魔王と。
アンセルさん視点です
それは、決して交わる筈のない『英雄』と『魔王』が、図らずとも一堂に会した、その数時間前のこと。
――そこは、阿鼻叫喚という言葉では余りにも事足りぬ程の、いわば地獄の最果てとも言いとれる惨劇が繰り広げられていた。
「――――」
悲鳴、怒号、絶叫。
そんな非日常がさも当然とばかりに耳朶を打ち、慣れぬ血臭が肺腑を侵し、途方もない嘔吐感に見舞われる。
「……どうなってるんだっ」
『天呑』で自らの身を安全を確保。
それから数分後、あらかた心の準備を済ませ、そして再度降り立った廃墟は、既にこの惨状であった。
「――ッッ」
「――――」
けたましい咀嚼音。
ちらりとアンセルは視線を傾けると、そこには顔も知らぬ魔人族の先兵が余りにも呆気なく異形と化した化け物に丸かじりにされている。
もはや断末魔さえ無い。
抵抗する気力さえ血肉と共に喰い尽くされ、ただただ終焉を待ち望む。
そして、これはこの廃墟においての日常茶判事であった。
「――――」
何と無しに周囲を見渡す。
視界に移ったのは、数日前一戦交えたあの炎龍と同じく、その身を真に獣畜生の類へ転変された害獣共。
そして、おぞましき程の戦士たちの、亡骸。
「――ッ」
――『魔王』は、決して完璧超人ではない。
理念だけは尊大で、だが、そんなモノを刹那で忘却してしまう程に、人死にに諦観することはできないのだ。
指示を飛ばすのは、まだいい。
実際にこの眼で、自らの勅命により散っていた天命の数々を目の当たりにしなければ、冷徹かつ合理の化身ともいえる計略を提示できた。
だが――今、その末路を目撃する。
ただただ無慈悲に、いっそ慈愛に満ち足りてるとさえ思えるように、それこそ薄笑いさえ浮かんでしまうように。
その情景の一つ一つが魂を無遠慮に侵食する。
『魔王』は、その名の通り魔人族を統治する者。
そして、アンセル・レグルスは歴代の『魔王』の中でも最高峰の為政者として名を馳せてきた男だ。
無論、その戦闘能力も超一級。
が、言うに及ばずそれが王が直々に戦場へ足を踏み入れるような、そんな愚策を世間を許容する筈もない。
それ故に、人死にに対する耐性が気薄なのもある程度は頷けるだろう。
だが、アンセルを苛むのは死への鮮烈な畏怖だけではない。
――仮に、自分がこの事態を想定していたのならば。
分かっている。
指揮官たる『魔王』が成せばならないのは、この絶望的な逆境から抜け出す奇策を編み出すことだ。
それこそがアンセルの宿命。
だが――時に、身命をかなぐり捨ててさえ守り抜く心意気の信念は、魂が訴える激烈な感情に平伏す。
違和感は、とっくの昔に感じ取っていたのだ。
廃墟へ放たれた蜥蜴たちの力量は、明らかに雑魚の類であり、新参者程度でも容易く処理することができた。
が、言うに及ばずそれは異常事態。
アンセルはそれに誰よりも真っ先に勘づき――されど、鬼気迫った戦局故に真面に対策することができなかった。
仮に、戦局の有利化よりも先に違和感の正体を看破し、その対策ができたいたのならば。
そんな、余りにも下らない感情がいつまでも脳裏によぎっていた。
「――――」
拙い。
このままでは、ただただ自らの失策で本来ならば最小限で切り上げる筈の莫大な兵力が消えうせてしまう。
だが――どうすればいい?
「……クソッ」
既に事変は起きた。
あらかじめ対策する分ならばまだある程度はやりようがあるが、それはもはや妄想の類でしかない。
現実的かつ合理に則った、最適解を生み出さねばならない。
が、気配察知魔術を行使し確認すると、明らかに兵力が散り散りになってしまっていることが一瞬で理解できた。
この局面で兵力が一点に集束しないのは余りに痛手。
そして、おそらく再編も不可能。
推し量るに、今現在分散した戦士たちは、そこらにばらまかれた異形たちと死闘を繰り広げているだろう。
異形の力量は一目瞭然。
『魔王』さえも悪戦苦闘する猛獣を相手取っていながら、通信を聞き入れ、まして遂行するなど逆効果でさえある。
「――――」
もはや、打つ手はないのか?
頼みの綱であるスズシロ・アキラは『老龍』の相手だ。
アキラ曰く、万が一に加勢を避けて、『老龍』の周辺には通信さえも無効化する特異的な結界が張られているらしい。
(彼ならばあるいはどうにかできそうだが、それも叶わぬ今、もはや――)
そう、アンセルがこの逆境に諦観しかけた時――強かな靴音が、耳朶を打った。
「――いと高き神は仰った。愚鈍かつ見境なしに信徒たちを貪ろうと目論む悪しき害獣へ鉄槌を下せと」
「――。貴方は……」
その声音は今にも消え入りそうな程に微弱で、あるいはアンセルでもなければ聞き逃してしまっていたのかもしれない。
だが、そこには、同じ『王』として思わず崇敬さえしてしまいそうな程の威信が宿っていて。
夢にも見ぬ人物の登場にらしくもなく唖然と目を丸くするアンセルへと、その男は心底忌々し気に言い放った。
「特例です。――今回ばかりは、共闘することをお許ししましょう」
「――――」
そして、その男は露骨にアンセルを敵意を剥き出しにしながら睥睨しつつも、悄然とする彼の隣へ並び立つ。
そして――宣言する。
「さあ、『魔王』、その卓越した手腕、とくと披露して見せろ。――そうでなければ、滅ぼす甲斐がない」
その思わぬ人物の来訪に目を剥くアンセルであったが、直後にはその瞳を潤ませ、不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、全くだね。それでは、私――ボクの快進撃、その目に焼き付けてあげるよ、法王」
「――。ハッ」
そう、並び立った初老の男――法王は心底忌々し気にアンセルの声音を鼻で嗤った。
「――グリューセル。久しぶりだけど、準備は良いかな?」
「汚らわしい魔人族如きが私に指図しないでください。虫唾が走りますから」
「相も変わらず辛辣だねえ」と嘆息し、アンセルは目を細めながら即座に精緻な魔術を構築していく。
そこへ、無尽蔵ともいえる魔力を押し流し――。
「――狙うは魔晶石。知ってますね?」
「当然」
グリューセルの忠言に対し、アンセルは涼しい顔で首肯し――直後、編み出したその魔術を解放していった。
「――『神罰之雷門』」
アンセルがそう詠唱した直後、迅速に展開した魔法陣へ極限にまで凝縮された魔術がこれでもかと猛威を振るう。
が、このただえさえ莫大なエネルギーに、更に拍車がかかる。
「グリューセルっ」
「貴方の合図など、不要です」
間髪入れずに木霊したのは、どこかアンセルにも通じる怜悧さをその瞳に宿したグリューセルであった。
彼はその気にそぐわない行動に眉根を顰めながらも、それのトリガを引く。
「――『昇天』」
――それは、微弱な火種を刹那で世界を焼き尽くす業炎にまで昇華する、法王という男が誇る最高峰の魔術だ。
故に、結果は必然。
「――――」
そして、射出の瞬間に稲光するその雷門に付与された『昇天』により、保持していたエネルギーは累乗。
次いで生じるのは、エネルギー増大に伴う魔術の昇華だ。
「――――」
そしてアンセルは背後をグリューセルに言外に任せ――そして、すっと瞑目する。
此処は戦場。
些細な慢心が命どりなこの緊迫した空間において、それは愚行以上にいっそのこと自殺行為でしかない。
だが、アンセルに焦燥は無い。
なにせ、背中はあの男に任せてあるのだから――。
「――滅べ、悪獣」
勅命が下った刹那、展開された魔法陣が煌めき――直後、一切合切を焼却せし万雷が悪しき猛獣たちへと正確無比に降り注ぐ。
無論、フレンドリーファイアなどは皆無。
そして、極限にまでに魔王の名に相応しい洗練された手腕は、なんら問題もなく的確に周囲一帯の外敵を根絶やしにしていった。




