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「――――」
閑静な住宅地を、俺はてくてくと徒歩する。
この時間帯、大抵の社会人は出勤しており、それ故に人通りも皆無に近かった。
特段、我が家は存外伽藍洞である。
「っと」
和式の、そこそこ巨大な屋敷の横開きの扉を開ける。
俺は「ふわあ……」と欠伸しながら靴を揃え、そのまま我が家へ足を踏み入れ――そして、冷淡な表情で声を張り上げる。
「――なあ、居るんだろ?」
もはや、隠匿する必然性はない。
とっくの昔に謀略が露呈しているというのに、今更になって姿を隠蔽するとは、まさに頭隠して知り隠さず。
俺もこんな大人にはなりたくないな。
そんな失礼極まりない声音が木霊し――。
「――何時から、気づいていたんだい?」
「屋上」
「まあ、予想通りだよ」
「どの口で……」
俺は突如として背後より囁かれたのも関わらず、一切動揺することなく、それどころか級友を相手にするように愛嬌を振りまく。
無論、内心では怒髪天をついていた。
だが、そんなことをしても不埒だ。
ならば、さっさと要件を済まさせるべきなのだろう。
そう結論づけた俺は、突然背後へ回ったその青年――ルインを一瞥する。
「この空間は?」
「同胞の魔術だよ。使い方によってはどんな強者さえも容易く殺めることができる、実に有用な魔術さ」
「そりゃあ高尚なことで」
「それは君らしいコメントだ」
「どーも」
「――――」
そう軽薄に返答する。
――あの花瓶を認識するまで、俺の記憶は塗り替えられていた。
きっと、これはIFなのだろう。
心の奥底では願ってしまった、あの惨劇が起こらなかったら、だなんていう幻想の具現化なのだろう。
この世界線を心地いいと思えてしまう自分が度し難い。
だが、そんなことよりも、だ。
「……どうしてこんなことを?」
「それを言うとでも?」
「……まあ、だろうな」
依然、ルインの動機は不明だ。
そもそもルインがどうして俺を――否、正確には魔術『天衣無縫』に執着しているのかも未だに不明である。
圧倒的に多数の情報が欠陥しているな。
そろそろ諜報を見直す頃合か。
「……じゃあ聞きたいんだけど、お前はこれから俺をどうするんだよ。『徹底抗戦』……お前の流儀に従うのならば、殺害すべきだろ?」
「まあね。――君が、敵対者ならば」
「――――」
目を丸くする俺は、ルインが何かを言い繕うよりもなお先に、阿呆な筋違いへ釘をさしておくとする。
「……勘違いするなよ。勧誘なんて受けやしねえよ」
「別に、今すぐじゃなくていい。――どうせ、直ぐに僕の順々な下僕になるよ」
「……はあ。そもそも、どうしてそんなことを……」
「聞きたい?」
「――――」
無言で首肯。
それに対し、ルインは意味深な笑み浮かべ、盛大にもったいぶって結局誤魔化す――なんて真似は、しない。
「――楽園に、足を踏み入れたい」
「――――」
「ようやく、五人の月人を補足できたんだ。――四千年。これだけの歳月思い焦がれてきた宿願は、何が何でも果たさせてもらう」
「…………」
思わず、まじまじとルインを食い入るように凝視してしまう。
それまで他者に自身の思考回路の一切を読解させないルインであったが、されど今回ばかりはその瞳に宿った感情が異なった。
――激情。
あの淡白な――あるいは、俺と同類ともいえるルインの瞳は、どこまでも真っすぐに俺を射抜いていた。
「おや、随分と不思議そうな顔をするんだね」
「……どうやら、そろそろお前の評価を改めるべきだな」
「お手柔らかにね」
「はいはい」
そうニヒルな笑みを浮かべるルインを俺は適当にあしらう。
と、ルインはそんな俺をどこか愛し気に眺め――不意に、その影が蠢動した。
「――――」
脊髄反射で微弱な殺意に反応し、そのまま猛烈な勢いでバックステップ――が、結局のところそれも無意味。
「――『暴食』」
「っ!」
その一言に呼応し、殊更にルインの漆黒の影が波打ち、咆哮でもあげるようにその顎門を大いに開く。
「――龍穿!」
「――――」
詠唱。
俺は流れる水が如き流麗さで土壇場にも関わらず我ながら精緻な陣を構築――、できる、筈がなかった。
「!?」
「無駄だよ」
如何に魔力を操作しようと奮闘しようが現実は無情で、幾ら躍起になろうが慣れ親しんだ魔力因子は微動だにしない。
それに反し、ルインの悪獣は健全――どころか、徐々に規模を拡大しているような気さえする。
そして――。
「――っ」
――そして、雷電が通り過ぎる。
咄嗟に横っ飛びし直撃は避けた――されど、足首周囲に痛烈な激痛が、絶え間なく俺を苛んでいた。
掠り傷でこれだ。
仮に直撃でもしていたら即死だろう。
魔術を行使できないのも驚嘆すべきモノなのだが、俺としてはそれまで一応は友好的であったルインが唐突に牙を剥いた方が目を見開くべきことのように思えた。
「……何の心算だよ」
「君のことだ。どうせ魂を破砕しようと躍起になろうが、『天衣無縫』で無効化されるだろう。――だが、数分程度なら、死滅させられる」
「――――」
会話の余地、無し。
そう判断した俺は、もはやこれだけ不利な状態での交戦なんて不毛以外の何物でもないと、そう逃走しようと――。
「――影は、何処にも潜んでいる。忘れないようにね、アキラ君」
「……ッッ!!」
直後――俺の影から、再度大口をあける悪鬼が突如として襲い掛かってきた。
咄嗟に回避しようとするが、これだけの近距離、というかそもそも俺の影を起点として生じてしまっているので、それもこれも一切合切は不毛で。
俺にできることと言えば――。
「――『天衣無縫』!」
「やはり、君ならそうするよね」
正直、癪だが魂魄を保護するにはこの魔術を行使するべきだと、そう理性が訴えかけているので、矜持なんて投げ捨てよう。
そして――影は、俺の身を無遠慮に貪り喰らう。
「――――」
激痛は――無い。
ただただ、虚無。
皮膚という擬態が剥がれ、そして今になってようやく俺の本性が剥き出しとなる。
――空っぽ。
きっと、ただそれだけだろう。
そんな自己評価を下しながら、俺はせめてもの抵抗に一矢報いようと『天衣無縫』を悪鬼にも行使する。
が、その途上で『天衣無縫』が宿った右腕が食い千切られていった。
「っ」
それまで構築していた陣も刹那で霧散していき、文字通り俺の苦労は水泡に帰してしまう。
そして――。
「――じゃあね、■■・■■■■・■」
そんな、声が聞こえた。
「――――」
一閃。
ガバルドはこの熾烈な包囲網から抜け出すために被った損害に恥じない、最高峰の一閃を披露する。
絶対的な硬度を誇るその結界であったが、ガバルドにとっては豆腐も同然だろう。
そして――。
「――空いたぞ!」
「ありがとうございます、ガバルドさん!」
「いいってことよ!」
ガバルドの斬撃により結界は忽ち崩壊していき、その挟間を猛烈な勢いで『最速』が通過していく。
その右腕には、硬く『白日の繭』が握られていた。
「さて……そろそろ俺もお役目御免か」
紆余曲折ありつつも、なんとかこうしてアキラの元へと『白日の繭』を手渡すことができて何よりである。
もはや、ガバルドには呼吸する余力さえない。
満身創痍なガバルドは、懐からポーションを取り出し、ほんの気休め程度とはいえ負傷した体を治癒しようと――。
「――!?」
した直後、目を剥く。
――悪寒。
『英雄』ガバルド・アレスとさえも思わず鳥肌が立ってしまうようなその気配に、思わず尻込みしてしまう。
禍々しさなど皆無。
それが放つ圧倒的な威信は――どこまでも、空虚だった。
それは、さながらマリオネットのように。
ガバルドにとって、今はただただそれが恐ろしいかった。




