朗報と
「――『起動』」
「――――」
呟き、その直後目下の情景が一瞬にして切り替わる。
ここ最近もはや慣れてしまった魔術における極地の一つである空間魔術のセールスに頬を引き攣らせるアリス。
ガバルドは素知らぬ顔だ。
連合軍の本拠地は亡霊都市の西南周囲。
そこらの有象無象ならばともかく、その一閃が今回の勝敗の是非を決定する致命的な要素となるのだ。
故に配布されたのがアーティファクト『天導』。
言うに及ばず、製作者はルシファルス家当主。
『天導』は、『自戒』により一度足を踏み入れた地点だけを座標に指定できるのだが、その分浪費魔力は微弱。
満身創痍のクリスでも片手間でできる程度である。
「……おや」
「よお、法王」
法王ことグリューセルは、どこと慌ただしそうに、いつものポーカーフェイスはどこへやら、その顔色は明らかに焦燥感を醸し出していた。
あのグリューセルが、である。
グリューセルも相当の重鎮。
それもガバルドのように戦場でただただ獅子奮迅の如き活躍を披露するような考えなしではなく、智謀を旨とする者。
故に、その些細な降り舞いも徹底されている。
他者に感情を伺わせないポーカーフェイスもその一例だ。
政界において心情が顔に出てしまえば面目は丸つぶれ、あるいは死を覚悟した方がいいとか、そんなことも言っていたような。
グリューセルがあからさまに狼狽する光景なんて、それこそ天地変異の前触れだろう。
それ故の疑念。
「……そんなに切迫してんのか?」
「ええ。……ライカ殿が襲撃されました」
「――――」
ここで激情を露わにしなかった点で、あるいはガバルドも少しは成長したと胸を張れるのだろうか。
いずれにせよ、栓無き事。
「……どういうことだ?」
「おや、動揺しないのですね。存外薄情ですな」
「殺すぞ。……惨めったらしく慌てて、それでライカがなんとかなるなら俺だって恥も外聞も無くそうしている。だが、んな都合のいいことありゃしねえだろ? だから、ここは大人しく聞いてやるよ」
そう苦々しい顔色で語るガバルドに対し、どこかグリューセルは面食らったとばかりに目を丸くする。
そして、一転。
直後にはさながら息子の成長を祝うような、いわば父親のような、そんな暖かい表情をしながら、目を細める。
「……ほう。あの狂犬も、丸くなりましたね」
「……何か言ったか?」
「いいえなにも」
「…………」
釈然としないが、話が進まないので黙認する。
そんならしくもない『理由』に微苦笑しつつ、直後に好々爺とした雰囲気を掻き消し、グリューセルは『法王』の顔で語った。
「『厄龍』とやらの手先ですよ。丁度崩落から逃れた生き残りが居まして、彼に臨時で諜報を頼んだんですよ」
「……襲撃地は法国、か。ってことは狙いは『白日の繭』っていう線が一番妥当だな」
「……奇しくも、彼の予言通りに物事が進んでしまいましたね」
「――――」
少々複雑な心境なのだが、仮にアキラがこの戦局を予測しているのならば、まず間違いなく打開策を用意しているだろう。
故に、そちらには問題が無い。
が――。
「――既に、五十分が経過しています」
「――――」
「既に諜報員も瓦礫に巻き込まれ即死。これ以上情報を手探ることは不可能でしょう。――もう、『白日の繭』の運搬作業は諦念した方が得策なのかもしれませんね」
「……おいおい、だったらどうするんだよ」
確かに、いつまでも希望的観測に縋るその姿勢は紛うことなき子供のそれであり、決していい歳の大人が成し遂げる所行ではない。
故に、一応の納得はある。
だが、だからといって懸念が晴れる筈がない。
目下、憂慮すべきモノは代案の提示だ。
グリューセルのことだから、とっくの昔に目途は経っていると、そう期待し――。
「……兵力の損害を最小限にするのならば即時撤退、最低限あちらの戦力を削減する意向ならば徹底抗戦でも……はあ、やはり、このどれもが非現実的なんですよね。意義が全くと言っていい程感じられない」
「……マジかよ」
「本気と書いてマジです」
「…………」
確かに、仮に撤退したとしても『老龍』、そして『厄龍』ならば容易くこの程度の結界は破砕できるだろう。
アキラ曰く、これは『テスト』。
故に戦時中に限ってそのような暴虐に敵陣営が打って出ることはないとのこと。
だが――逆に言ってしまえば、一度戦場から立ち退いてしまえば、『厄龍』の悪意にまみれた温情にさえ縋ることは叶わないのだ。
仮に結界が喪失すれば、結果は必然。
悪鬼と化した異形たちは、その激烈な本能のまま吠え、そして立ちふさがる存在のことごとくを蹂躙する。
最新鋭の武具を用い、歴戦の猛者をありったけ搔き集めたとしてもこれだけの損耗が生じてしまったのだ。
その暴威に、一般人が耐えられる筈がない。
最悪、世界滅亡なんていう荒唐無稽な話でさえ現実味を帯びるだろう。
そうなってしまってからでは手遅れ。
確かに仕切り直しという観点では一応良案なのだが、討伐に至るまでに予測される犠牲者があまりにも膨大過ぎる。
もはや、それは国家の一つ二つ程度の規模では済まないだろう。
徹底抗戦など以ての外だ。
溢れかえる異形の軍勢は無尽蔵。
たとえあれら一切を焼却しようが、根底的に『老龍』を撃滅しない限り、おそらく本懐を果たすことは不可能だろう。
それをグリューセルはこれ以上ない程に理解している。
だが、逆境にしてはあまりにも手札が少なすぎるのだ。
この戦局を裏で操った邪知なる根源、スズシロ・アキラは不在、更に魔王さえもどこかへ掻き消えている。
『英雄』の起用は今後を考慮し遠慮すべきだろう。
だが、かといって他に有能な手札が存在するかと問われてしまえば、思わず天を仰がずにはいられないだろう。
「……詰んでね?」
「詰んでますね……」
そう、これは紛れもない詰みの局面。
スズシロ・アキラの計略さえも容易く紐解き、そしてそれを自身のプランに組み込み、巧みに運用する。
成程。
確かに、あのアキラが最重要人物と、そう心の奥底から警戒するのも理解できるだろう――。
「――っ」
不意に、微かに虚空に魔術反応が。
ガバルドとグリューセルは一斉に飛び退き、それぞれ片手剣、そして錫杖と得物を手に取り身構える。
感知した気配は未知のモノ。
そして、驚嘆すべきはその常軌を逸した練度だ。
魔術において折り紙付きの技量を持ち合わせるグリューセルにしても冷や汗を禁じ得ない程の精緻さ。
されど、その繊細さに反して展開される速力は刹那にも満たなかったのだろう。
「グリューセル!」
「分かってますよ!」
『英雄』と『法王』。
両者が肩を合わせ共闘する光景なんて、それこそ数十年ぶりであろうか。
しかし、当時の気迫は相も変わらずで、ガバルドは後衛を任せ、強かに予測される襲撃者の着地地点へ強かに跳躍。
常人離れの魔力により桁外れとなった脚力によりタイル性の床が破裂し、グリューセルにまで余波が届く。
が、当の本人はどこか吹く風だ。
そしてガバルドは、一切合切を割断する実に特異的な魔術が付与されたその刀剣を、不埒なる侵入者へと振るおうと――。
「……えっ?」
「は?」
振るおうとした――その寸前、目を白黒させるラッセルと、目が合った。
なんとか斬撃という致命的な一閃が放たれる紙一重で自制心を全身全霊で発揮し、寸止めできたのが唯一の幸いである。
が、転移した途端悪鬼さえ裸足で逃げ出してしまうかのような形相で『英雄』に切りかかられたラッセルというと……。
「あ、あの……ボク、ガバルドさんに何か悪いことしちゃいました……? おふざけ半分でライカさんに夫の有ることないことを吹き飛んだこと以外、あんまり心当たりがないんですが……」
「オッケー、手前は生かしちゃいけねえ。この鉄拳の染みになりな」
尻込みするラッセルへ、思わずこめかみに血管を浮き上がらせるガバルドであった。




