔晶石に限定する。
些細だが、されどこれは『自戒』の観点からすると相応の意義を持ち合わることになる。
スピカ曰く、『自戒』により蚊帳の外となってしまった距離的精度という観点に埋め合わにより、相当構築が楽になるとのこと。
そして②は、ルインとの接続を途絶えさせる目的により設けてある。
あくまでもルインはセフィールには魔晶石ごしにしか干渉できないので、沙織が術式を付与している間は一度魔晶石を木っ端微塵にしておく必要性があった。
③。
そもそも、『厄印』とは、ルインの『色欲』の権能により生み出された魔獣たちの魔晶石に刻まれる刻印だ。
どうも、これは魔術界においてマーキングにもある種通じるモノらしく、これが存在している以上、幾ら執拗に魔晶石を木っ端微塵にしようがもう一度再生してしまえば『厄印』の効力により再度暴走してしまう可能性がある。
故に、これの消去は最低条件だ。
そして、それを担うのが沙織だ。
前述の通り、沙織の治癒魔術はおぞましい程の天性の才覚により、もはや物体という概念そのものに干渉できるようになった。
ならば、相当無理をすれば『厄印』も霧散させることができるのではないか。
そう思案したが故の起死回生の一手であった。
そして、仕上げの④。
これにより面倒な『厄印』を取り除いたことにより人畜無害と化したセフィールが元に戻る……という算段だ。
だが、一つ懸念が――。
「①はお前、②は私が躍起になって成し遂げた。――だが、後半部……③と④は完全に沙織にかかっているぞ」
「……おや、不安なんですか?」
「……まあ、ね。本人の前で言うのもなんだけど、正直ポンコツなあの子がそんな神仏の御業を成し遂げられるとは思えないのだ」
「それは同感です」
「――――」
あくまで、沙織は持ち前の豪運で幹部の一席に座ったようなモノ。
実際のところその力量は弱小どころの話ではなく、メイルが片手間であしらえてしまう程度であった。
だからこその一抹の不安なのである。
無論、それはスピカも同様――。
「――まあ、きっと杞憂でしょう」
「――。珍しいのだな、お前があの子を信じるだなんて」
「ええ。自分でも柄でもないとは理解していますよ。――ですが、あのアキラ様の恋人ですよ? 生半可な筈がありません」
「……あー」
そのような観点も、またあるのか。
メイルはスピカの盲目的な狂愛ともいえる感情に頬を引き攣らせ――そして、快活な笑みを浮かべた。
「おい、少年。一つ助言してやるのだ。――スズシロ・アキラは断じて完璧超人なんかじゃないのだ。いつまでも、あの男に倒錯的な愛情を向けるのは自重した方が賢明だと、私はそう愚考するのだ」
「……そんなの、ぼくが一番知ってますよ」
「――――」
返答は、やけに冷たかった。
絶対零度を彷彿とさせるその声音に、面食らったように絶句するメイル。
「ぼく以上に、あの人の理解者は居ない。――それに、沙織さんの強かさも、一目みた時に納得していますよ」
「……お前」
愕然とするメイル。
交差するスピカの眼差し――それが、絶え間の無い悲哀を感じさせる、非常に理知的なモノであったからだ。
(……勘違いだったようだな)
盲目的なんかじゃない。
おそらく、否まず間違いなくこの少年はスズシロ・アキラの長所も、そしてそれまで隠し通していた醜悪な側面も理解し、そしてそれを受け入れ、愛していると、そう心の奥底から躊躇することなく明言できるのだ。
――思わず、その魂の在り方に憧れてしまうのも無理のない話。
「……スピカくん、そろそろ沙織のところにいって。魔力が尽きて粒子になったら、ニンゲンも悲観する」
「言われずとも」
スピカは特段反発することもなく、メイルの指示に従う。
その背中を、メイルは焦点の定まらない眼差しで、なんとなく眺めていた。
「――――」
それは、異端なる世界。
決して常人が踏み入れはならない、絶対領域なのだ。
「これが……」
そこに、軽やかに降り立った見目麗しい少女――白崎沙織は、やや慄くように周囲一帯を見渡した。
――まるで、美術館みたい。
真っ白かつ生活感のない正方形の部屋のそこら中にはセフィールと思われる少女、女性が映し出されていた。
笑顔、泣き顔、寝顔。
おびただしい程の『セフィール』という女性の記憶の最中、沙織は瞑目し――『それ』へ、手先を触れた。
「――――」
『それ』は、ある青年を模した彫像だった。
『それ』はその端正な容姿を、これ以上ない程に緩ませ、思わず頬を赤らめてしまうような爽やかな微笑を浮かべている。
そして、ようやく『それ』と沙織が触れ合った。
――。
――――。
―――――――――。
「――――」
全神経を研ぎ澄まし、読解、そして魔術におけて基礎中の基礎――つまること、『改変』という作業を執り行う。
それと共に、やがて青年の彫像も豹変していく。
それまでの端麗な容姿から一転、いまやその怖気さえ覚える容貌を、盛大に歪め嘲弄の笑みを浮かべている。
醜悪の極地。
そして、この彫像に模された青年の名は――。
「――んっ」
――そして、切り替わる。




