降り立って
「――――」
迫りくる凶刃を目の当たりにしたメイルを、走馬灯が如く突破口を導き出すための方程式が溢れ出す。
この速力、至近距離での奇襲。
驚愕故に刹那とはいえ足が竦み、俊敏な動作で急迫するその鉤爪から飛び退くことは到底不可能だろう。
回避は不可能。
ならば迎撃?
否。
迫りくる凶刃に込められた魔力は、その一閃で一切合切に終止符を打つとばかりに最高峰の練度で魔力が練り上げられている。
現状、負ったのは軽傷程度。
この程度の傷跡では、到底受け止めることさえできやしない。
最大火力のブレスもつい先刻酷使したことにより、ほとんど使い果たしてしまっており、使用不可。
練られた魔力は存外強大。
これならば、まず間違いなくメイル程度ならば容易く割断してしまるだろう。
ならば、加勢は?
メイルはチラリと横目で狼狽する沙織を一瞥する。
(駄目だ、距離が空きすぎている……!)
そもそもの話、『赫炎』という万象を焼却してしまう最高峰の魔術を行使できない以上、たとえ目と鼻の先にいようが無益な話だが。
加勢は不可能。
自力での防御も、また同様に――、
「――ッッ」
そして――メイルは、おおむろに自らの腹を鋭利な鉤爪で切り裂いた。
迫りくる異形の鉤爪が接触するまでに間に合わせるために手加減もクソもない一閃は、容易くメイルの肺腑を抉り取る。
だが――結構。
この身に余る苦痛と引き換えに、万力にも勝る膂力を得られるのならば、それで万々歳である。
「――ッッ!!」
「――――」
ようやく得られた唯一無二の対抗策。
それをメイルは宝の持ち腐れにならないように、その愛らしい容姿とは打って変わった狂気ともいえる戦意で装甲する。
踏み込んだ瞬間、隕石でも衝突したように大地が砕かれる。
手元に生来会得したエネルギーを、『術式改変』により極限にまで強化された右腕に纏い、そして――、
「――『獣宿』」
「――ッ!?」
一閃。
薙ぎ払われた鉤爪の刀身は、異形の岩肌に接触した瞬間、有り余る不可に耐えきれることができず崩壊する。
が、それもささやかな対価だ。
「――っ」
「――――」
メイルは、絶大な負荷により満身創痍となってしまった右腕に頓着することなく、転倒する異形へ短く跳躍した。
目を凝らすと、異形がメイルの斬撃を受け止めた箇所は、既に跡形もなく消え失せてしまっている。
幾らセフィールであろうとも、刹那であの重症を修繕するのは不可能だ。
つまり、今この瞬間、異形はメイルの致命的な追撃から身を守る術を何一つ持ち合わせていない――。
「……いや、違うのだ」
「――!!」
咆哮。
鼓膜が張り裂けてしまいそうな程の音量の遠吠えを異形が繰り出した直後――世界が、氷結する。
「――っ」
セフィールの魔術は氷結魔術。
どうやらそれへの天賦の才は、理性が溶け切ってしまってもなお健在なようである。
否、それ以上。
異形が繰り出す氷結魔術には、彼女が生来会得した華やかさ、誇り高き矜持といったモノが織り込まれていない。
芸の欠片もない、無骨の骨頂。
が、それは殺害という唯一無二の悲願を叶えるには十分すぎて。
「……!」
直後、目下に生じた光景にメイルは目を見開く。
なにせ、異形の咆哮を皮切りにして、音もなく周囲一帯に透明質な氷点下の鋭刃の包囲陣が展開されているのだ。
さしもメイルであろうとも動揺はする。
(さて……どうするか)
対処は容易だ。
先刻の自傷行為によりメイルの力量は底上げされており、この程度の包囲網ならば容易く一蹴されてしまうだろう。
が、それでは異形を仕留める最高の好機が――、
「……なにやってんだか」
ここにきて、ついつい異形の脅威故に数百年もの間の修羅場故に培った感覚に身を委ねていたことに苦笑する。
此度の抗争の意義は殺害ではない。
あくまで、沙織が最善策を編み出すまでの猶予を最大限にまで引き延ばす。
それこそがメイルに課せられた厳命。
(……本末転倒なのだ)
が、それでもなお、どうも疑念を拭い去ることはできず、こてんと小首を傾げながらメイルは鉤爪で周囲の澄み渡った鋭刃を蹴散らす。
(何か妙なのだ……)
幾ら無我夢中とはいえ、何故自分はあんなにも疑いもせずにセフィールを他殺しようと意気込んでいたのだろうか。
が、すぐさまその疑問を頭から振り払う。
心理など、それこそ神仏であろうが推し量りようがない。
それを、メイル程度が挑戦しようなど、それこそ笑止千万だろうと、そう自嘲していった。
(さて、私は目下の脅威に集中するのだ)
再確認したように、メイルの目的はあくまでも時間稼ぎ。
ついうっかり完全に殺す気で立ち回ってしまったが、今後は注意を引きつけつつ、回避重視のスタイルを徹底するが吉だろう。
「――――」
メイルは、依然拭い去れない違和感に気を取られないようにしつつ、目下の異形を見据え――凝然と目を見開く。
(!? 居ない)
つい先刻までメイルが目視していた筈の異形の姿は既に夢のまた夢であり、到底視認することは叶わない。
気配察知魔術行使。
が――看破できず。
(気配遮断! 理性を失った状態で!?)
その、あまりにも前例とは異色な現象にメイルは目を丸くしながらも、耳元へこの上なく魔力を注ぐ。
魔力、気配の補足は不可能。
が――如何に姿形を隠蔽しようが、足音までは消せまい。
セフィールがどのような魔術を会得しているのかは関知しない話だが、少なくとも無音魔術なんて需要のないモノを会得するタイプではないことは理解できる。
瞑目。
全身全霊で周囲のほんのささやかな物音さえも逃さぬように気配を研ぎ澄まし、聴覚の増強を最大限まで上昇させる。
数キロ離れようが、拍動さえも看破できるこの状況下。
これだけ条件が出そろっているのならば、如何なる愚者であろうとも容易く目標の存在を認知できるだろう。
事実、メイルは一瞬でそれを認識。
そして――凍り付いた。
「……嘘でしょ」
認知した異形とメイルとの距離――およそ、二メートル。
「――ッッ!!」
驚愕は刹那。
メイルは脳内に依然膨大な疑問符を浮かべながらも、それでもなお咄嗟の判断で手先に魔力を集束、一閃する。
さしも異形だろうが、この距離では回避も不可能――。
――パリンッ。
「なっ……」
確かに、メイルの鉤爪はそれを切り裂いた。
それ――質量形容その全てがオリジナルに類似した、禍々しくもおぞましい異形が、氷雪により彩られたモノを。
(擬態!)
推し量るに、これも氷結魔術の一環。
生成した氷塊に魔力を込め自由自在に操作し、メイルの五感をこれでもかと翻弄するための狡猾な策略。
そして、異形はまず間違いなく自らの輪郭を補足できなくなったメイルは聴覚に縋るのだと、そう予測していた。
それをメイルは心地の良い手ごたえを味わった瞬間、否応なしに理解する。
無論、自らの失態に対する天罰も。
「――――」
「――ッ」
咄嗟にバックステップ――が、そうして衝撃を押し殺したとしてもまだ足りぬとばかりに絶大な威力の斬撃がその華奢な細身を引っ掻きまわす。
自傷行為は、まだ我慢できた。
細心の注意を払って致命傷にはなるべく近似しないように心がけてるし、なにより自らの手腕で引き裂くというのは途方もない安心感を与える。
が、これは?
この、得体の知れない暴威は?
「っ」
爆音。
圧殺される寸前でなんとか後退したが故に辛うじて即死という結末から飛び退くことはできたが、言ってしまえばその程度。
物凄い勢いで吹っ飛ばされたメイルは、流星が如く鉄壁へ激突する。
それを数回貫通し、ようやく速力が収まったその時には既に全身の骨髄があらぬ方向にへし曲がっていた。
もはや、すぐさま復帰できるような軽傷ではない。
そして――異形は、それを見逃しやしない。
「――ッッ」
「――――」
異形は、ノックダウンしたメイルへ、決定打を打とうと急迫していく。
もはや、意識さえ朦朧とするメイルに、それを阻止することは叶わず、そのままなすすべもなく蹂躙され――、
「やれやれ。――アキラ様も、人使いが荒い」
直後――急迫する異形の全身に、一瞬で幾多もの痛烈な斬撃が刻まれて言った。




