巣立ち
――一度、彼女を滅ぼします。
「――――」
正直、気乗りしないことこの上ない。
メイルのこの数百年もの歳月の間、次第に存在が多大になっていく顔も知れぬ肉親へ思い馳せていた。
特段、由縁はない。
なにせ、自信を捨て去った者なのだ。
ならば、何故、そんな肉親を、さも恋する乙女かのように、一途に探し求めようとするのだろうか。
もはや、自分でさえそれが不明瞭になってしまっている。
だが、それでも微弱な記憶に滞在する、あの人たちがかけがえのない存在であることは否定し難い事実で。
(ホント、らしくないのだ)
否。
いっそのこと、この情熱こそがメイルという少女の本質なのかもしれない。
故に――。
――後は、任せましたよ。
「ああ、もちろんなのだ」
ひらひらと、視界の隅で掌を振るうスピカの輪郭が映る。
おそらく、彼こそがこの場で最も戦局を俯瞰し、怜悧に分析し実に的確な戦略を組み立てることができる人材だろう。
だからこそ、今回ばかりは癪だが彼に従うとしよう。
「これで失策したら、タダじゃおかなのだ」
「――――」
そうメイルは嘆息し――直後、痛烈に跳躍。
その右腕には既におびただしい程に鮮血で溢れかえっており、もはや原型を留め要るのかさえ定かではない。
が――これでいい。
そもそも、これは前座だ。
この程度の苦痛で四苦八苦してれば、それこそ先が思いやられるだろう。
「――ッ」
「――――」
咆哮。
ようやく異形は自身へと猛烈な勢いで爆走するその人間離れした存在に関知したのか、かすかす目を剥く。
無論、それも刹那の間。
次の瞬間には、即座に幾重もの氷柱により熱烈な迎撃をお見舞いする。
「お母さん……」
もはや、セフィールに理性の色は無い。
魔晶石崩壊が深刻化するに伴い、十中八九セフィール自身の理性も完膚無きままに溶け切ってしまったのだろう。
今や当初は見られていた策略なんて気配も皆無。
今、メイルへ牙を剥くのは純然たる獣畜生の類だ。
だが――だが、それでもなお足が竦んでしまうのは、きっとまだ覚悟が定まっていないからなのだろうか。
が、もはやこの期に及んで停滞など笑止。
これ程までにお膳立てされたんだ。
ならば、メイルにはその期待にこれ以上ない程に報いなければならない、その強固な義務が存在するだろう。
「――ッッ」
異形化に伴い、残留魔力も相当に増大されているようだ。
射出される氷柱に、魔術的な美麗さは皆無。
だが、そこに無尽蔵とも形容できる甚大な魔力が加わることにより、十二分に致命打として機能してしまっている。
(……ホント、面倒)
この神速と見紛う速力だ。
確かにメイルも『術式改変』を会得したことによりある程度は身体強化魔術の練度を熟達させることはできた。
が、それは一級品ではない。
そして、急迫する幾多もの凶器はそれこそ一つ一つが大魔術にさえ匹敵する程の威力を保有している。
この程度の身体強化、余りにも呆気なく打破されてしまうのがセオリーであろう。
「――ッ」
この程度の傷跡では迎撃さえ愚策だ。
故にメイルは、羽毛が如き軽やかさで途切れ途切れに跳躍しながらも、紙一重で迫りくる氷柱の一切を躱そうとする。
だが、無論メイルとて生物。
それ故に必然的に限度という概念に常日頃束縛されており、今日この日もそれからの脱走は叶わない。
「っ」
刹那、思わぬ死角より襲来した氷柱が神速と錯覚してしまうような怒涛の勢いでメイルへと肉薄する。
メイルはそれを回避――しようとするが、正面より急迫する鋭利な氷柱が、それを決定的に妨害する。
(クソッ……! 弾幕が強固すぎるのだ!)
やむを得ず全魔力を一堂に会させ極限にまで強化した左腕により受け止め。
インパクトの瞬間、腕が吹き飛んでしまったかのような錯覚に見舞われ、余波のみで血反吐を吐き出した。
無論、当の左腕は肉塊同然だ。
この状況下で治癒魔術禁止なのだから、笑える。
「はあ……」
痛烈な鈍痛に思わず硬直するメイルへと、一斉に鋭利な氷柱が殺到し、その華奢な細身を無遠慮に抉ろうと――。
「――やれやれ、てんでダメなのだ」
「――っ」
そして――閃光が、迸る。
メイルは刻まれた魔術の効力が最高峰に達するこの最高の一瞬を逃さず、先刻とは比べもならない膂力で凶器たちを一蹴する。
その異常事態にセフィールが僅かに恐れ慄いたように後退し――。
「知っておくのだ。――戦場で、後退は死を意味する」
「!?」
メイルは手ごろな氷柱を強かに握り、そしてそれをベースボールの要領で踏み込みと共にジェット機さながらの速力で投擲する。
もはやいっそのことある種の弾丸と化したその氷柱は気体摩擦で白煙を上げながらも、セフィールへと接触。
異形の岩肌へそれが触れた瞬間――血飛沫が吹き上がった。
「ふんっ」
「――っ」
異形の岩肌の硬度は既に規格外。
それこそ、生半可な刀剣では逆に刀身が刹那で木っ端微塵になってしまう程の品物ということになっている。
それを、互いの輪郭さえも定かではない程の遠距離からの人力投擲のみで風穴を空くなど、まさに夢物語だ。
(やはり、この魔術は存外便利なのだ)
開花したメイルの魔術、それは、『負傷すればするほどに身体能力が向上する』というモノである。
先刻の一件で既に体内の血液の大半が飛び出た。
故に沸き上がる、この無尽蔵のエネルギー。
「……さて」
図らずとも、これで氷柱はなんら障害と化さなくなった。
相手は獣畜生。
されど猛獣だ。
その本能に則た獰猛さ、悪辣さはとっくの昔に認知している。
「――慢心は、無い」
全力で、滅ぼす。
それこそがメイルという少女の宿命なのである。
そして――直後、スピカとはまた異なった意味合いで、メイルの輪郭が霞み、やがて消え失せていく。
次いで、盛大に荒々しい大地が隆起する。
その起因は、単純明快。
「ごめん、お母さん」
「――――」
――そして、メイルは光さえ置き去りにし、軽やかに跳躍するとセフィールの頭頂部へその鉤爪を振るった。
的確な決定打が叩き込まれた。
もはセフィールに生存は絶望的、どころかそもそも骨髄が残留していることさえも危うい状況だが――。
「――ぇr」
「……はあ」
だが、この異端な生物は、この程度では再起不能にはなりやしない。
どれだけの責め苦を味わおうとも、無尽蔵という形容が一番お似合いな魔力を代償に、セフィールの身はツギハギ修繕されていく。
その有り様は、余りにも醜悪で。
(……これが、生物ね)
あるいは、魔晶石が崩壊しないような、そんな個体が生じてしまえば、それこそ完全なる不死不滅の存在だろう。
生物とは、破滅してこそ生物なのだ。
だが、目下の存在はそんなメイルの持論かはら明確に相反するような存在であった。
「どうしてこうなったんだか」
「――ッッ」
どこか無気力なメイルへと、異形はこれ幸いにと、嵐風が如き怒涛の連撃を叩き込んでいく。
空を切り裂く薙ぎ払い、痛烈な刺突、おびただしい程の氷柱の弾幕が、メイルへと、殺到していく。
そして――、
「ぐぅっ……」
そして――そして、その一切をメイルは回避行動の余地さえ見せず、ただただ棒立ちして受け止めた。
一撃一撃の度に鮮血が舞い散る。
本音を言えば、今すぐに泣き出してレギウルスにでも縋ってしまいたいが、もはやそのような些細な願望は叶いやしない。
ならば――。
「――いい加減、私も巣立ちしないといけないのだ」
「――ッ」
幾度となく度重なった負傷によりとっくの昔にメイルの肉体は限界を超えており、息をしてるだけで奇跡ともいえるだろう。
だが、それでも歩みを止めることはなく――。
「さて、ようやく蓄積した。――こっからは、マジなのだ」
刹那――異形の上半身がメイルの一振りで呆気なく消し飛んでいった。




