戦士として
「……折角命からがら逃げだしたのにも関わらず、理不尽な理由でタコ殴りにされたボクに対する謝辞は?」
「ねえよ」
「――――」
今一瞬ラッセルから思わず身震いしてしまいそうな途轍もない殺気が向けられた気がするが、きっと気のせいだろう。
そう結論付け、ガバルドは目を細めながら問いかける。
「――で、ライカは?」
「……ライカさんはボクを逃がすために自ら囮に志願しました。『厄龍』の手先と交戦していますが……正直、厳しいでしょう」
「――――」
瞑目。
思わず理不尽にもラッセルへ怒鳴り叱咤しかけそうになるが、話によればその逃亡はやむを得なかったようだ。
ここは、よく逃げ切れたと称賛すべきだろう。
……そんなこともできない自分はまだまだ子供だなあと、そう微苦笑するガバルド。
「……増援の見込みは?」
「……正直、無駄だと思います。アレ、ボクの速力さえも超越しやがりました。ホント、悔しい限りです」
「……マジか」
ラッセルは紛うことなき『最速』。
速さの極地へ到達した雷電が如きラッセルはもはや目視不可能であり、それはガバルドとて同じこと。
一度模擬選したことがあるからこそ、その恐ろしさが理解できる。
故の驚嘆だ。
「冗談……じゃあねえよな」
「残念なことですがね。それ以外のスペックも超一級、今まだ相手にした如何なる異形よりも卓越してました」
「……加勢すると、逆に無駄死にする。そういいたいのですね?」
「……癪ですが、ね」
「――――」
確かに、いたずらに命を散らすような真似は愚策以外の何物でもない。
だが、だからといって現実的な良案を導き出すことは、どうもガバルドの不出来な思考回路では不可能だった。
が、あるいはグリューセルならば――。
「――無理です」
「――――」
「もはや、ライカ殿への加勢は不可能。支援系魔術さえも、満足に効力を発揮することなくそのまま術師ともども消え失せるでしょう。――きっと、彼にとってこの世に存在する一切合切が足手まといなんですよ」
「それは……」
ライカは帝国における最強格。
その力量は、あるいは『魔王』アンセルにさえ手が届く程なのだ。
そんなライカと対等に肩を預け合えるような、そんな実力者が果たして今ある手札の中に存在するだろうか。
――否。
断じて、否。
「……一つ、希望があります」
「――っ」
最低最悪な事態に、思わず絶望の淵に浸りかける――紙一重で、それをラッセルの一言がなんとか阻止する。
ガバルドはラッセルの声音に怪訝な眼差しを向けた。
あるいは、それは殺人鬼さながらの鬼気迫ったモノで。
それに戦々恐々しながらも、やや畏まった風体でラッセルはある勝算を端的に告げる。
「――ルイーズさんが、窮地に陥ったボクを助けてくれました」
「……なんて?」
ちょっと……いや、かなり理解の範疇を超えるその声音に、思わずそんな間抜けな声音を吐露するガバルド。
それに対し、グリューセルは何かを熟考するような姿勢を取る。
「……ルイーズって、『四血族』――それも、つい先日国家から離反した野郎だろ? どうしてそんなヤツが……」
「さあ。詳細は語ってくれませんでしたよ」
そう、どこか哀愁さえ漂わせ、お手上げとばかりにラッセルを両手を掲げた。
「――――」
ルイーズ・アメリア。
聞く話によると、邪知なる『厄龍』が王城へ襲撃した際に、彼にどこか悠々と追随する可憐な少年がいたという。
その少年こそが、ルイーズアメリア。
誇り高き『四血族』の一員なのである。
そんな彼が、王城襲撃の主犯格の背後に、さも当然とばかりに付き従いるのだ。
鈍感なガバルドでも、それが意味するモノを即座に理解できた。
その後ルイーズは『厄龍』と共に王城を制圧。
その際に王と会話したそうだが、その詳細は依然として伏せられているとのこと。
閑話休題。
ほとぼりが冷め、なんとか復興の段階に進んだ王国であったが、彼らが真っ先に打って出たのはアメリア家の家宅捜査である。
一応、他人の空似という可能性もある。
だが、王城襲撃の後、一切の音沙汰が掻き消えてしまっている点から思案すれば……まず間違いと確信できるだろう。
そして、それは疑うことなき事実であった。
アメリア家の屋敷を一度捜索してみれば、濁流が如くこれでもかと情報漏洩の物証が出てくるではないか。
どうやら、余程慌てていたのだろう。
証拠破棄に一切頓着することなく、ただただ私財だけを回収してきたらしい。
ちなみに、雇用されていた使用人の一切は魔力の残滓から推察するに、ルイーズ直々に殺害されていた。
例えば、ボールペンを相伝魔術『示念』により操作し、それにより弾丸の如く脳天を撃ち抜いたり。
最悪、内部から『示念』により破裂したケースさえも存在する。
周囲一帯へとおびただしい程の鮮血、そしてやけに生々しい臓腑が飛び散った光景は、ガバルドであろうとも思わず嘔吐してしまう程に凄惨であった。
魔力残滓からも、状況からも相違はない。
――つまり、ルイーズ・アメリアは紛うことなき国家への反逆者であり、同時に度し難い間諜であることに、確信を得たのだ。
指名手配は当然のこと、それ以降は屈強な舞台を編成し、それにより徹底的に詮索を行う程である。
だが、依然手がかりは不明。
それ以降、ルイーズ・アメリアという少年が衆目に晒されることは、一度たりともなかったという。
それが、このタイミングで打破された。
「……何故、奴はそんなことを」
「……もしかしたらルイーズさんにも、ボクたちから離反せねばならないような、そんなやむを得ない事情があったんじゃあ」
そんな甘ったるしい意見がついつい漏れ出てしまうのは、きっとラッセルがまだ若い証拠であろう。
ならば、ここは大人、というかリアリストとして助言を下すのも、また自分の役目なのだろうと悟る。
「……それは無いな。だったらあの死体はどう説明する? あれは、偽装でもなんでもねえ。正真正銘の、亡骸だ」
「それは……」
「仮にやむを得ない起因が存在したとして、ルイーズが殺害した使用人は36名。情状酌量込みで、死刑は確定だろう。洗いざけ使用人の経歴を探ったとしてもそれらしい由縁も見つからん。まず間違いなく、これはルイーズ・アメリアの悪意により齎された末路だろうな」
「――――」
邪論を真っ向から正論で吹き飛ばされ、心的苦痛に心なしか瞳を潤ますラッセルを、冷めた眼差しでガバルドは見下ろす。
ラッセルは、この年で四強となった。
その天性の才能は、流石にガバルドであろうとも……否、ガバルドだからこそ、高く評価している。
だが、憂慮すべきはその精神年齢だ。
そもそも、「死にたい」だなんてうわごとのように繰り返しながら唐突に帝王へ飛び込んだ記憶喪失の少年の精神状態なんて、とてもじゃないが全うではないだろう。
既に、あれから数年の歳月が経った。
今でも時々癖のように「死にたい」などと自殺願望を口にすることもあるのだが、それでも当初に比べめっきり減少した。
それもこれも、ある程度はラッセルの精神が安定してきた確固たる証拠なのだろう。
今ではラッセルも年相応の、ちょっとうざいだけの快活な少年だ。
――だからこそ、殊更危うい。
「――戦場に、温情なんてモン持ち込むな。それは、確固たる覚悟を決めた戦士たちにとってこの上ない侮辱だ」
「――――」
「それは、たとえ対峙する野郎が意思なき悪鬼だろうが、敬愛する年配だろうが同じだ。――戦場は、優しい奴ほど死ぬ」
結局、それが真理なのだ。
正直、こんな重い話を、しかもこのような局面で口にするだなんてどうかなと、そう少々後悔してはいる。
罪悪感も健在。
だが、この叱咤は激励と同義だ。
せめて、ラッセルにはそれに気が付いて欲しい。
しかし、人間はいつまでも下らないことにうじうじと葛藤してしまうような、そんな蒙昧な存在なのだ。
今すぐに結論が出なくていい。
「――グリューセル。指示を出せ。後はお前に言われるがままに動いてやるよ」
「――。感謝します」
そうして戦局は、葛藤する少年を置き去りにし、進む征く――。




