ラルラリ唱えて
沙織さん視点……正確にはスピカ君視点です
「……やれやれ」
同胞――アキラの妹らしい少女の指示で持ち場を離れ、このような辺境に足を踏み入れた末路がこれだ。
まさか、自分がタダ働きされるとは。
あの頃でもある程度の報謝はあったのだが、これ程割に合わない仕事はないだろう。
(まあ、アキラ様の愛人の勅命ですからね)
スピカという少年にとって、スズシロ・アキラという少年はすべてだ。
彼が存在しているのならば、たとえこの世界が何色の烈火に染まりあがってもなんら関心がないと思える程には。
故に、アキラ関連の業務へは嫌に積極的なのである。
今回の一件もその一環。
ならば――妥協はしない。
「メイルさん。沙織さんの魔力の補完は任せましたよ」
『ああ、分かったのだ』
「それは重畳」
沙織はあくまでも分身体。
それ故にその存在は余りにも不確かだ。
魔術を――それも、練度の浅い初心者程度の技巧で行使してしまえば、最悪即座に粒子と化して消え去るだろう。
そうなれば――確実に、アキラは壊れる。
これ以上、あの人に道を踏み外して欲しくはない。
その情念は、あるいは一途な恋する乙女のようなモノで。
「……さて」
「――――」
嘆息するスピカが見据えるのは、とっくの昔に崩壊を指導させる、理性なき化け物と化したセフィールだ。
「ぼくも、あるいはこうなってたのかもしれませんね」
「――――」
が、それもIF。
そのようなことを考慮しようがなんら利益も生じることはないので――手短に、この不埒な喝采を沈めるとしよう。
「――始めましょうか」
「――ッッ」
咆哮。
生粋の暗殺者たるスピカは一切の殺気を生じさせない。
それこそが暗殺者の真っ当な姿勢であり、そしてスピカの天賦の才がそれから踏み外すことを許容しない。
だが、セフィールの剥き出しの本能はそれを感じ取ったのだ。
「……流石と言いましょうか」
「――ッ!」
もはや、言葉は不要。
セフィール――否、異形は美麗も武道もクソもない、あまりにも稚拙で、されど得物と仕留めるよう洗練された一閃を放つ。
が――反して、スピカは同様だにしない。
目下に鋭利な刀身が急迫しようが依然として彼の瞳に焦燥の色が帯びることはなく、いっそのこと不敵な微笑さえ浮かべていた。
虚勢?
否。
「――『霧霞』」
「ッ!?」
異形の鉤爪がスピカの華奢な細身をこれでもか無遠慮に引き千切る――その寸前、少年の輪郭が文字通り霞んだ。
なにせ――なにせ、スピカ自身が雲霞と化したのだから。
――『霧霞』。
その実、これはスピカ生来の魔術ではない。
そもそも、魔術師は生来刻まれた魔術以外にも複数の魔術に対して相応の適性を会得しているのが条理だ。
そしてそれはスピカとて例外ではない。
これは一種の干渉魔術だ。
『霧霞』は文字通り、自らの肉体を細胞大にまで分解し、意のままに操作・再構築を繰り返す魔術である。
この魔術自体超一級。
だが――これは、余りにも暗殺者には好都合な魔術。
「――ぼくの前に、呼吸は厳禁ですよ」
「!?」
そんな少年特有の変声期前の声音が異形の耳朶を打ち――その次の瞬間、肺胞の大半が唐突に切り落とされる。
異形とはいえ、存外臓腑に関しては原型を保っている。
それさえ理解していれば、粒子と化し臓腑を無遠慮に抉るという計略を考案するのは至極当然であろう。
肺腑をこれでもかと切り刻まれてしまえば苦悶の声音の一つや二つ吐き出すのが必然だろう。
幸い、痛覚も健在。
これ以上に都合の良い話は存在しない――。
「――ッ」
「ほう……」
直後――異形の身体が勢いよく弾け飛ぶ。
どうやら剥き出しの敏感な本能が自らの器官の内に宿ってしまったその悪意を察知したようで、このような指針でそれを解消しようと画策したようだ。
「……厄介ですね」
「――――」
推し量るに、既に先刻の重症の傷跡は治癒済み。
今から人族に急迫しようが、もはやとっくの昔に手遅れであろう。
そもそも龍種の自己修繕能力は魔獣の中でも群を抜いているが、異形化という暴虐によりそれが更に昇華されている。
通常十二分に致命傷に至る斬撃も、この存在の前では児戯に等しいと来た。
これ程までに不毛な死闘も中々存在しないだろう。
(さて……あの男は何を考えたこんな不埒な機能を付け加えた?)
あの男――自らの人生を完膚無きままに狂わせてしまった忌々しき『厄龍』へ、スピカは純然たる疑念を浮かべる。
が、それも一瞬のこと。
そのような考察はアキラがやってしまえばより合理的かつ正確なので、自分にような阿呆が思案するのが間違っているだろう。
「ぼくの仕事は、もう決まっていましね」
「――ッッ」
そう嘆息するスピカへ、直後異形が掠っただけで致命傷にまで至るかのような鮮烈な氷柱を大量に吐き出していった。
「――『霧霞』」
粒子化。
これを成し遂げられてしまえば、如何なる神剣の類、神仏の御業であろうともスピカに干渉することは叶わない。
が、かといって決定打を加えることも叶わないというのが現状だ。
臓腑へ侵入しようが、先刻の一幕の繰り返しであろう。
それは、余りにも合理的ではない。
ならば――。
「はあ。やっぱりこうなりますか」
「――――」
スピカはその事実に諦念し、ひらひらと掌を振った。
一見他愛もない仕草のように思えるが、それに宿った真意はそれとは乖離するようなモノなのである。
それを一言で言うと――。
「――後は、任せましたよ」
「もちろん、なのだ」
「……はあ」
スピカはその力強く、どことなく『彼女』を思い出させるような声音に疎まし気に目を細め、沙織の周囲へ移動する。
「……お疲れ様。どうだった」
「ええ。問題は、皆無です。無事、残滓を取り付けることに成功しましたし、経過は依然順調ですよ」
「そっか」
「――――」
そう端的に相槌を打つ沙織。
その瞳には、この期に及んで依然どこか躊躇するような、そんな迷いの感情が宿っているようにも思えた。
「……まさか、今更躊躇ってるんですか?」
「殊更に、だよ」
「――――」
沙織という少女が、度し難い程に心優しいのはとっくの昔にスピカも一目みただけで看破していた。
それ故に、相容れない。
(どうして、こんな奴が……っ)
スズシロ・アキラは断じて正義の味方なのではない。
その性格は悪辣の極地であり、如何に親密な間柄であろうとそこに利益があるのならば容易く背後からナイフを突き立てる。
そんな、合理の化身ともいえるあの人が、何故――。
――教えなーい。
何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故――。
「――スピカ、くん……?」
「あ、ああ……どうしたんですか?」
「い、いや……もしかして、怒ってる?」
「――――」
この少女は、何故こんなにも愚鈍そうな雰囲気を垂れ流しにしている癖に、妙なところで鋭いのか。
それにやや苛立ちながら、スピカは表面上は涼しい顔で嘆息する。
「いいえ、何でもありませんよ」
「で、でも――」
「……まだ、何か?」
「――――」
そう問いかけるスピカからは有無を言わさぬ迫力に思わず怖気づく沙織へ、畳みかけるように声音を投げかける。
「今が如何なる状況なのか理解できていないようですね。貴女の魂の些細な揺らぎが、此度の作戦の失敗の有無が明瞭に分かれるのですよ?」
「だったら、猶更答えたら?」
「いえ。ぼくは正直なところどこにどう転んだとしても興味はないので。勝手に滅ぶのも、生き残るのも貴女以外は勝手にしてください」
「……それも、アキラの指示?」
「……ご想像にお任せします」
「――。そう」
そう、沙織が嘆息した直後――轟音。




