異形と
沙織さんサイドっス
――私は、お母さんを信じる。
「――――」
その声音は、なんと力強いことか。
きっと、メイル自身は心のどこかで沙織と同様に、どれもこれも彼女の悪辣な陰謀という仮説を立てているのだろう。
だが、それを無意識に包み隠す程の親愛よ。
成程。
これが、親子か。
(アキラも、こうだったらなあ……)
仮に、アキラに母親に恵まれたのならば、あれ程までにひねくれることはなかったのになあ、と内心で嘆く。
そんな彼にときめいてしまう自分自身の業の深さを知りながら。
「――じゃあ、私はセフィールを信じたメイルに肩を預けるよ」
「沙織……」
「救おう。私たちの手で」
沙織の力強い明言に、一瞬メイルはその瞳を潤ませ――、
「――言うまでもないのだ」
「そうこなくっちゃ」
準備万端とは言い難いこの戦局。
だが、それでもなお敗北の可能性が脳裏によぎることはなく――。
「メイル。御免けど、今の私は出涸らし……『赫炎』が使えない」
「それは……難儀なのだな」
「だね。だから、物理はメイルにお願い。――私は、別の任がある」
「やれやれ……合理的だとは理解しているが、どこか釈然としないのだ」
「それに関しては謝罪するよ」
「まあ、それなら任されたのだ」
「任したよ」
現状、沙織は時間稼ぎという名目により、それまで微弱に残留していた『赫狼』の残滓の一切を使い切った。
そして、彼女の武術は中の下。
対峙する相手は魔王さえ悪戦苦闘した相手だ。
沙織程度の弱者が挑めば――即殺は必然。
それを誰よりもなお理解している沙織は、即座に役割を分担し、自らに最も適している役職を全うにすることを決意する。
無論、それをメイルが咎めることはない。
アキラではないのだ。
メイルに任せて逃亡などという最低な愚行は断じて決行しないだろう。
「沙織。治癒魔術は、瀕死の時以外は控えるのだ。私の魔術とそれは、どうも、に噛み合わないのだ」
「釈然としないけど了解だよ」
「助かる」
メイルはそう短く謝辞すると――全身に龍種特有のエネルギーを巡らせることにより、獣としての側面を剥き出しにする。
そして、メイルはその鋭利な鉤爪で自らの手首を掻き立てた。
「――ッッ」
メイルに宿った魔術は、負傷する度にその度合いに応じて基礎的な身体能力が底上げされるというモノ。
そして、それには自傷行為も適用される。
が、依然苦痛には差異は無い。
歯を食いしばり、相当な激痛を耐える。
そして――、
「……今の今まで、空気を読んでたってことなのだ?」
「メイル!?」
直後、それまで永劫沙織とメイルとのやりとりを傍観していた異形が、メイル目掛けてその鋭刃を振るう。
セフィールが魔晶石自壊により慣れ果てた異形の手先には、扇を彷彿とさせる鋭利な刀身を付けくわえられている。
無論、その切れ味は言うに及ばない。
その刀身に撫でられてしまえば、さしもメイルであろうが『負傷』程度で済むことは不可能であろう。
故に、その刀身が柔肌を容赦情けなく切り裂く寸前、メイルは自ら背後へ後退することによりその暴威から回避。
が、それは沙織にとってメイルが異形の刀身により吹き飛ばされたと見紛うかのような光景であったうおようだ。
だが、メイルにその勘違いを訂正する暇はない。
「――ッッ!!」
「――――」
直後、異形は疾風迅雷が如き勢いでメイルへと肉薄、そのままその腹部を食い千切ろと顎門を開く。
が――。
「ふんっ!」
「――っ」
メイルは急迫する鋭利な牙先の羅列に物怖じることなく、虚勢かいっそ薄笑いさえ浮かべ、踏み込む。
直後に披露したのは痛烈な蹴り上げだ。
メイルの手先に加えられた負傷の分だけ際限なく強化されていく身体能力を遺憾なく駆使し、最高峰の蹴り上げを披露。
直後に轟いたのは異形がひっくり返る轟音だ。
「す、凄い……」
異形の全長は、既にメイルの何十倍にまで膨れ上がっている。
故に、その質量も中々のモノだろう。
これを、これほどまでに軽々に蹴り上げ、吹き飛ばしてしまうとなると、相当な脚力であることは間違いない。
否。
それだけではない。
(魔術の練度が、格段に上昇している……!)
見据えた先で暴れまわるメイルの身体の隅から隅へと洗練された動作で魔術が行き届いており、それがもたらす効力は自明の理。
何より恐ろしいのは、その合理的さ。
魔力の一滴が絶大な事変を巻き起こし、その洗練された魔力変換技術故にこれだけの高火力が成立している。
先刻までのメイルには無かった要素だ。
おそらく、これはメイルが『術式改変』を会得したことに大きく起因しているだろう。
(……もう、同等なんかじゃないね)
推し量るに、沙織も自らの意思により封じ込めていた魔術を行使すれば、あれに匹敵する超常現象を巻き起こせるだろう。
だが、それは叶わぬ恋。
仮にそのような事態があれば――、
(違う違う。今考慮すべきなのはそこじゃないよね)
些事にかまけていた自分自身にそう叱咤しながら、沙織は本懐を果たそうと、食い入るように異形を――その中枢を担う魔晶石を凝視していた。
「――――」
「――っ」
一閃。
薙ぎ払われた斬撃に対し、メイルはうなじより生じさせたその龍翼を羽ばたかせることにより回避。
そのまま、口元より凄まじい火力のブレスを吐き出した。
「――――」
燃え滾る烈火は確かに異形を燃焼し、焼き尽くさんとする勢いで拡散していくが――それでもなお、全焼とまではいかない。
あと一歩。
それを飛び越えてしまえば、確実に異形は果てるだろう。
だが、そのようなことをメイルが成し遂げられる筈もなく。
(……膠着状態だな)
力量は互角。
否。
これでもなおメイルの負傷は軽傷程度なので、致命傷レベルの負傷を喰らえば、これ以上の力量を会得することは可能だろう
だが、それでは意味が無い。
今億千万もの金銀財宝よりもメイルが心の奥底から欲するのは、セフィールをセフィールたらしめる方策の提示。
ならば、幾らメイル自身の身体能力が強化されようが、それは無益でしかないだろう。
メイル一人では、この戦局を動かすことは叶わない。
だが、それはメイルがたった一人で異形と対峙していた局面の事。
「沙織……!」
この拮抗した戦局に激動をもたらす者こそ、あのたった一人のか弱い少女。
あるいは、彼女のように破砕専門な自分とは異なり、他者を救済する術を編み出すのではないかと期待する。
そんなメイルへ――、
「――――」
「!?」
吐き出されるのは、氷点下であることを示した霜の時。
直後、魔晶石が刻一刻と自壊していくが故に成り立ったこの効果力を遺憾なく発揮し、廃墟全土が猛烈な勢いで凍結する。
無論、これは予期せぬ一手。
故に、メイルがそれから逃れることも必然叶わず――、
「――――」
メイルは即座に極限にまで強化されたその膂力を以て氷結の束縛から逃れようとするが、それでも刹那の停滞を許容してしまった。
故に――迫りくる凶刃から逃れることは、叶わない。
「!?」
その腕に撫でられ、逃げ遅れたメイルの足首に痛ましい裂傷が刻まれる。
一応、このような事態を予期し、魔力により最大限に耐久を上昇していた。
だが、それでもなお有り余る程にその手腕に込められた威力は絶大であっただけである。
苦痛に頬を歪めながら、メイルはこれ以上の追撃を避けるために、即座にバックステップし距離を取る。
そんな彼女へ、幾重ものの氷点下の大槍が急迫していった。
(氷結魔術は依然健在なのだ!?)
その現実に瞠目しながらも、メイルはブレスを吐き出すことにより、魔の手から逃れようと――、
「――メイル! 後ろ!」
「えっ?」
そして、沙織の賢明な忠言が耳朶を打ち――。




