苦境と
前半世界情勢、後半ライカちゃんサイドです。
『約定の大地』を足音さえ木霊させることなく暗躍し、今に至るまでのお膳立ての一切合切を担ったスズシロ・アキラが凶刃により倒れ伏す数刻前。
『清瀧事変』の戦局は優勢。
それもそうだ。
なにせ、この場に集ったのは幾十万もの歴戦の猛者、更に魔王殿下や幹部に至るまでもが出し惜しみされることなく集ったのである。
おまけに刺客の練度だ。
無作為に廃墟の亡国に放たれていった眷属たちはこれまでのデータとは明らかに異彩に脆弱であった。
それ故に、容易く新参者であろうとも撃滅できたという背景もある。
が、その現状に違和感を抱く者も少なくはない。
――弱すぎる。
これまで出現した眷属の力量は、最低でも零細国家程度ならば単身で滅亡させてしまえる程の者であった。
最高峰の輩ならば、あるいは超大国さえもその手にかけるだろう。
だが、今はどうだろうか。
烏合の衆でも容易く蹴散らせる程の子の微量な力量。
逆に、この戦局に違和感を抱かない方がどうかしているだろう。
そして――今、それが最低最悪の形式で実証される。
「――――」
それは、咆哮だ。
『老龍』――否、龍種を統べる頂点の存在よりをなお隔絶した、超常的な生物がとどろかせた遠吠え。
そして、それは迂遠な反撃の狼煙に他ならない。
なにせ――刹那、跋扈する害獣たちの一切合切の、その中枢を担うはずの魔晶石が一斉に崩壊を始めたのだから。
魔晶石自壊。
それに伴い、莫大という形容さえも生温い、激烈なエネルギーが身体の隅から隅にまで行き届き――。
――バキッ。
それは、破砕音。
龍種という至高かつ生物の頂点に君臨し生物が、自ら完成された至高の逸品をぶち壊し、おぞましき異形へ成り下がった合図。
自我は既に夢のまた夢。
その異形の純然たる本能のみが宿った瞳に映るのは、愛おしい程の飢餓感。
それを満たすには、どうすればいい?
必然、その稚拙な問いかけに対する正答は、たとえ理性という概念が完膚無きままに融解していようが本能が理解する。
「――――」
――喰らえ。
刹那的主義万歳。
目下に存在するありとあらゆる生物をこの顎門で喰らいつき、満たされぬ飢餓感に、今一度ささやかな慰めを。
そして――暴威が、亡国に蠢動していった。
「――クリス! 損害は!?」
薄気味悪い廃墟に、先刻までのコミカルさはどこへやら、ライカの鬼気迫った声音が強かにクリスの耳朶を打つ。
問いかけられたクリスは、悔恨をその瞳ににじませながらも、必要最小限に端的に戦局を報告する。
「3番隊は壊滅! 後はほとんど似たり寄ったりだ!」
「――ッ。クリスは少しでも損傷を低減してっ」
「了解っ」
ライカは、目下の原型さえも定かではない巨大な『異形』を極限にまで研ぎ澄ました一閃で駆逐しながらそう声音を張り上げる。
クリスは切迫した戦況故に振り返ることもなくそのままフォローへ。
それを気配察知魔術で関知したライカは、再度目下の悪獣たちへ再度向き直り、愛刀の大剣をこれでもかと乱舞させる。
「――ッ」
鈍い。
ライカの膂力は、その無尽蔵ともいえる圧倒的な魔力に補助され、細身に似合わぬ怪力になっている。
本来ならば、鉄筋さえも刀身に触れた時点で両断。
それこそ最高位の龍種さえもバターを切り分けるが如く、たった一閃で絶命させてしまえる程である。
だが――その斬撃に、微かな抵抗があった。
常人ならば些末なことだと切り捨て、あるいはそもそもこの絶望的な苦境に光明を差すのに無我夢中で眼中にないのかもしれない。
が、ライカは度重なる修羅場を潜り抜けたが故に培うことの叶ったその洞察力で、微かな違和感を看破する。
(この子たち、少なくともさっきまでと数倍は強化されている……!)
あるいは、最高位の龍種にさえ匹敵する程の力量だ。
しかも、これで野良と来た。
「――――」
「――んっ」
喧伝するかのような咆哮。
それを敏感に聞き分けたライカは、特段怖気づくこともなく、淡々とその脅威が迫りくるのを待ち構える。
そして、いざそれがその鋭利な鉤爪を振るおうとした直後――、
「――『雷門・極天』」
「――ッッ」
直後、澄み渡った地声とは異なり、聞く者全てを鼓舞する、凛とした声音が激闘繰り広げられる亡国に木霊する。
声音は微細。
それこそ、今にも掻き消えてしまいそうな程にか細い声音だ。
が――それが及ぼした効力は、余りにも鮮烈。
「――――」
轟音。
否、もはや鼓膜は刹那で張り裂け、それの推移を推し量ることさえも不可能な程の爆音を落雷が奏でる。
その直後――周囲一帯へと、世界を埋め尽くさんとはかりに痛烈な電撃が篠突く雨が如く降り注ぐ。
最上位魔術『雷門・極天』。
既に神仏の御業と見紛う程の練度の雷電魔術に、持ち前の隔絶した魔力量を上乗せした編み出す奥義。
これこそが帝位ライカが繰り出せる最高峰の魔術であり、如何なる生物であろうともその道理から抜け出すことは叶わない。
――筈、だった。
「ぐげぇっ」
「――――」
「健在……ッ!」
振り替える。
そこには、満身創痍――否、無傷同然のその爬虫類さながらの身体を揺らしながら、なおもライカへ飛翔する龍種が。
明白に他殺したと確信した。
だというのに、その当の本人には致命傷どころか、掠り傷の一つさえ刻まれておらず――、
「――ッ」
ライカはその耐え難い現実に歯噛みしながら、脚力を洗練された手並みで刹那で強化しながら後退。
が――ライカの背中へと、肌を刺すような剥き出しの殺意が。
「っ!」
それまで賢者の練度さえ容易く上回る程の技量で展開されていた気配察知魔術の包囲網さえ見抜けなかったその気配。
そして――、
「――ぁがっ」
腹部より、荒々しい異形の鉤爪が生え渡る。
愕然と目を見開き、ライカは口元から盛大に血反吐をぶちまけた。
久しく感じなかったその激痛に視界が霞み、無様なことに眩暈さえ差すが――それに身を委ねる猶予は、無い。
既に背後の『異形』は鉤爪でライカを文字通り釘付けにしたまま追撃を繰り出そうとしており、回避は至難の業。
更に、先刻ライカの奥義を無傷で耐えきった『異形』までもが急迫している。
まさに絶対絶滅。
帝国を統治する絶対的なカリスマの滅亡により、士気は最底辺に陥って、帝国は破滅の一歩をまた踏み締め――、
「――シキちゃん!!」
「――――」
無論、そのような不運な運命、この手でねじ伏せるが。
ライカはシキの破砕対象を時間制限のリスクを考慮し、今まさにこちらへと致命的な一撃を振るおうとする異形たちへ限定。
詠唱と共に、暴威の化身が現世に顕現する。
「――――」
シキは言葉もなく、そのやけに可愛らしいシルエットに反した膂力で、背後の『異形』を握り潰す。
人間離れな膂力が規格外の戦闘能力を会得した『異形』の骨髄を容易く破砕し、一瞬で撃滅させてしまう。
が、無防備なライカの元に、爬虫類さながらの『異形』が――、
「――ふっ」
「――――」
神速。
そうとしか言いようのない速力でライカの前方へ、立ちふさがるかのような立ち位置に跳躍するシキ。
刹那、シキは一瞬で肉薄する爬虫類を掴み取り――その人知を超えた顎門で、食い千切る。
そして、それを皮切りにシキに下された勅命は果たされ、それ故に彼の輪郭は泡沫のように消え失せる。
目下の敵対者の排除は済んだ。
ならば、さっさと先刻の負傷を治癒魔術で修繕し、魔力もポーションの類で補完しなければならない――、
「……そんな暇、ないんだけどね」
見渡せば、幾百もの『異形』が、虎視眈々と帝王陛下の寝首を掻こうと蠢いており――、
「――上等。たまには、ガバルドにもドヤ顔しないとね」
「――――」
直後、腸から滝のように流血するその惨状に目もくれず、ライカは疾風となりて短く跳躍した。




