悪意の象徴
アキラ君サイドです。
――悪意。
その種類は多種多様だ。
殺意、猜疑心、嗜虐心、憎悪、絶望。
目下の存在はそのどれもに該当しているようで、されどどこか俺たちとは根底的にズレたような、そんな感情が伺える。
ニヒルな笑みも、どことなく機械的だ。
「――――」
押し黙る俺たちへ、その男は悠々と歩み寄る。
そこには、一切の品性が宿っていなかった。
当然だろう。
なにせ、ただただ他者を侮り、見下し、そして散々踏み躙ることでしか生き甲斐を得られないような存在なのだ。
そんな彼が、俺たちの尊厳を考慮する筈がない。
それは、断じて人間などではなかった。
さながら、不意に感情を手渡され、それに当惑するマリオネットかのような、そんな不可思議な印象がぬぐえない。
そして、その青年は軽く一礼。
そして、満面の嘲笑を浮かべ――。
「やあやあ、息災かな、アキラ君」
「……君呼ばわりを許諾した覚えはねえぞ」
「おっと、これは失敬。僕としたことが、なんたる無様を晒したモノだ」
「安心しろ。生きてるだけでそもそも世界規模の恥部なお前が今更どんなに恥の上塗りをしようが大した差異はねえよ」
「おっと、これは手厳しいね」
「そりゃあな」
流石に、これだけ悪意のある戦局を用意しやがり、あまつさえ散々俺の行動に縛りを課しやがったこの男には珍しく殺意しか沸かない。
否、あるいは同族嫌悪か。
いずれにせよ、珍しいことである。
俺は嘆息しながらすっと目を細め、一言問いかける。
「で、なんでお前――『厄龍』ルインがこんな廃墟に来てんだよ」
「――――」
青年――否、ルインは口元に愉悦とも虚勢とも判断がつかない曖昧模糊な笑みを浮かべ、ふふと嗤う。
「言わないって言ったらどうする?」
「完膚無きままに消し飛ばすって言ったらどうする?」
「アッハッハ――君じゃあ僕どころか、キルにさえ勝てないよ」
「誰やねん」
「ああ……君には関係のない話さ」
「あっそ」
キル。
確か、ルインと同類――つまること、かつて呪霊と呼ばれ、ある存在により人工的に制作された存在だったっけ。
なんでも、月彦曰くあれでも呪霊の中では最弱らしい。
それにさえ真面に太刀打ちできないと宣告されると、そろそろルインとの徹底抗戦も考え直したくなるな。
無論、虚言の可能性も高いがな。
「……で、何の用だ?」
「――その前に、おめでとうと言わせてもらうよ、スズシロ・アキラ」
「――――」
問いかけに対する返答はない。
ただただ称賛された俺は心底面倒くさそうなしかめ面を披露しながら、剣呑な眼差しでルインを睥睨する。
「何? いきなり褒め称えられても、何も出てこないぞ?」
「勘違いしないで欲しいね。そもそも、僕はわざわざあるかないかも分からない見借りを求めて君を拍手喝采したワケではないのだよ」
「……まあな」
こいつは、いわば俺と同類。
合理が服を着て、素知らぬ顔でそこらを歩き回っているような、そんな冷徹かつ聡明な男なのである。
故に、何と無しに投げかけた問いかけは不毛だったか。
納得はした。
だが、必然的にそれと同時にある疑念が浮かび上がる。
「……じゃあ、お前は如何なる算段があってこんな辺境に? 言っとくが、『老龍』はお亡くなりになったぞ」
「ふむ、そういえばそうだね」
「――――」
と、そう惚けるルインにやや呆れ果てながら、俺はライムちゃんと目配らせする。
(ライカちゃん、交戦したら即座に転移して)
(委細承知だわ。また逢いましょう)
(ああ)
本当にコンマ一秒程度一瞥した程度なのだが、どうやらライムちゃんは俺の意思を正確無比にくみ取ったようだ。
俺も同様である。
ライムちゃんならば俺の身を案じこのプラン発動に猛反対しそうな気がしたが……どうやらそれは杞憂だったらしい。
「……さっさと答えろ。俺だっれ折角の戦勝ムードがどこぞの阿呆のせいで丸つぶれになってキレてんだ。端的に返答しろよ」
「おや、それは酷い話だね」
「ああ、できることならとっとと投身自殺でもして欲しいくらいだ」
「それはそれは」
ルインは俺の悪意を敏感に悟っていたようだが、特段気にする必要性もないと判断したのか、逆に俺を煽ってくる。
俺はそれを意に介さず、淡々と問いかける。
「『老龍』は、もう滅んだ。故にお前が如何に介入しようが無駄足なんだよ。理解できたらとっとと帰宅しろ」
「それには及ばない。あんな小物、興味ないさ」
「――――」
『老龍』がこの場に居れば泣き崩れてしまいそうな発言である。
他人……というかつい先程まで殺し合っていた仲なのだが、無性に『老龍』へ同情してしまうのはまだ俺が甘いからか。
「じゃあ、どうしてここに――」
「――ひとえに、君は組織の敵対者に対し、どう接するかね?」
不意に、そうルインは俺の声音を遮るように問いかけてきた。
「……?」
訪問の真意とはあまりにもかけ離れたその問いかけに思わず頭上に疑問符を浮かべてしまうが、至ってルインは真剣。
その瞳は一切合切を見透かしているかのように怜悧さが宿っていた。
思わずたじろいでしまうが、中途それを中断する。
「……そのこころは」
「ちょっとした興味本位さ。ほら、さっさと答えなよ」
「――――」
有無を言わせぬルインの気迫。
あるいは、今この場で彼の申し出を切って捨ててしまえばそれこそ彼の逆鱗に触れてしまうかもしれないだろう。
ならば――。
「……場合にもよるが、基本的には徹底抗戦だな。可能なら金や脅迫、その他諸々の手段で追い払っていくが、それでも退かない阿呆は一度徹底的にタコ殴りした方が話が速い。なにせ、度し難い阿呆なんだから」
「おや、存外気が合うね」
「訂正。俺は永劫の平和主義だよ」
こんな男と同調してしまえば、それこそ沙織にビンタでもされてしまいそうで戦々恐々しましまう。
と、そんな俺に対し、ルインは目を細めながらさながら泥酔でもしたかのように自身の持論を語る。
「そうだね。組織の根底は利益追求。そのためには如何なる非合法に走ろうとする者も後を絶たないだろう。だからこそ、一度こちらが同情したくなる程の地獄を見せなければならない。そうでもしなければ面目丸つぶれだからね。――そして、今回も」
その一言に俺は凝然と目を見開き――そして、声を張り上げる。
「――ライムちゃん!!」
「――『転移』!」
それまで『厄龍』の絶大な気配に気圧されていたライムちゃんであったが、どうやら土壇場で覚醒したようだ。
彼女は構築していた陣を展開、それへと魔力を注ぐ。
注がれた魔力により虚空に浮かび上がった幾何学的な模様が深々と刻まれた魔法陣が煌びやかな極光を上げ、空間が途切れる。
「――『獣王の拳』」
「――――」
――その、寸前。
ルインは神速と見紛う程の速力で棒立ちな俺を悠然と通り過ぎ、そのまま逃げ惑うとするライムちゃんへ急迫する。
咄嗟に『龍穿』で膨大するが、常軌を逸した速力故に真面に照準が定まらない。
結局、極限まで加圧されたその水滴の弾丸は明後日の方角をどこか虚しく飛翔していくだけであった。
反して、猛然と疾駆するルインはとっくの昔にライムちゃんの間合いへ踏み込んでおり、俺にしても戦慄が隠しきれない程の激烈ねエネルギーが宿ったその剛腕をおおむろに振ろうとする――。
「――『反転』!」
が、その寸前、ライムちゃんとルインとの間に不可視の障壁が展開された。
『反転』。
確か、どこかの『四血族』の騎士が保有していた魔術で、その効力は物理魔術問わず、接触したモノの一切合切の反射だ。
成程。
これならば、如何なる膂力であろうとも破砕は不可能。
そのままライムちゃんも逃げ切れる――。
そう確信した矢先の出来事だった。
「――アハッ」
耳朶を卑しく打ったのは、そんな不気味な嘲笑。
それに宿った意味に理屈ではなく本能が悟り、俺は咄嗟にライムちゃんへ警告しようとするが――もう、手遅れであった。
踏み込み、一閃。
「なっ……」
――そのシンプルな仕草で、絶対的な障壁は氷細工を砕くかのような手軽さで木っ端微塵となっていった。




