雫と、笑み。
やっぱり何言ってるのか分からない!
詳しくは八章で! この場で言及すれば、確実に冗長になりますからね!
――花束。
どうして、こんなモノが机の上に……。
呆気にとられる俺に、不意に聞き慣れた声音が投げかけられた。
「……どうした彰」
「い、いや……なあ、あの花瓶に詰まった花束って、一体……」
「あぁん? お前、聞いてなかったのかよ」
「――――」
ふと、怜音は苦々しそうに頬を歪めながら――それを、告げた。
「――死んだんだよ」
「――――」
顔も、知らない筈だ。
俺の前の席に滞在していた女の子の輪郭を思い浮かべようとすると、不思議なことに霧がかかったように要領を得ない。
それだけ没個性だった?
否、怜音曰く、相応にクラスに馴染んでいたらしい。
自分で言うのもなんだが、俺の記憶力も中々だ。
故に、余程の日陰者ならばともかく、ある程度は溶け込んでいた女の子の容貌を忘却することは断じてないだろう。
ならば、何故思い出せない。
「……ちょっと、トイレ」
「ああ、丁度俺も――」
「いや、いい」
「いや、口実とかじゃなくて今回はマジで――」
「――来るな」
「――――」
――拒絶。
普段あれだけおどけていた俺が、こうも激情を剥き出し、怜音へと歯向かっていることは、きっと当人にとって信じられないのだろう。
俺自身、自分が淡白な自覚はある。
故に、この胸騒ぎがどれだけのモノなのか、否応なしに理解できた。
俺は唖然とする怜音へ耳打ちする。
「……一人になりたい。お前みたいな愉快犯に、醜態なんて見せたくねえよ」
「……そうか」
無論、怜音も全容を把握したワケではない。
だが、俺の並々ならぬ形相で、もはやこれ以上の追及は不毛、否不快感を上塗りするだけと悟ったのだろう。
故に、これ以上の詮索はない。
今は唯、どんな慰めの言葉よりもそれが心地よかった。
そのまま、俺はスタスタと淡白に階段を駆けあがる。
行き場は――屋上。
どうも、この学校は存外開放的なようで、本来ならば施錠されてしかるべきであった屋上の出入り口の鍵はしまっていなかった。
これ以上の僥倖は、きっとないだろう。
つんざく旋風により藍色の髪がたなびく。
「――――」
屋上を見渡す。
俺の目が節穴でもない限り、この屋上には盗聴の気配も皆無であるし、俺以外の人口も存在していなかった。
なんとなしに、空を見上げる。
「……あお」
快晴。
曇天に遮られることもなく、どこまでも自由気ままに燦然と煌めくその陽光に、思わず目を細めてしまう。
ふと、思った。
大空を彩るそれは、どことなく真っ白な少女に似ているな、と。
「――――」
水滴が頬を滴る。
雨?
否、明らかに頭上には陽光を遮断する空模様など皆無であり、まず間違いなくその可能性は皆無であろう。
ならば――。
「っ」
一滴、二滴。
不思議なことに、瞼からは無尽蔵に水滴がこぼれおち、よれよれのシャツに盛大な染みを刻んでいく。
そして、それからは転がり落ちるが如く。
一度自制心を喪失してしまった俺の涙腺からは、これでもかと洪水のように透明な雫が零れ落ちていく。
――唯、泣いた。
そこに、理性なんて無い。
ただただ、泣き叫んだ。
ただただ喚いた。
そして――ただただ、愛しんだ。
ただ、それだけだった。
「よお」
「……どうしたんだよ、そんな瞼腫らして」
あれから数分後。
ようやく激情により大時化が如く荒れ狂っていた俺の心境であったが、封じ込んでいた想いが溢れ出した影響なのか、妙に今となっては沈静化している。
ようやく教室に舞い戻ってきた俺に対し、怜音は胡乱気に――されど、巧妙に隠蔽しながらも俺の身を確かに案じていた。
今となっては、それをよく理解できる。
……やっぱ、似てるな。
あの子はともかく、怜音に関しては完全に偶然でしかないので、俺もそろそろ運命説を疑わざるを得ない。
「……普通、そういうのは詮索しないのがセオリーなんじゃねえのか?」
「生憎、俺にそんな気の利いたことはできねえよ」
「アッハッハ、だろうな。目の前で可愛らしい美少女とイチャイチャしやがった時にはお前の図太さに軽く殺意を抱いたよ」
「……忘れろよ。若気の至りだ」
「数日前の事件だがな」
「…………」
怜音は気まずげに視線を逸らし――そして、不意に目が合うと何故かどことなく驚愕したようなそぶりを見せる。
「お前……一体全体、何があったんだ?」
「おいおい、どうしたんだよ怜音」
「……あんだけ朝っぱらから鬱屈としていた野郎が、どうしてたった数分でこうも晴れやかな笑顔を披露できるかねえ」
「?」
笑顔?
俺はその声音の意味が理解できず、小首を傾げる。
「あぁん? 無自覚であんな満面の笑みを……あー、やっぱ、変わったな」
「??? だから、どういう意味だよ」
「知らねえ。んなことは自分で考えろ」
「…………」
釈然としないが、この様子だときっとどれだけ念入りに問い詰めようが結局は分からず仕舞いのようだ。
俺はそんな無愛想な悪友にニヒルな笑みを浮かべ。
「んじゃ、俺はちょっと忘れ物したから帰る」
「お前なあ……絶対サボる気だろ」
と、呆れたような眼差しで俺を見る怜音。
俺はそんな怜音へと、さも分かってないなーとばかりにやや嘲弄するように胸を張った。
「ほら――他と違う自分って、カッコいいだろ?」
「お前は思春期の中学生かっ」
もちろん虚言だがな。
怜音も怜音で俺がこれ以上情報を露呈しないことを悟ったようで、「はあ……」と溜息を吐きながら諦念する。
流石怜音。
俺への対応も年季がかかっているな。
「怜音、メイル――愛衣さんと仲良くしろよ。お前みたいブサイクをこよなく愛するヤツなんて、あの子しかいないんだからな。精々幸せにな」
「……おいおい、遺言か?」
「まあ、そうかもな」
「――――」
怜音は特段否定することもなく淡々と首肯した俺に絶句してしまうが、直後に路傍の塵でも見下すかのような眼差しで眺める。
「……そういうブラックジョークはやめい。寒いぞ」
「グランプリに出たら優勝が狙えそうなくらい?」
「ああ、逆の意味でな」
「アッハッハ」
俺はそんな怜音の手厳しい意見に対し、ぎこちない笑みを浮かべ――そうじゃないなと、にかっと不敵な円弧を描く。
それに対し、怜音はやや面食らったように目を白黒させる。
「じゃあ――またな」
「お前……」
それ以上の追及は避けたいので、俺は早足で怜音から踵を返そうとし――不意に、その襟首を万力にも勝る膂力により掴まれた。
「ぐげっ!?」
「ちょっと待てい」
もう少し勢いが速ければまず間違いなく窒息死していたに違いない所行に俺は恨めしそうに怜音を見上げる。
が、沸々と湧き上がる憤慨はその眼差しを一瞥した瞬間、それも刹那のうちに水泡に帰していった。
怜音は、まるで不出来な子供の成長を褒め称えるかのような眼差しで俺を見下ろし――。
「――頑張れよ」
「――。誰に言ってんだ」
べーと、そう下品に舌を出して挑発するが、されど怜音はどこか吹く風でそっと俺の肩を叩く。
「なあ、アキラ」
「なんだ」
レギウルスは、愛しむように目を細め、一言。
「色々あったし、分からないことばっかりだったけど――やっぱり、お前と出逢えて良かった」
その、たった一言に俺は信じられないとばかりに目を見開き、まじまじと食い入るように怜音を見詰め――。
「あっそ。――なんて、言えねえよな」
「……つくづく、お前らしい」
生憎、ツンデレなんでね。
そう嘆息する俺に、レギウルスは快活な笑みを浮かべ、そしてもう用はすんだとばかりにスタスタと踵を返していった。
それを俺は、ただただ見詰め――。
「――んじゃ、そろそろ帰るか」
俺はそう、この空虚な世界へ別れを告げたのだった。




