虎の子
「――今際の際は済んだか、愚図ども」
「――――」
不意に、『老龍』はすっと目を細めながら、そう奇想天外な事実の発覚故に目を剥くレギウルスと、ついでに俺へと問いかける。
「お前こそ、女房に遺言は済ませたの? あっ……そっかそっか。そんな性格だから、お嫁さんも居ないんだよね!」
「いるわ! 私にだっているわ!」
「えっ……そ、そんなっ」
「いや、そんな世界滅亡を知ってしまった一般人Aみたいに愕然とするなよ。気持ち悪――見苦しいぞ」
「言い直した意味なくない?」
というか、あの傲慢の代名詞たる『老龍』にも女房が存在してしまったという事実に驚嘆を隠し切れない。
誘拐でもしたのだろうか。
……………………うん、密かに幼女とか拉致ってそうな顔面してるな。
「……貴様、なんだその慈愛に満ち足りた表情は」
「『老龍』。幼女とだなんて、犯罪なんだぞ!」
「貴様は何を言っているんだ!?」
くっ……!
この男、この期に及んでとぼける心算か!
なんと卑劣な男だろうか。
「……なんだろう、無性に苛立ってきたのだが」
「分かるよ、その気持ち」
「ニンゲン……」
何故か親睦を深めあう『傲慢の英雄』と『老龍』。
一体全体、何故に彼らはこんなにも親し気にしているのだろうかと、心底不思議になり小首を傾げてしまう。
そんな俺を見据え、『老龍』は心底呆れたとばかりに「はあ……」と溜息を吐く。
「貴様ら。今が如何なる戦局であるのか、理解できたであろう? だというのに、何故にそうも余裕なのだ?」
「――――」
「そのおかしな男は、もう既に我の権能を看破したのだろう?」
「……まあね」
「ならば、絶体絶命な現実を悲観するのが道理ではないか?」
「――――」
『老龍』は、らしくもなくそんな一般論を口にする。
まあ、確かにな。
常人ならば、あるいはそのような無様を晒していたのだろうが――、
「「ハッ」」
俺とレギウルスは、口元に不敵な笑みを浮かべながら、『老龍』の持論を鼻で嗤いとばしてしまう。
その事態に、『老龍』は目を細める。
「おいおい……筋違いもここまで飛躍すれば芸術だぞ。なんなら、百億の名画にも勝るんじゃねえの?」
「今回ばかりはゴリラに同意するよ。そろそろ、お前も俺たちを理解しなよ」
「……どういうことだ?」
『老龍』は、啖呵を切る俺たちを剣呑な眼差しで睥睨しながら、そう問いかける。
そんな無知な老害へ、俺は頬を歪ませ、返答を口にする。
「――俺はなあ、無茶な博打はしねえタイプなんだわ」
「――――」
「勝算が0のクソゲーなんて、挑む価値なんて皆無だろ? 幾ら物好きな俺とはいえ、そんな阿呆なことはしねえよ」
「……それが?」
「まだ分からないのか?」
「――――」
俺はこれ見よがしに「はあ……」と肩を竦めながら溜息を吐き、次いで片目をつぶりながら、告げる。
「――勝算0,1を大逆転させる。それが参謀の仕事だってこたあ」
「――――」
一応、これでも本職ではないとはいえ参謀なのだ。
ならば、たまには参謀らしい発言をしないとな。
そんな俺を、『老龍』はまるで化け物でも垣間見てしまったかのように、その瞳に紛うことなき恐怖を焼き付ける。
「よもや、貴様らは粒子を蹴散らせると?
「いいや? それはない」
「――――」
厳密に言ってしまえば、それもまた俺に刻まれた魔術――『天衣無縫』を行使してしまえば容易だろう。
が、それでは根底的な問題解決にならない。
唯一の光明は魂魄魔術。
が、あくまでこれを習得したのは存外最近であり、それ故に練度は稚拙としか言いようのないというのが現実だ。
とてもじゃないが、『老龍』には通じやしない。
ゴリラ?
論外である。
成程。
確かに、『老龍』が怖気づかない俺たちを畏怖するのもある程度理解できるような、そんな絶対絶滅の戦局だな。
だが――、
「――俺が、この事態を想定していないとでも?」
そう、俺は嘲笑を浮かべながら問いかけた。
「……貴様が私の権能を看破したのはつい最近。故に、それは虚勢の類に他ならない――」
「どうかな?」
「――――」
確かに、『老龍』が指摘したのもまた事実。
俺が『老龍』の厄介かつ迂遠な権能を見極めたのはつい先刻であり、発した声音は矛盾しているといえるだろう。
そんな『老龍』を、俺は鼻で嗤う。
「そもそもさあ、お前の情報はどこぞの性悪によりこれでもかと抹消されてた。一切合切が不明慮なんだよ」
「――――」
「ライムちゃんの記憶も依然不明慮。故に、俺がお前の権能を看破するのは不可能だよ」
「……虚言を発したことを開き直る心算か?」
「いいや?」
「――――」
明確な否定に『老龍』は殊更に混乱したようで、その頭上に、あたらさまに疑問符を浮かべている。
ふむ。
どうやら、幾ら統率種とはいえども、現場の指揮などに携わることは案外皆無であったようである。
ならば、ここは先任者からの助言をプレセントしよう。
「あのなあ……そもそもなあ、戦場において予測できることなんて皆無。それも、情報が0に等しいんじゃなあ」
「――――」
無論、俺は前回の周回で『老龍』を刃を交え、ある程度の情報を収集することはできたが、それではあまりに事足りないだろう。
依然、情報不足に悩まされることになる。
が――こんなの、日常茶判事だ。
「おいおい、レイド最前線で名を馳せた智謀のアキラさんを舐めんなよ? こんな苦境に愛嬌を感じられる程のクソゲーを幾度となく味わってきたさ」
「――――」
レイドは、集団で挑むからこそレイドであり、それ故に単身では絶対に打破できないように設計されている。
それをこの三年で痛い程見知った。
『滅炎』の原型となった『鬼切丸』の獲得する契機となったあのクエストで出現した悪鬼なんて、そもそも存在自体関知することはできなかったのだ。
それに比べて、此度の事変はだろうだろうか?
駒は帝王、魔王、『傲慢の英雄』と、存外優秀。
更に、あらかじめ微弱とはいえ『老龍』を筆頭に、今回の『清瀧事変』の概要を目の当たりにしたんだ。
情報量も十二分。
つまり――、
「――逆に、俺としてはこれだけ生易しいレイドクエストをプログラムした運営の勝機を疑うなあ?」
「――――」
俺の主張に絶句する『老龍』。
無論、レイドと戦争は根本的に異なる。
レイドの場合、この世界が仮想現実であるが故に人死に関して忌避感を抱くこともなく挑めるだろう。
が、人名が皆平等な戦争は?
それこそ青天の霹靂だ。
戦士たちの細やかな士気、そしてなによりも滅亡に対する本能的な嫌悪感を考慮しなければならないのだ。
存外レイドとの感覚は異なるな。
が、ほとんどレイドと要領は同様だと捉えても支障はあるまい。
手札が増え、考慮すべき観点も同様に増大しただけで、別段運命を悲観する程のモノではないのである。
そして、上記の通り情報量は上々。
これだけ勝算があって、何故に絶望するのだろうか。
「……貴様は、このような戦局を想定しているといったな」
「ああ、まあね。俺もある程度は前刃を交えた段階でお前の容貌は確認できたんだし、ある程度は限定できたよ」
「……この局面も?」
「勿論」
「――――」
俺は日夜、『目』を併用していくことにより『厄龍』云々の情報を収集し、それを糧に結論を弾きだしていた。
そして、導き出した未来予想図のうち、その大半を、さる人物を到来することにより万事解決する。
ならば、そのさる人物とは一体全体誰奴だろうか。
『傲慢の英雄』?
『魔王』?
『帝王』?
『英雄」?
否。
断じて、否。
その切り札は、持ち前の凡庸性ゆえにありとあらゆる局面に最高峰の一手を打つことに最も適した存在。
一切合切の魔術を意のままにする少女だ。
彼女の名は――、
「――ライムちゃん。これが俺の切り札だよ」




