即ち、それは自我の放棄
ガバルドさんサイドです
「やれやれ……」
ようやくアキラが打って出た奇策のキーパーソンとなる『英雄』の所在地を割り出すことには成功した。
が、このようなおぞましい異形の存在と対峙しているとは聞いていない。
(流石『英雄』。トラブル吸引力が凄まじい)
当人からすれば狙い下げな事態だろう。
それはともかく――。
「こちらも更なる損害を被るワケにはいかない。――ちょっと、無茶してみるか」
「――ッッ」
目下、途轍もない速力で大地に広大なクレーターを刻みながら急迫する異形を見据えながら、そう『魔王』――アンセル・レグルスは宣言した。
「――――」
「ほう……」
レアンとて依然理性は健在。
そうでなくとも敏感な本能は眼前でどこか場違いな程に飄々と棒立ちする青年の身に宿った甚大な威信を察知したようである。
直後――世界が緋色に満ち足りた。
――『ブレス』。
これこそ龍種における代名詞と同時に十八番、その内に宿った複雑奇怪なエネルギーを糧に暴威を振るう荒業だ。
レアンの体内に埋め込まれたのはさる龍の魔晶石。
エネルギーを如何に工面できているのかは未だ知り得ないが、その権威を振るえるのならばなんら問題はない。
「厄介なことだ」
「――――」
滾る烈火の熱量は一目瞭然。
まして、アンセルのような存外虚弱な存在では、『自壊』により累乗されたこの火力に呑み込まれてしまえば瞬く間に灰塵に帰すだろう。
が――『魔王』と異形の権能との相性は、最悪という形容では物足りず。
「――『天呑』」
「!?」
詠唱。
それに呼応し、虚空より滞在するのが、存在する物質の一切合切を先見えぬ深淵へと誘う痛烈な禍星だ。
正に、それは物理法則の可視化。
世界の条理から、たかが火の粉程度が抗うことができる筈もなく、直後には完膚なきままに余すことなく掻き消えた。
その惨状にさしもレアンであろうと目を剥いている様子だ。
もちろん、その意識の綻びを『魔王』程の男が見逃す筈もない。
「無闇矢鱈に炎熱を吞みこむでは華がなく酷く不躾だよ。――そろそろ、攻勢に回らせてもらおうか」
「ッ」
もはや、息を呑む暇さえない。
猛烈な勢いで跳躍した瞬間さえ目視させることなく爆音と共にアンセルは異形目掛けて飛翔していく。
その片手には、鉄筋さえも接触のみで割断してしまうであろう大剣が万力にも勝る膂力を以て握られており――。
「ふんっ」
「――――」
そして、一閃。
「――――」
その一太刀は容易く異形の頑強な肉体を抉りだし、そこらへ洪水を彷彿とさせる程の血肉を撒き散らす。
無論、『魔王』の猛撃はこれだけでは終幕しない。
残心し、次の瞬間アンセルは虚空に魔力により形成した翡翠の足場という舞台を無骨に、されどどこか優雅に踊り狂う。
「――ッッ!?」
その速力、正に閃光の如く。
変則的な動作で虚空で縦横無尽に立ち回るアンセルに対し、異形はその巨体が足枷となりなんら有効打を打つことができないでいる。
そして、視線を逸らす都度、痛烈な斬撃がその身を削っていった。
が――。
(やれやれ……不毛だね)
だが、アンセルからしてみればこれは赤子の児戯に等しい。
魔獣の心臓は魔晶石なのだ。
それはたとえ異形の怪物と化していようが同義であり、如何なる致命傷を刻もうが魔晶石本体に一太刀いれない限りこの乱舞は不毛と断じられるだろう。
が、レアンとて阿呆ではない。
『自壊』により極限にまで剥きだされたその本能は迎撃までは叶わないものの、辛うじてアンセルの舞踏の牽制の役割は果たしている。
無茶をすれば、あるいは突破できるだろう。
しかし――。
「……アキラ君は存外辛苦な役割を課すものだ」
スズシロ・アキラが提唱した奇策。
それを成し遂げるためには、不測の事態を考慮し万全を期す必要性がある。
そして、あくまで目下で怒り狂うこの害獣はいわば前座であり、本領を発揮する意義がそこまで感じられない。
だが、かといってこのまま不毛な攻防で戦局を停滞させるのも如何なるものか。
アンセル・レグルスは基本合理至上主義だ。
彼はこの上なく不埒な行為を嫌い、打ち出す一挙手一投足に最大限の意義を持たせ、数式が如く戦局を支配するのを旨とする。
そんな彼が、何故この期に及んでこのような無益な演舞に興じているのか。
その由縁は単純明快。
ひとえにいうのならば――『囮』だ。
「――おいおい嬢ちゃん、俺のことを忘却していやしないか?」
「!?」
ふと、レアンの耳元にそんな渋い声音が木霊する。
その事象にレアンはこれでもかと失念していた事項に目を見開き――そして、その顔面を『魔王』により強打される。
「余所見かい?」
「――ッ!」
あるいは、それは一種の走馬灯か。
レアンはこのいわば詰みの局面とも言いとれる最中で、その脳内を巡らせる限り回転させる。
『魔王』を、言うならば枕元の羽虫だ。
彼は猛烈な勢いで虚空を飛翔し、そして度々局所的な襲撃を繰り出し、レアンをこれでもかと翻弄する。
が、そこらの蚊の類と異なる要点が一か所。
アンセル・レグルスは王になるべくして生れ落ちた男だ。
彼の身に宿った天賦の才はそれこそスズシロ・アキラにさえ匹敵する程の代物。
だが、アンセルは現状に一切満足することなく、執務の合間を縫って極限にまで肉体、魔術の腕前を鍛え上げたのだ。
『魔王』は、言うならば努力する天才。
彼が授かったおぞましき程の才覚は、彼自身の血汗滲む修練により、華々しく昇華されているのだ。
そんな彼が、脅威にならない筈がない。
仮に目を離し、アンセルが全身全霊の一閃を放てば――まず間違いなく、レアンは滅んでしまうだろう。
そうなってしまえば、無論本懐を果たすこともできない。
『魔王』という存在は決して無視することができず、挙句目視することさえもできないというおまけつき。
これほど厄介迂遠な刺客も幾年ぶりか。
そして、畳みかけるようにして生じた『英雄』。
奴の刀剣には一切合切を割断する特異的な魔術が宿っており、真面に回避行動をとることができなければ容易く魔晶石ごと撃滅される。
(さて……どうする?)
『英雄』は虚空を踏み締め、既にレアンの魔晶石付近にまで肉薄している。
片や魔王もそんなガバルドを見計らい、短く跳躍、レアンの触手の一切を切り飛ばしながら飛翔してきた。
東西南北の見境なくありとあらゆる方位へと爆炎を放つのもあるいは有効打だが、それは不毛だと先刻断じられている。
が、現状レアンにはそれ以外の決定打が存在しないのだ。
「――――」
襲撃する両名は幾多モノ猛者の屍の山の頂上へ君臨する隔絶した存在なのだ。
どちらか一方に心血を注ぐような真似をすれば容易くもう一方に魔晶石を破砕され、レアンの黄金時代は幕を閉じる。
ならば――。
「――クソがっ」
「――――」
――もはや、後先考えることなどない。
刹那主義結構。
レアンの脳内にはとっくの昔に忌々しき白衣の青年の存在など掻き消えており、今では『英雄』及び『魔王』一色だ。
本音を言うならば、本命を喰らいたかった。
仮に白衣の青年、白い少年の両面を殺害できてしまえば、レアンはこれ以上ない程の愉悦に溺死さえするだろう。
だが、それさえも叶わないと知ったならば。
不服だ。
どこまでも無慈悲で悪辣な現実に断固として異議を唱えたい所存だが、生憎文句を叫ぶ相手さえも存在しない始末だ。
だったら、もう妥協することしかない。
少々物足りぬ気もするが、それでもなおこのまま空腹の腸内で死に絶えるよりかは幾分かはマシな未来だ。
指針は定まった。
ならば、後はこの滾る本能に身を委ねるのみ。
そして――。
「――クソったれな人生だったけど、やっぱり未練しかないや」
呟き――そして、直後にはその瞳からなけなしの理性が、完膚無きままに掻き消えた。




