おやすみ
轟音がこれでもかと鼓膜を痛めつける。
が、俺が懸念すべきなのは、今にも張り裂けようとしているこの鼓膜ではなく、目下で吹き飛ぶライムちゃんの安否だろう。
「ライムちゃん!」
「――――」
ライムちゃんは全身から絶大な衝撃を一身に浴びたことによりおびただしい程の鮮血が溢れだしている。
だが――その口元には、薄い笑みが浮かんでいた。
「――『転移』」
「――ッ!」
紡がれた声音に呼応し、莫大な魔力が猛威を振るう。
直後、それまで流星群が如く高らかに吹き飛んでいたライムちゃんの華奢な細身が唐突に掻き消えていく。
『転移』だ。
「……まさか、あれだけ鮮烈な打撃を喰らっていながらも陣を維持していたのか……よもやよもやだ」
「――――」
ライムちゃんの安否は、少々――否、かなり気になる。
だが、それより先決すべきなのは――。
「――――」
「殺気、足音、拍動、視線、吐息、その全てを押し殺している。常人なら、これだけ近距離に居るのにも関わらず君も認知できないだろうね」
一閃。
忍び足、されど激烈な速力で飛翔しルインへと急迫し、俺は『滅炎』を流れる水かのような軌跡を描きながら振るう。
が、依然ルインは余裕の表情を崩さない。
虚勢?
断じて、否。
この悪辣な男の魂は――凪いでいた。
「――ハッ」
「なっ……」
急迫する鋭利な刀身に対し、ルインが打って出たアクションは、ただただ右腕を掲げただけであった。
まさに、余裕綽々。
得物を手に取る必要性さえ皆無らしい。
言外に格下であることを如実に告げられ、俺は口元を引き攣らせながらも流麗な一閃をルインの胴体へと薙ぎ払う。
そして――。
「――『剣聖裂帛』」
「――――」
指先と深紅の刀身が、触れる。
ただ、それだけ。
特段これといって大仰な魔術が行使された痕跡も皆無であり、勝利を確信した瞬間――天地がひっくり返った。
「っ……!?」
「甘いね」
投げられた。
まさか、刀身を受け流すまでか、その勢いを一切殺すことなくそれを俺を投げ入れるだけのエネルギーに運用するとは……。
達人?
否、そのような低俗な形容、それこそ無礼千万だろう。
「くっ……!」
俺は呻きながらも、なんとかルインの追撃を危惧し受け身を取ろうとした刹那――不意に、影が差した。
「!?」
「遅い」
咄嗟に『滅炎』の刀身を盾のように運用しようとかざすが、その直後に巡る神経の一切合切に染みわたったこの痛烈な衝撃が、それが無意味だと証明していた。
「――『獣拳』」
「――ッッ!!」
インパクト。
接触の瞬間、あろうことか絶対的な硬度を保有する筈の『滅炎』の刀身に明確な軋轢が生じてしまう。
そして――砕け散った。
「――ぁ」
その、予想だにしていなかった事態に目を丸くしてしまう俺だったが、その直後に戦場で呆けるのは自殺行為以外の何物でもないことを思い出す。
そして、それは直後に容易く証明された。
「――――」
背後。
微かな大気の流動を把握しなければ、俺でさえも忍び寄る暴威の化身を関知することは叶わなかっただろう。
まあ、だから何だという話なのだが。
「――『氷結姫の慈愛』」
「――――」
間髪入れず、術式の構築と似て非なる、どこまでもこの世界にとって異端な技巧がこれでもかと俺へと猛威を振るう。
それが紡がれた直後――俺の周囲一帯が凍結した。
絶対零度。
明らかに俺のような脆弱な人間が居座ってはならない空間に神経が小刻みに震え、真面に機能を果たすこともない。
数瞬後、俺はこの冷ややかさの発端を知る。
周囲一帯を見渡してみると、廃墟全体を覆い尽くすように、大気中に微かに含まれる水分の一切合切が凍結し、氷像を構築していた。
そして、どうやらそのオブジェクトには俺も含まれてるらしい。
「――っ」
両腕に極限にまで魔力を練り上げようとも、結局のところ全身を覆い尽くすこの氷点下が枷となり、微動だにできやしない。
と、悪戦苦闘する俺へ、露骨な悪意を垂れ流しにする青年が。
「――やあ、気分は?」
「……元々鬱屈としてたけど、お前の醜悪な顔面を認識した瞬間嘔吐感まで差してきた。最悪だよ最悪」
「おやおや、お褒めにあずかりて光栄だよ」
褒めてねー。
が、この男のことだ。
どうせ俺の言葉なんてさりげなくスルーするだろうし、ここで下手に反論するのはそれはそれで愚策であった。
故に――。
「――殺さないの?」
「――――」
癪な話であるのだが、俺とルインの性根は瓜二つ。
つまり、一度敵対すれば徹底的に追い詰め、そこに温情など込めないという主義も同様なのだろう。
『老龍』じゃないんだ。
ルインは俺と同じように殺人への忌避感なんて一切抱かないし、わざわざ同情するような要素も皆無だろう。
いわば詰みだ。
逆に、俺からしてみれば何故これだけ優位に立っていながら殺害していないのか、心底不思議である。
嗜虐心故?
確かに、ルインのことだ。
そんなしょうもないことを思案しそうだが――だが、あいつは生粋のリアリストなのである。
故に、奴がこの結論に達しないことは理解できる。
つまり――奴は、俺にまだ利用価値があると、そう判別したようである。
「……で、何の心算だ?」
「何の心算とは?」
「殺すとか物騒なことを言っておいてこんな生易しい仕打ち……明らかに異質だ」
「――――」
「考えられるのは、俺に依然意義を感じているというモノだ。だからこそこうして生かしている。違うか?」
そう、どこか胸を張りながら滔々と語る俺だったが――その直後、ルインの口元に浮かび上がった嘲笑に硬直する。
「アッハッハ。――本当に、君は実に可笑しい冗句を口にする」
――そして、ルインは俺の目玉を『暴食』の権能により抉り取り、そして捕食した。
「ぐぅがっ……!!」
「……やはり、この程度では発狂しやしないか」
「何を……」
いよいよルインの行動に一切の一貫性を見出すこともできずに、俺は心底当惑し――。
「――シオン。後は、よろしくね」
ふと、焦点が彷徨う。
その直後、強烈な眠気が全身を苛み、俺はなんとか抵抗しようと奮闘するが、されどそれからは逃れられる筈もなく――。
「――おやすみ」
「――――」
――ピピピピピピピピッッ!
けたましく自己主張を繰り返す目覚まし時計であったが、それが鳴りだした瞬間一人勝手に俺の右腕は動いていた。
即ち、叩き割る勢いで目覚まし時計へチョップをかましたのだ。
無論、文字通り何を顰める目覚まし時計。
ふう……これで安泰だ。
そして、俺は急激に存在感を増す睡魔に誘われ、その瞼を閉じ――。
「――お兄ちゃん、自分から起きるのと、可愛い妹に女の子さながらにおめかしされたまま学校に行く、どっちがいい?」
「おきますとも」
女装はもう勘弁!
幾ら俺がこの年にしてあどけない童顔だからって、そろそろ妹のこの扱いは御遠慮したかったのである。
妹が「チッ」と忌々し気に舌打ちするような気がするが、きっと気のせいだろう。
気のせいったら気のせいなのだ!
そう俺は言い切り、間抜けた顔をロクに覆い隠すこともなく、「うーん」と屈折運動する。
「あらお兄ちゃん、妹との運動との前のストレッチ?」
そう問いかける妹。
これだけ聞くと別段言葉通りの意味しか思いつかブことはないのだが……これ、痴女(本人曰く、俺限定らしい)な妹が言ってんだよな。
まず確実にやらしい意味だろう。
無論、一々ツッコむような野暮な真似はしない。
これだけ一緒に過ごしてくると、容易く妹の手綱を引けるようになってきたと、そうしみじみと実感する。
そして俺は未だシャキッとしない顔つきのまま妹へ振り替える。
「さっさと飯食って学校行くぞ。――春香」
「ええ、お兄ちゃんと一緒に、ね?」
「やめい」
そう、俺――鈴城明は、過剰なスキンシップを繰り返す妹に辟易しながら階段を駆けていった。
回想とかじゃないくて、どちらかといえばIFに近いです。
二話程度で終わります。




