滅炎
「――――」
『傲慢の英雄』――レギウルス・メイカはすっと瞑目する。
その首筋からは極度の緊張状態故か滝のように冷や汗が溢れかえっているが、もはや本人にそれを気にする暇はない。
(俺の『紅血刀』のストックは有限……使いどころを履き違えたら詰みだ)
アキラとの決闘、更に補給する間もなく度重なった『老龍』、そしてその屈強な眷属との相次ぐ激闘。
それらが度重なることにより、愛刀『紅血刀』に蓄えられた無尽蔵ともいえる鮮血は未だかつてない程に枯渇していた。
そもそも、『紅血刀』にはある制約がある。
それは、獲得する血液は決して人型から垂れ流されたモノではないとストック、及び運用することができないという点だ。
十中八九、これも『自戒』の一環だろう。
が、そもそもレギウルスは戦士。
最善性で独楽のようにただただ踊り狂う生ける戦神なのだ。
それ故に血液の容量に困窮することはこれまで一度たりとも経験したことはない。
だが、そんな矢先に人族と魔人族との共同戦線が立案されたのだ。
無論、補給など以ての外。
精々死体から拝借する程度です。
無論、その程度では事足りないのは自明の理。
そして、なにより対峙する相手は超常という概念の体現者――かつて滅亡へ王手をかけた、あの『老龍』と、その一派なのだ。
「……つくづく俺もついてねえな」
残留血液はおよそ三割。
『老龍』再誕のルーツの究明が未だなされていない以上、無闇矢鱈な被弾は何が何でも阻止したい所存であった。
故に――。
「――――」
瞑目。
すると、それまで些末なモノだと断じ、意図的に遮断していた五感が、これでもかと研ぎ澄まされる。
拍動、吐息の把握など容易どころの話ではない。
対峙する化け物の筋線維の些細な微動によりその直後繰り出される必中必殺の一閃を予測、軽やかに躱す。
この技巧は、あるいはアキラのそれと類似しているともいえるだろう。
アキラは視線などの些細な情報の大海原から次点を導き出し、それをくみ取ったうえで計略を編み出す。
しかし、レギウルスの場合、着目するのは魔力云々ではなく、単純な事象だ。
脈動、微かな大気の揺らぎ――それらを総合し、そこから次手を割り出す。
が、レギウルスはそれを自然体で成し遂げられるアキラのような存在ではない。
「――っ」
「――――」
一閃。
直後に横薙ぎに振るわれるその鋭利な太刀に対し、レギウルスは咄嗟に『紅血刀』を構え、来るべき衝撃へ身構える。
が――想定していた絶大なインパクトは、生じない。
ここにきて、ようやくレギウルスは自らの失策を悟った。
(背後――っ!)
『老龍』はレギウルスとの衝突の刹那、唐突に極限にまで増長されたその身体能力を以て猛烈な勢いで迂回。
大地を踏み締め、極限にまで洗練された動作でその刀剣を振るう。
「――ッッ!!」
狙い定められた箇所は首筋。
レギウルスはなんとかその斬撃から逃れようとするが、されど『老龍』の速力を考慮し、それは不可能だと悟る。
ならば、せめて魔力による強化装甲で――。
「――無駄だ」
「っ」
直後、またも捉えていた気配が掻き消える。
『傲慢の英雄』たるレギウルスでさえ真面に関知することができない速力で『老龍』は再度跳躍、そして彼の間合いに踏み込む。
「――――」
地を這うかのような、さながら肉食獣とも思える『老龍』に、もはやレギウルスは一切の対策をすることができなかった。
そして――その鋭利な太刀が、強かに空を切り裂いた。
狙い定められたのは――レギウルス・メイカの愛刀『紅血刀』だ。
(くっ……! やはりそう来るかっ)
『紅血刀』は、ルシファルス家により制作されたアーティファクトで、まず絶対的に破損しないよう設計されている。
が、かといって急所が存在しないワケではないのだ。
具体的には、レギウルスの両椀から『紅血刀』を弾き飛ばしてしまえばいい。
『紅血刀』起動条件は、刀身もしくは柄へと手先が触れること。
つまり、一度紛失してしまい、最悪それを『老龍』が回収してしまえば、レギウルスを『傲慢の英雄』たらしめる不滅という権能が二度と扱えなくなってしまうのだ。
これが、格下、もしくは同等程度ならばまだ救いようがあった。
レギウルスとて、そこらの烏合の衆にそのような無様を晒すような、そんな軟な鍛え方をしていない。
が――相手は『老龍』。
故に、結果は必然。
(クソッ……!)
仮に『紅血刀』を手放してしまえば、アキラが述べる『時間稼ぎ』とやらも一切成就することはないだろう。
レギウルスの『先読み』の弱点。
それは、レギウルスがアキラのように『先読み』を常時展開できないことに起因する。
『先読み』を一度行使してしまった以上、途方もない程の情報が脳裏に溢れかえり、常人ならば発狂してしまうだろう。
レギウルスが普段『自戒』により意識せずとも極限にまで研ぎ澄まされてしまった五感をオフにwしているのはそれ故だ。
が、レギウルスも数秒程度とはいえども、極限にまで集中してしまえば『先読み』の行使自体は可能なのである。
しかし、それはアキラとは異なり、完成系とは言い難い杜撰なモノ。
あくまでもレギウルス程度の技量での『先読み』で予知できるのは、精々数秒後の光景なのである。
それ以上は、不可。
そして戦乱に明け暮れた、いわば蛮族のような存在でもあるレギウルスの脳内が多大な情報を受け取るには、極度の集中が必要不可欠となってしまう。
つまり、あくまでもレギウルスの『先読み』は不完全で、初撃はともかく、『老龍』相手では『先読み』を行使する暇さえないので、それから先の予知には到底及ばないのである。
確実に皮切りとなる一閃を回避せねばならない局面においては重宝するだろう。
しかし、この局面でそれは愚策でしかない。
「――――」
『老龍』の冷酷な眼光がレギウルスを射抜く。
その瞳には、アキラに向けられていた微弱な親愛の類の感情が皆無で、どこまでも洗練された殺意が彩らされていた。
思わず、全身が硬直する。
――死ぬ。
それに射抜かれた刹那、何千もの自らが完膚無きままに切り刻まれてしまう光景が瞳を閉じていようが鮮明に浮かんだ。
もはや、レギウルスに抵抗の予知もない。
その絶対的な末路からレギウルスが逃れられる筈もなく――。
「――『羅刹』」
「――ぁ」
衝突――その寸前、何の前触れもなく、鋭利な藍色の刀身が両者の間に割り込んだ。
その刀剣は術者の意思を一切履き違えることなくくみ取り、『老龍』が繰り出した一閃を寸前で受け止める。
(チッ……また借りができちまったな)
十中八九、あの男――スズシロ・アキラの仕業だろう。
あの心底忌々しい少年相手に醜態を晒してしまったなと、そう微苦笑しつつも間髪入れず『紅血刀』により乱舞を叩き込む。
『羅刹』と鍔迫り合いしていた『老龍』は疾風怒涛の勢いで放たれたそのおびただしい程の物量の斬撃に紙一重で被弾する。
大剣とさえ見紛う程の巨大な刀身が『老龍』の強靭な肉体を掻き立てる。
『老龍』とて明瞭に痛覚は関知するのか、やや苦し気に呻くが――。
「――笑止」
「――っ」
直後――『老龍』の顎門から、猛烈な勢いで常軌を逸した肉体を保有するレギウルスさえも余波のみで灰塵に帰してしまいそうな程の熱波が溢れ出した。
もはや、その指向性に見境はない。
ただただ四方八方を焼き尽くすという蛮族が如き考えなしともいえる包囲攻撃であったが、それはかつてない程の決定打となった。
「――――」
「なっ……」
直後――『老龍』は閃光と化す。
その脚力を無尽蔵とも形容できる魔力により強化、そのままジェット機さながらの速力で急迫する。
そして――瞠目するレギウルスが万力にも勝る膂力で握ってあった『紅血刀』を、一切躊躇することなく弾き飛ばした。
その事実を噛み砕き、意味する現実をどこか漠然とレギウルスが悟った直後――。
「――滅びよ」
――そして、滅炎が吹き荒れた。




