再起動
「――――」
疾駆。
ガバルドはアンセルにも勝るとも劣らない満身創痍でありながらも、猛烈な勢いで南へと全身全霊で跳躍する。
――南に行くといいよ。
今更、『魔王』を嫌疑することはない。
ガバルドは際限なく沸き上がる魔力により形振り構わず肉体の崩壊を未然に防ぎつつも豪快に飛翔。
「――――」
「チッ……!」
が、そんな彼へおびただしい程の視覚が。
ふと『音』を感じとり視線を傾けると、そこには筆舌に尽くしがたい形容をした幾多もの異形の怪物がガバルドへと飛びかかってきた。
だが、先刻対峙した化け物とは明確にサイズも微弱で――何より、理性がない。
本来、隔絶した手腕は緻密な計略により最大限に振るわれる。
だというのに、そのなけなしの理性さえ失ってしまうとは。
「つくづく、愚か――!」
「――っ」
一閃。
ガバルドは短く断片的に跳躍、そのまま舞踏を演じるが如く縦横無尽に飛びかかってきた規格の一切合切に一太刀加える。
血飛沫が虚空を舞い踊り、魔晶石が完膚無きままに砕け散る心地の良い音が耳朶を打った。
「存外、脆弱だなっ」
「っ」
ちなみに、異形は単体で一つの集落を破滅へ追い込む程の力量を持ち合わせている。
そんな悪鬼羅刹たち相手に至極冷静に立ち回り、撃滅するガバルドの手腕の方がそもそも異常なのだ。
無論、つい先刻この程度が小粒の災禍に思える程の悪獣と太刀打ちしたという事情も存在するのだが。
それは、また別の話である。
「――――」
四方八方を縦横無尽に舞い踊るガバルドはまさに疾風迅雷が如く。
もはや、如何なる歴戦の武人であろうともその輪郭を視認することさえ叶いやしない。
言うに及ばず、理性さえ手放してしまった不躾な存在の末路は既定済みだ。――即ち、課せられたのは永劫の安息で。
「眠れ、阿呆」
「――――」
息を呑む暇さえ与えやしない。
怒涛の勢いで、ガバルドは急迫する餓鬼の一切合切を切り伏せ、文字通り灰塵へと帰してしまった。
それを幾度繰り返しただろうか。
『戦局は……で……』
『チッ……! ……なっ!』
「――ッッ!!」
捉えた声音は余りにも微弱。
が、されどガバルドの魂から偶発的に漏れ出た弱音さえ逃さないように修練された『耳』は容易くそれを把握して。
(人里……!)
数にしておよそ数千以上。
十中八九、この地点こそアンセルが指示した地点に相違ないだろう。
「――――」
それを確認したガバルドはすぐさま跳躍――する寸前、紙一重で常人離れしたその脚力を以て軌道を強引ながらも変更。
そのまま途轍もない速力で飛び退いた。
それもそうだろう。
なにせ――なにせ、直後につい先程までガバルドが通過しようとしていた地点に痛烈な勢いで篠突く矢が降り注いだのだから。
正に危機一髪。
寸前で刺客の声音を聞き取れていなければ、あるいはガバルドとて今頃文字通り串刺しになってしまっていただろう。
(クソッったれ……! 完全に誤解していやがる!)
が、今現在は戦時中。
それ故にあるいはこの辛辣極まりなき対応こそが適正であると頭では否応なしに理解できているのだ。
ただただ苛立っているだけである。
「ふんっ」
しかし、ガバルドは直後に恐れるに足らないと判断し、全身全霊の脚力で疾駆し、人里らしき地点へ急迫する。
『!?』
「おいおい、驚嘆が見え透いているぞ、ガキ」
ガバルドはこの戦乱の最中であっても呆けることのできる刺客の度胸にはんば感心するが、自分も少しばかり当てはまってしまっているので次の瞬間には自重した。
『くっ……! イカレがっ』
「心外な」
無論、この程度の悪罵、忌々しきかの男の揶揄と比較してしまえば、いっそのこと児戯に等しいが。
が、刺客とて無能の穀潰しではない。
直後、刺客は一度深く深呼吸――次の瞬間その照準は洗練され、正確無比な一撃が『英雄』へと射出される。
「無益」
『な……』
言うに及ばず、それはなんら意義を及ぼすことはないのだが。
ガバルドは痛烈な速力でこちらへ飛翔してきた矢を容易く両断、そのまま死角へ潜んでいた暗殺屋の吹き矢もついでに回避しておく。
「随分と熱烈な歓迎だな。――こりゃあ、足を踏み入れるのはいつ頃になるのやら」
そして――跳躍。
「――本当に、申し訳ないッッ!!」
そう、土下座する勢いで首を垂れたのは、それこそ骸骨を彷彿とさせる程に痩せ細った長身の青年である。
その目元は隈だらけであり、どことなく苦労人臭が漂ってくる。
「なに。こちらとしても誤解が溶けたようでなによりだ。――幾度となく殺されかけたことも、笑って水に流そう」
「すいませんすいませんッ!」
ガバルドの痛烈な皮肉に、現代社会の醜悪さをこれでもかと浮き彫りにするかのようにひたすらに頭を下げる青年。
その姿、さながら苦労性のサラリーマン。
彼のつぶらな瞳が数え切れぬ程の心労により潤んでいるように感じ取れるのは気のせいであろうか。
と、いやーな上司さながらの振る舞いをするガバルドへ、こちらも疲れ果てたかのように老人が近づく。
「――余り、ウチの子を虐めないでくれますかね、『英雄』」
「……よお、爺さん」
ふと、背後よりそんなしわがれた声音が。
幾年ぶりに耳朶を打つその悪質な声音にガバルドはこれでもかと頬を引き攣らせながら返答していった。
が、そんな『英雄』へ品性行為を尊ぶ法王殿下は容赦なく指摘する。
「一応とはいえ公共の場。それ故に言葉遣いにも細心の注意を払うことを大いに推奨しますよ。さもないと――」
「脅迫でもする気か? そんなの効くわけ――」
「――ライカさんに、あることないことを密告しますよ?」
「此度の無礼、心よりお詫び申し上げます、法王殿下。どうぞ、私の不躾な振る舞いにご慈愛を」
「よろしい」
ガバルドさん、土下座する勢いでへりくだっていらっしゃる。
その実、この老人は少々ライカと関りがあり、ある程度の信頼を勝ち取ってしまっているのである。
そこに彼の普段の品性行為な振る舞いを考慮してしまえば、誰しもがその尊いお言葉に一切疑念を抱くこともないだろう。
無論、かの老公の悪辣な本性をとっくの昔に聞き及んでいるガバルドからしてみれば虫唾が走るが。
「……で、何のようだ?」
「それより、魔王殿は? もしかして、戦死なさいました?」
「満面の笑みで問われても……」
この老人は相も変わらずだなあ……とどこか遠い目になりながら、ガバルドは端的に事の顛末を告げた。
それに対し、グリューセルさんはとってもいい笑顔でガバルドの肩を叩く。
「ナイス、『英雄』」
「それはどういう意味だよ」
「どういう意味とは? 何を嫌疑していらっしゃるかは知り得ませんが、私は唯々此度の策略のキーパーソンとなる貴方の帰還に歓喜しているのです。決してゴミむ――魔王殿下の戦死に狂喜乱舞しているワケではありません」
「勝手に魔王を殺すなよ」
「同じようなモノです」
ガバルドは「こりゃあ確信犯だな」と嘆息しながら、直後にすっと目を細める。
「あんたがこうして悠々としていられるってことは……ある程度は戦局は楽になったと見て取っても相違はないか?」
「ええ。流石『英雄』。察しが良い」
「ハッ」
ガバルドはそんな心にもない称賛に特段感情を示すこともなく、淡々と問いかける。
「……で、策略ってのは? 悪巧みってことは十中八九スズシロ絡みだろうが……あいつは一体全体何を思い描いている?」
「何。今回ばかりは私たちに都合の良い手段ですよ。……今現在、戦局は優勢――のように偽装しているだけです。士気が下がりますからね。実際のところは逆境もいいところ。そろそろ先兵だけでは保ません」
「なら、どうする?」
「決まっていますよ」
グリューセルは口元に不敵な笑みを浮かべ――宣言する。
「――『白日の繭』を、再度起動します」




