白鯨
「あっちゃー」
俺はそう、見境なしに溢れ出した業炎を一瞥しながら、どこか達観したような、そんな間抜けな声音をこぼす。
レギウルス・メイカは魔術師として未成熟。
幾ら無尽蔵の魔力、そして桁外れの膂力が更に昇華されようが、両者の彼我の実力差は一目瞭然なのだ。
それ故の末路。
が、にしても想定よりも早く逝ったな。
俺が披露した『先読み』に感化されてしまったためか。
見様見真似でやってみた挙句この始末である。
流石ゴリラ。
俺たちにできないことを平然とやってのける。
「まあ、痺れもせんしただただ呆れるだけだがな」
「……顔色一つ変えないのだな」
「?」
ふと、『老龍』から投げかけられた少々不可解な声音に俺は心底不思議そうに小首を傾げて見せた。
「それがどうした? お前だって同じだろ」
「……そういうワケではないのだがな」
「――――」
そういえば、そうだったな。
『老龍』の本性、それは日頃の尊大な振る舞いとはかけ離れた、存外仲間想いな存在ということになっている。
しかも、存外人間らしさを兼ね揃えている。
俺へのあの提言も、きっとその一環だろう。
心底どうでもいいことなので、思わず忘却してしまっていた。
「ああ、そういうこと? じゃあお門違いだな。他を当たれ」
「……やれやれ。そのような冷酷な点も、存外合致しているな。お前を見ているとどことなく彼女を思い出す」
「そりゃあ大層な走馬灯だ」
「――――」
もはや、互いに会話の余地はない。
つい先程までは克服を提言してきた『老龍』であったが、もはやそれは不可能であることを察したのだろう。
『老龍』はすっと鞘に納めていた柄を万力にも勝る膂力を以て握り、前かがみになる。
「居合……」
長寿故に洗練された『老龍』の武技であったが、よもや抜刀術まで獲得しているとなると予想できていなかった。
実に多芸なことだ。
『老龍』の脚力からすれば、某金髪剣士さえも霞んでしまう程の速力で急迫、抜刀してしまうだろう。
俺の身体能力は存外虚弱。
反応するまでもなく細切れになってしまうのがセオリーだ。
そして――俺は口元に不敵な円弧を浮かべた。
「――『白鯨』」
「――――」
詠唱。
その声音が紡がれた直後、虚空に幾何学的な魔法陣が浮かび上がり、その直後に全長数十メートルはあろう巨大な鯨が具現する。
もはや、『老龍』が一度跳躍してしまえばその輪郭を目測するのは不可能。
レギウルスの二の舞が関の山だろう。
『老龍』は、その極限にまで増長された速力を遺憾なく発揮することにより縦横無尽に跳躍、死角に入りこみ奇襲する技巧を旨とする。
もはや、俺程度ではそれから逃れる術は存在しないだろう。
ならば――絶対に奴を寄せ付けなければいい。
「『白鯨』。これを真面に喰らっちまったらさしもお前も無傷ではいられないだろ?」
「――――」
『白鯨』は俺が編み出せる魔術における最高火力の御業だ。
虚空に無尽蔵とも形容できてしまう魔力を糧に巨大な水塊を生成、それを操作する魔術なのである。
浮かび上がった水塊の所々には氷細工の破片が巡っており、さながらチェーンソーのような効力をもたらすだろう。
更に、今回は最高峰の殺傷能力を実現するため、大いに旋回速力に重視している。
あるいは音速とさえ見紛う程の速力で巡るその鋭利な破片の大海原に飛び込めば、たちまちミキサーにすり潰される果実が如く細切れになるまでがご愛嬌だろう。
「――お前の『再生』は、無限じゃない。魔晶石を破砕すれば万事解決だ」
「――――」
先刻、『老龍』は確かにレギウルスにより魔晶石を完膚無きままに崩壊させられたのにも関わらず回帰していた。
それはレギウルスが間合いに入る寸前、『老龍』が詰みの局面だと悟り、故に魔晶石を自分自身で砕き、その暴威から強引ながらも離脱した。
魔晶石さえ無事ならば、後は龍種特有の『再生』で瞬く間に肉体を修繕してしまえる。
そういう由縁なのである。
つくづく、文字通り人間離れした野郎である。
が――。
「――今回は、魔晶石を放り投げる暇さえ与えやしない。レギウルスの落命、これに関しては予想外だが、魔術を構築する暇は稼ぐことができて僥倖だったな」
「……援護にていしていたには、その理由故かっ」
「そういうこと」
無論、俺の真意はそれだけではない。
が、いざ言及してしまうと長引いてしまうので、今この場は割愛させてもらうとしよう。
「レギウルスの天命を差し出す代わりに構築したこの術式だ。これなら、お前とて健在ではいられないだろ?」
「――――」
とっくの昔に『白鯨』は『老龍』を包囲している。
もはや『老龍』の退路は完全に断たれており、真正面から馬鹿正直に立ち向かわなければならないことになっている。
俺は足元の水滴を縦横無尽に操作し虚空を悠々と舞いながら嘆息する。
「お前は一つ履き違えている。――獲物はお前だよ、『老龍』」
「っ」
もはや居合どころではない。
『老龍』も肌で旋回するその狂気の大嵐の悪辣さは理解できているのか、心なしかどこか狼狽しているようである。
『老龍』とてれっきとした生物。
『老龍』を『老龍』たらしめる魔晶石を完膚無きままに破砕され、肉体へも散々に扱えば容易く絶命するだろう。
無論、回避は不可能。
四方八方、それこそ蟻一匹の侵入さえも許容しないこの牢獄から『老龍』が脱出するのは到底不可能であろう。
ならば、必然対策も限られてくる。
――『ブレス』。
龍種が獲得した未知のエネルギーを糧に無尽蔵に莫大な熱量の炎熱を四方八方で吐き出す、まさに龍の代名詞ともいえる御業。
これならば、破片程度容易く溶解できてしまうだろう。
そうなってしまえば、わざわざレギウルスの天命をかなぐり捨ててまで展開した『白鯨』の意義が消え去ってしまうだろう。
故に――。
「――『滅炎』」
「ッッ!?」
『ブレス』を行使しようと大口を開ける『老龍』――その臓腑へ、鋭利な真意の切っ先が突き刺さった。
絶大な激痛と衝撃に『老龍』が血反吐を洪水のように吐き散らしながら目を剥き悶え苦しんでいく。
が、俺は更に『滅炎』を操作。
より臓器の深層へと足を踏み入れようと、その鋭利な刀身で『老龍』の腹に文字通り風穴を開拓していく。
それによりより一層の苦痛が『老龍』を苛んだ。
『老龍』には、痛覚に以前不慣れだ。
それはそれまで『老龍』が常時絶対的な結界を展開していたが故に、まず何人とも彼に掠り傷一つさえ刻むことができない。
それ故に、『老龍』はほとんど「斬られる」という戦場において日常茶判事ともいえる、その痛覚を未経験なのだ。
だからこそ、思わず行使しようとしていた『ブレス』を反射的に中断してしまう程度には繊細なのである。
「ぐぅっ……! 小癪なっ」
『老龍』は未だかつてない鈍痛に頬を盛大に歪ませつつ、再度全身を苛む感覚を抑え込みつつ『ブレス』を再度実施しようとする。
だが、その時には何もかもが手遅れで。
「――ぁ」
そして――嵐天が夜空を彩った。
『老龍』は『ブレス』を溢れかえらせる――その一歩前、紙一重のタイミングでようやうその暴威が到達する。
つんざくその水流の殺傷能力は絶大。
『老龍』は咄嗟にバックステップしそれから形振り構わず撤退しようとするが――彼の背後にも、また刃物が。
「――っ!!」
「……哀れなモノだ」
もはや、地獄さえも生温い。
『老龍』がバックステップしたことにより図らずとも飛び込んだその大海原は、竜巻が如き勢いでおぞましい程の金属片と共に旋回。
それらの一切が『老龍』の強靭な肉体を削り取る。
もはや、その存命は絶望的。
「終わりだな」
存外呆気なかったと、そう嘆息した直後――張り裂けんばかりの轟音がこれでもかと耳朶を打った。
「おいおい……嘘だろ」
その元凶は言うに及ばず。
『老龍』――否、もはや生物の形容さえ保っていないその形容し難い存在は、その口元に凄惨な笑みを浮かべ、俺へと猛然と吹き荒れる破片に肉体が引き千切られる現状に頓着することなく、強かに跳躍していった。




