戦場
「――戦場は、いわば修羅の庭。英傑が容易く果て、尊厳さえも呆気なく完膚無きままに噛み砕かれる、正に地獄」
――そこに、男がいた。
その男は挑発をさながらポニーテルのように纏い、和服姿の彼からはどことなく武士という単語を連想する。
が、最も特異なのはそこではない。
彼から際限なく溢れ出すのは、帝位たるライカでさえも真面に身動きできない程の隔絶した鬼気であった。
まさに蛇に睨まれた蛙だ。
全身がその暴威の具現ともいえる存在に人睨みされただけで強張り、真面に立ち上がることさえままならない。
全身から滝のように冷や汗が噴き出る。
本能が喧伝しているのだ。――これは、出会ってはいけない存在だと。
「荒れ狂う理念は行き場を失い、やがて無情に灰塵と帰す。それが戦乱、それが戦争、それが戦場だ」
その男は、懐にぶら下げた鞘から極端までに洗練された動作で鋭利な刀身を剥き出し、すっと残心する。
すの光景は、場違いだと理解していながらもどこか芸術的で……。
「――今ここに、此処は戦場となった」
そして――直後、男の輪郭が掻き消える。
「――ッッ」
鋭利なルシファルス家製の大剣をアイテムボックスにより具現化、そして来るべき衝撃へと備え――その胸元に一文字が刻まれた。
斬ったのだ。
その男は、ルシファルス家というアーティファクト作成の金字塔たる当主が直々に付与した『不壊』の魔術を、その膂力のみで否定したのだ。
ライカが構えた大剣は、さも、バターでも切り分けるかのような、そんな容易さを以て割断される。
そして、それと共に血飛沫が。
「ぁがっ……」
「殿下!?」
思わぬ事態に目を剥くラッセルに対し、ライカは真面に返答することなく、ただただうわごとのようにその声音を紡ぐ。
――逃げろ、と。
が、溢れ出す血反吐により真面に肺腑が機能することもなく、それ故にその繊細な声音が紡がれることもない。
そして――再び、惨劇が訪れる。
「次は貴君だ」
「ッ! ――『流転』っ」
直後、肌を刺すような殺意がラッセルを射抜く。
ライカでさえ碌に動けなかったのだ。
故に、ラッセルの存命は絶望的――そう誰もが絶望にふけた直後、ラッセルの輪郭が泡沫のように消え失せた。
否。
正確には、目測できない程の速力で跳躍し続けているというのがより厳密である。
――『最速』。
それが、ラッセルという少年に与えられた称号だ。
読んで字の如く、その由縁は前代の『最速』ことクリスであろうとも一切知覚できない程の速力を保有しているが故だ。
振るわれたその鋭利な刀身。
が、されどそれは超高速で移動したラッセルの寝首を掻くことは叶わず、ただただ虚しく虚空を書き切る。
「ちっ……同類か」
そう男は舌打ちし――そして、不意にその口元に不敵な、それでいてどことなく狂気が垣間見える笑みを浮かべる。
「追いかけっこと、洒落込もうじゃないか」
「――――」
刹那。
その間に、一体全体如何なる事象が起こったのか、ライカでは、一切認識することができなかった。
だが、直後に猛烈な勢いで砲弾が如く吹き飛ばされるラッセルの全身に鮮血が溢れかえっていることから、事情の大部分を察することができた。
ラッセルの全身から洪水のように裂傷らしき深手の傷跡から鮮血が溢れかえっていることから、まず間違いなく凶器はあの大太刀。
それは即ち、あの男が『最速』に追いついたことも意味している。
「有り得ない……!」
『最速』の速力はお墨付き。
小癪なことだが、それはライカであろうとも追いつくことのできぬ領域と認めざるをえないだろう。
そんなラッセルが、純然たる速力勝負で敗北を喫した?
笑止。
だが、仮にそれが事実だとしたら――もはや、絶望の淵に浸るしかなった。
「やれやれ……存外使ったな。ニンゲンにも、中々どうして良質な使い手がいたモノだ。是非とも同僚にしたいくらいだ」
「貴様は……っ」
「ほう? まだ生きていたか」
思わず漏れ出た声音にその男は少々驚嘆したかのように微弱に目を見開き、おおむろに倒れ伏すライカへと歩み寄る。
そして――直後、その頭髪を女の子に対する礼節の一切を無視し踏み締める。
「これは僥倖。女子の体をまさぐるなど、武士として到底許容できんからな」
「ぅっ……あっ」
頭蓋が砕けていないことにただただ安堵し、そしてそれと共にいっそ派手に爆発四散してしまえばいいと思える程の鈍痛が全身を蝕む。
もはや絶叫する気力さえない。
呻く彼女へ、その男はなおも冷酷な眼差しで見下ろしながらなおも声音を紡ぐ。
「――喋るな」
「――――」
「聞かれたことだけを答えよ。だが、安心しろ。たとえ貴君が如何に口を閉ざそうが、殺しはしない。ただ生きていることを心の奥底から後悔するかのような激痛を加えるだけだ。我としては、どちらでもいい話だがな」
「――っ」
――本気だ。
そもそも、この男は一切の因縁もないライカとラッセルを見境なく切り捨てた、いわば狂人の類なのだ。
故に、その冷ややかな声音の信憑性はかつてないだろう。
ならば――。
「――だが、断る」
「――――」
――ゴボッ。
生々しい音と共に、男は猛烈な脚力によりライカの背骨をへし折らんとする勢いで踏みつけにしてしまう。
人体を形成する臓腑はその絶大な衝撃によりことごとくが甲高い悲鳴をあげ、中ではとっくの昔に潰えているモノもある。
口元から濁流のように鮮血が溢れ出した。
泡立つそれのせいでもはや呼吸さえもままならい。
酸欠により一気に微睡に堕ちた意識は、されど痛烈な激痛が苛むことにより瞬く間に払拭されてしまう。
後は、その繰り返しだ。
酸欠、苦痛、覚醒。
これを、ただただ壊れたラジオのように繰り返し、その度にライカの精神はこれ以上に無く擦り切れていた。
だが、その瞳に宿った強かな理想が掻き消えることは断じてない。
「意見を変える心算は皆無か?」
「……ハッ」
「そうか」
嘲笑こそ如何に着飾った声音よりもなお如実にライカの意思を誇示した動作であった。
それを余すことなく理解した男は、直後鞘に納めていた刀剣を抜きだし――それを、ライカの口内につき去る。
もはや、言葉もない。
廃墟に木霊するのはあるいは理性なき獣畜生の類とも見て取れる絶叫であった。
痛いどころの話ではなく、さながら目玉を懇切丁寧に潰し、丁寧に丁寧に全身の皮を剥ぎ取られたかのような、そんな鈍痛がライカを蝕む。
「殿下ッ」
「煩い」
そのあんまりな光景にたいし、ラッセルは目を見開きライカを救出しようとするが――その右腕が跳ね飛んだ。
一閃。
もはや間合いという概念さえ真面に機能することもなく、ただただ無慈悲に右手首が紛失したという異常事態に悶絶する。
が、相手は倒錯的な狂人だ。
故に、この程度ではご満悦ではない。
「目玉……食するのは幾年ぶりか」
その男はさも恋する乙女のように頬を紅潮させ、そしてさも当然とばかりにラッセルの両目を切っ先で刳り貫いた。
奏でられる悲鳴からは、いっそ狂気さえ感じる。
激痛のあまりのたうち回るラッセルに頓着することなく、その男は刳り貫いたその目玉を大口をあけ捕食する。
甘美なその目玉はこれでもかと男の舌鼓を打つ。
「美味、美味……まさか、味まで我好みとはな。是非とも養殖場で永劫生きたまま食事に併用されて欲しいモノだ」
「――ッッ!!」
「なに、そう睨むな。我に悪意はない」
――狂っている。
思わずライカがそう感じ取ってしまうのも、十二分に致し方ないだろう。
これだけの、もはや拷問と遜色のない惨状を生み出しておきながら、あまつさえ自分には悪意はない?
成程、正に狂人だ。
ふと、男はそういえばと思い立って、直後に声音を紡いだ。
「そういえば、貴君らには我の名を依然明かしていなかったな。ならば教えてやろう」
「――朱沙丸」
「それが、我の名だ」
まさかの朱紗丸さん再登場!
ちなみに、当初は生粋の武人というカンジでしたが……おわかりいただけでしょうか。はい、クズっスね。少なくとも、武人じゃあありませんね。
色々と後付けされた設定が猛威を振るった末路がこれです。
詳しくは、九章あたりで。




