宣言
粗品さんがボカロPという衝撃の事実に今更驚愕しております
「――?」
始まりは、些細な異変であった。
変動したのは、セフィールの吐息。
互いの拍動さえも容易く把握できるこの距離だからこそ、喘息患者が如く途切れ途切れになってしまい呼吸音に勘づくことができた。
次いで、セフィールは愕然と目を見開く。
あるいはそれは、裁判所で死刑宣告を言い渡された被告人のような、そんな不穏な表情であり――。
「――あら。そういう算段ね」
「……?」
直後、セフィールはさながら悟りを開いたように目を伏せ、己の身に生じたその怪異を否応なしに察知する。
そして――、
「――『氷天下』」
「!?」
直後、セフィールは卓越したその手腕を以てせめてもの抵抗にと、音速の勢いで殺傷能力を極限まで低減したその弾丸を吐き出す。
標的は――愛娘と、その親友だ。
その突拍子もない事態はさしもメイルであろうとも咄嗟に対応することも叶わず、弾丸の速力に身を委ねる。
破砕音。
そして沙織とメイルは、迫りくる弾丸に対する対抗策を一切練ることもできずに、無様に荒々しい大地へ激突する。
「何……っ!?」
「お母さん……」
余所者である沙織への敵意は、あるいは納得できた。
だが、それでもなお、あれほどまでに溺愛していた筈の愛娘――メイルへの殺害行為は、たとえ世界の条理を組み立てた神仏であろうとも読解不可能だろう。
だが、常人でもその真意の断片を掴み取ることはできる。
(今の一撃、殺す気じゃない……!)
仮に殺意が宿っているのならば、あの不意打ちで沙織とメイルは細切れか、それに近似する状態にになっていないと可笑しい。
なにせ、あのセフィールだ。
現状、メイルは無傷同然。
それ故に、会得した魔術も無益だ。
この戦局を欲してあれ程の熱演をしていたという考え方も可能ではあるが――それにしては、どこか妙だ。
何故、セフィールは沙織たちを殺害しなかった?
否。
そもそも、大前提を履き違えているのだとしたら、どうなる。
仮に、大前提――セフィールが沙織たちに危害を加えようとして、あの暴虐に打って出たワケではないとしたら。
そこに、明確な根拠はない。
あの男――ルインは悪辣と奸計の化身。
それ故に今更情念を抱かせ、撃滅を躊躇させるだなんていう最低最悪なプランも、あるいは考案できただろう。
だが――セフィールの、涙を想起してしまった。
果たして、滴るあの微細な水滴は、冗句の類、ハリボテであったのだろうか。
ならば――、
――ええ。貴女のお母さんよ。
ならば、あの慈母が如き声音も、一切が虚言の類であったのだろうか。
「――違う」
沙織はそう囁くかのように呟き、すぐさまバックステップ。
本音を言うのならば、すぐさま真意不明な暴虐を実行したセフィールへ問い詰めたかったのだが――それは、叶わないだろう。
なにせ――、
「……異形っ」
なにせ、あの愛娘をこれでもかと溺愛する妙齢の美女は、認知した者の一切合切に痛烈な嫌悪を抱かせる、異形のシルエットをしていたのだから。
既にその姿形は原型と見る影もない。
野獣が如きその内面の獰猛さをこれでもかと誇示したその荒々しい形容は、既存の生物のどれにも当てはまらない。
故に、異形。
万象の条理から除外されし存在だ。
「――お母さん!?」
「――――」
なんら前触れもなく異形へ成り下がった母親に、普段は冷徹な姿勢が目立つメイルは盛大に狼狽する。
だからだろう。
この上なく動揺するメイルを俯瞰してみることができたからこそ、沙織は特段この異常事態になんら狼狽することはなかった。
「……メイル。魔王さんが一戦交えたあの龍のこと、まだ覚えてる?」
「そ、そんなの当然なのだ。沙織でもない限り、あんな暴威の化身、殊更記憶の彼方へ行くワケが――あっ」
「――――」
――暴威の化身。
ようやく、沙織が何を言わんとしているのかを否応なしに理解したメイルは、わなわなと目を見開きながらセフィールの成れの果てを一瞥する。
「――――」
『異形』から発せられるのは、剥き出しの殺意。
理性を会得した百獣の王、そんな彼らが今の今まで最低限の配慮として押し殺していた本能がこの上なく誇示されている。
恐るべきは、それから溢れ出す痛烈な威信。
膨れ上がった魔力の残滓が宿ったその気配の呑み込まれ、一度意識すれば足元の震えは留まることを知らない。
そう、それままさに暴威の化身――。
「そういう、ことか……っ!」
「メイル……」
隔絶した気配で、ようやく母親の現状が如何なるモノなのか、ようやく悟ったメイルは悔し気に歯噛みする。
「――魔晶石自壊。それに伴い生じる莫大なエネルギー」
「間違いないのだ。――魔王様に滅ぼされた龍種と、同じ病状なのだ」
――モニター越しにでも分かる。
敬愛すべき魔王陛下と対峙する、生物という概念への冒涜とも言いとれるその存在の、圧倒的なまでの気配。
きっと、メイルは直接相対した魔王よりもなおその存在に衝撃を受けた筈だろう。
――あれが、生物か。
――あんなモノが、生命か。
生物としての尊厳の一切合切をかなぐり捨て、それを対価に猛烈なエネルギーを甘んじるあの禁術。
それに対して、誰よりも嫌悪を露わにしたのは少なからず魔石が胸元に埋め込まれているメイルだろう。
あれは、龍種として絶対に受け入れられない。
そう、本能が警鐘を鳴らしていた。
そして、今。
「……お母さん」
今、その最底辺の存在に成り下がった母親と相対している。
よりにもよって、何故このような手段に。
何故?
否、あるいはあの一連のお話も一切合切が嘘偽りの類。
もしかしたら、セフィールは自分の滅亡を誰よりも切願しながらもなお、ああして談笑していた――。
「――疑うの?」
「――――」
刹那、澄み渡ったいっそ、神聖ささえも感じ取れるかのような、そんな声音がメイルの耳朶を打つ。
その発言に目を見開くメイルへ、なおも沙織は告げる。
「私が提示できる可能性は二つ。――一つは、故意。それまでセフィールは胸の内に潜む殺意の一切を押し殺して私たちと接していたという可能性」
「――ッ」
突きつけられた現実に、胸が張り裂けそうになる。
あの、慈愛に満ち足りた彼女が発した声音の一切に、あるいは聞くに堪えない罵詈雑言が隠匿させられているという可能性。
仮に。
仮に、それが事実であったのならば、メイルのか弱い魂は容易くへし折れ――、
「――そして、もう一つはルイン、もしくはそれに与する者たちになんらかの干渉を喰らったっていう可能性だよ」
「ッ!」
沙織が告げたのは、救い難い希望論。
あるいは、慰めの一言とも言いとれるその声音であったが、今回の場合あながち見当はずれでもあにだろう。
「……お母さんは、自分が魂魄魔術で洗脳されてるって言った」
「だね。あの手刀では、その接続を完膚無きままに断絶することは叶わなかった可能性も、一理あるよ」
「……信じていないような、そんな口振りなのだな」
「勘違いしないでよ。私は、色んな局面を想定しているだけ。『物事は俯瞰してこそ考慮すべき』。アキラの金言よ」
「……それは頼もしい限りなのだ」
感情的なメイルに反し、沙織は冷静そのもの。
なにせ、多少なりとも感情移入しようが、あくまでも出会った数時間程度の関係性でしかないのだ。
セフィールという母親へ数百年もの間思い馳せてきたメイルとは、わけが違う。
だからこそ、これ程までに冷徹になりきれる――。
(いや……)
違う。
沙織の瞳に宿ったのは、決意の念――ではなく、この期に及んで、どこか躊躇するかのような、そんな感情だ。
訂正しよう。
沙織という少女は、断じて冷静になり切ることもできずに、さりとてその激情を露わにすることもメイルの手前できやしない。
そんな、どこにでもいるありふれた少女で――、
「――沙織。お前がどうこの現状を受け取るのかは知らんが、私はもうとっくの昔に結論を出したのだ」
「……それは?」
メイルは、気丈な笑みを浮かべ――そして、『異形』を見据えながら、力強く宣言した。
「――私は、お母さんを信じる」




