最善策
ショッタ、参上!
「――やれやれ。アキラ様も、存外人使いが荒い」
その少年は、この苦境にも関わらず思わず見惚れてしまう程に美麗だった。
彼のあどけない容姿は美を司る女神が丹精込めて作り上げた最高傑作ともいえる端正なモノであった。
鮮烈な深紅の頭髪は、どこか燃え盛る烈火を彷彿とさせる。
が、何よりも特徴的なのは――目。
その目は、真っ暗だ。
正に深淵。
先の見えぬ、ただただ空虚な暗黒により満たされた、そんな虚ろな瞳は、どこかアキラに通じるモノがあり――。
「――――」
少年は、刀身を刹那の鞘から露出させる。
そして、コンマ一秒には不思議なことに納刀。
それだけが、メイルに目視できた唯一無二の情景であり――故に、誰も彼もが直後に生じた現象に目を剥くこととなる。
なにせ――。
「存外、脆弱ですね」
「――ぁがっ」
納刀。
それが果たされた直後――なんら前触れもなく、セフィールの成れの果てから洪水が如き血飛沫が吹き上がる。
目を凝らすと、そこらに惨たらしい裂傷が。
十中八九、凶器は少年が手に持つ、その短刀だろう。
そこに、一片たりとも慈悲も憐憫も存在しない。
ただただ、ニンゲンと言う名の巨人がただただ偶然、その莫大な質量で人知れず蟻を圧殺してしまったような。
少年の瞳には、それ以上の感慨は宿っていなかった。
「あー。面倒ですね」
「――――」
刻まれた傷跡は十二分に致命傷。
が、しかしながら辛うじて魔晶石を死守することに成功したのか、今まさに修繕が再開する最中である。
完全治癒までおよそ十秒。
少年は、自らに課せられた任を果たすべく、跳躍――、
「――ちょっと待つのだ!」
「!?」
が、その寸前、襟首を万力にも勝る膂力により掴み取られることにより、図らずとも首が絞まってしまうこととなる。
危うく窒息死目前だ。
少年は恨めし気にメイルを睥睨しながら問いかける。
「……何の御用で?」
「それはこっちのセリフなのだ! お前は一体全体何者――」
そう問い詰めようとするメイルに対し、少年は煩わしいとばかりに敵意を剥き出しにし、柄へ触れ――。
「――アキラの部下。そうなんでしょ?」
「……貴女は」
少年は、突如として横槍をいれた雪のように色彩が真っ白な少女を、どこか不機嫌そうに睥睨する。
その眼差しにやや気おされながらも、沙織はメイルに代わって問いかけた。
「貴方、アキラに指図されてこの場に?」
「……だったらなんだって言うんですか?」
「――貴方、あの人を殺す心算でしょ?」
「――――」
その的確な指摘に思わ沈黙する少年。
そして、沈黙こそ何よりをも肯定だ。
沙織は、互いの指針の食い違いについて正しつつも、自らが考案した草案を、披露しようとし――。
「沙織!」
「!?」
そんな彼女へ、先刻の問答の猶予を最大限にまで有効活用していくことにより全快した異形の鉤爪が振るわれる。
少年も咄嗟に動こうとするが、メイルがカバーに入ったのを見て、断念。
そのまま少年は軽やかに跳躍し、最小限の動作で急迫する刀身から逃れつつ、ちらしと沙織の容態を確認した。
その当の本人は、あろうことかメイルによりお姫様だっこされており、ほんのり頬を紅潮させている。
お姫様抱っこ。
そう、お姫様だっこである。
……少年が背景に百合の花が咲き乱れそうなそんな微笑ましい光景に、主のちょっとした不憫さに顰め面をしていた。
「……ふむ。では、手早く済ませましょう」
「だーかーら!」
着地した刹那、メイルは再度乱雑にサラサラな少年の頭髪を掴み取り、そのまま引っ張り上げてしまう。
メイルの負傷は現在過去最高点。
それ故にその膂力も分不相応に極限にまで強化されており、さしも少年であろうとも抗うことは許容されない。
少年は敵意を剥き出し、やや声を荒げながら告げる。
「――殺しますよ?」
「ほう? あの男がそれを許容するとでもいうのだ?」
「……貴女たち如きが、アキラ様のことを分かったフリをしないで下さい。控えめに言って吐き気がします」
「そこまで言うのだ……?」
もう、物凄い嫌われようである。
先刻の一幕で余程気管を刺激されたのか、やたらと女子力が高い仕草で「こほんっ、こほんっ」と小刻みにむせる。
そんな少年を見下ろしながら、メイルは自らの指針を伝える――寸前、再度異形の暴威が肉薄する。
「ああもう!」
「けぼっ」
「きゃっ」
メイルは大砲のように急迫する氷柱に対して、少年は勝手な行動に移らないように襟首を持ち上げ、そのまま移動する。
ちなみに沙織は当然の如くお姫様抱っこである。
「はわわわっ」と可愛らしく目を白黒させるまでがご愛嬌である。
少年は舌打ちしながら、メイルへ傲然と吠える。
「貴女、乱暴は慎んでくださいよ! 唐突に器官を詰まらせたぼくの気持ちにもなってみてくださいよ!」
「いや、ニンゲンの部下というから、ちょっとイラっとして」
そう軽々しく言い放つメイルへ注がれるのは――氷点下という形容さえも生易しく感じられる怜悧な眼差しだ。
「――殺すぞ、下賤の輩」
「――――」
その瞳はどこまでも空虚であり、いっそのこと魅入られてしまいような、そんな錯覚さえも覚えてしまう。
少年は乱暴にメイルの手首を跳ね除け、拘束から離脱する。
「貴様が、アキラ様を愚弄するな」
「……お前には、冗談という概念さえも理解できないのだ?」
「貴方のそれは、ただのブラックユーモア。芸人にでもなってみれれば、別の意味で笑いものにされるでしょうね」
「……痛烈な皮肉、感謝するのだ」
「皮肉? そのような下衆の勘繰り、止めて頂けますかね。ぼくはただただ赤子でも判別できる道理を口にしたまでです」
「――――」
敵意?
否、断じて否。
今、その少年から発せられた声音に宿った堪え難き激情は――それは、明らかに殺意の類であった。
たった一言でこれだ。
仮にこの少年の主らしいアキラを思いつく限り悪罵してしまえば、確実に拷問さながらの体験をすることになるだろう。
げに恐ろしい人物である。
が、放置も不可能。
なにせこの少年は明らかに異形と化したセフィールを慈悲も欠片もなく始末してしまう心算なのである。
無論、メイルがそれを見過ごすことは、到底できやしない。
だが、今の自分が如何なる声音を吐こうが、それは不毛でしかなく――。
「――待って」
「――――」
その声音を聞き入れた瞬間、今すぐ飛び退こうとしていた肉体が硬直する。
その澄み渡った声色を発したのは、言うに及ばず、全身から色彩が抜け落ちた少女――沙織である。
沙織はどこか懇願するように頭を下げながら、告げる。
「お願い、私たちの話を聞いて」
「……それをする義務は?」
「ないよ。――でも、聞いてくれると嬉しい」
「……はあ。なんでアキラ様はこんな愚図に惚れたんだか」
少年はつくづく理解できないとばかりに肩を竦めながら、すっと目を細め、迫りくる氷柱の一切合切を目にも留まらぬ早業で始末する。
「三分譲歩しましょう。――お聞かせ願いましょうか」
「……ありがとね。えっと、名前は……」
「スピカですよ、スピカ」
「へえ……女の子らしい名前だね」
「……御託がそれで終幕ならば、ぼくはさっさとアキラ様に課せられた下命を完遂する心算ですが、何か反論は?」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
メイルは慌てふためく沙織に「何やってんだか……」と呆れつつも、続けざまに自らの要求を口にした。
「あの異形は、私の母親なのだ。――殺害以外の手段で、この事態を解決するのだ」
「……不可能ですよ。そもそも自壊に関しては色々と不明慮なことも多いのが故に、そんな夢物語が――」
そう切って捨てるスピカに対し、沙織はおそるおそる挙手し――、
「あ、あの……。もう、とっくの昔に打開策は立案できてるよ?」
「――――」
その一言にメイルは絶句し、スピカが「こいつマジか?」とでもいうかのように、嫌そうに頬を引き攣らせたのは言うに及ばないだろう。




