終幕
「――■」
まだ。
まだ、やれる。
そう己を無理矢理鼓舞し、猛烈な吐き気と眩暈に見舞われながらも、『老龍』へと死力を尽くし特攻する。
だが、届かない。
相手は龍種族最強の存在だ。
幾らメイスが龍種の中でも最高位であろうとも、その絶対的な結界を打ち砕くことは、到底叶うことはなかった。
そして、迫りくる刻限。
それを意識する度に嘔吐感が倍増する。
構うな。
どうせ、この苦痛は未だピークではない。
この不快な感触を存分に味わうのは、今でなくていいのだ。
そう自己暗示にも近似する想いでメイスは猛然と特攻。
その剛腕に壮絶な練度の魔力を宿す。
そして――衝突。
ぶつかりあった因子は稲光を燦然と煌めかせながら、爆発的にエネルギーを周囲一帯へ放っていく。
それと共に盛大に血肉が抉られる。
だが、それすらも龍種特有のエネルギーに跡形もなく再生。
直後には甚大な苦痛と引き換えに一度、二度と再考補遺の一撃を繰り出す。
だが――それでもなお、足りないというのか。
依然、『老龍』の頬には擦り傷一つさえ刻まれていやしない。
それが、これだけの苦痛に身を浸したメイスが死にも狂いで会得した、たった一つと末路だというのか。
――そして、秒針が微動する。
「――□□」
「!!」
詠唱。
それに呼応して、それまで全身を蝕んでいた不快感の勢いは倍増、もはや歩行さえも覚束ないというのが現状だ。
不意に、口内から液体が噴出する。
拳で噴水が如く吐き出されたそれを拭い、そして深紅に染まり切った右腕を一瞥し悔し気に歯噛みする。
(クソッ! 一切合切の神業が通用しない!)
そのような非情な現実、とっくの昔に目の当たりにしているし、幾度となくそれを打破しようと足掻き、破れた。
それ故に、魂は理解しているのだ。
ただ、理性か細い希望に縋りついてしまって。
「――――」
転変。
そう心中で口にした瞬間、うなじより明らかに人肉とは異なる、どこか禍々しい龍翼が存分に広げられる。
これを展開するのも幾年ぶりか。
できることなら、扱いたくは無かったが――、
「――『天龍化』」
「――――」
そう口にした直後、それまで辛うじて人体としての原型を保っていたメイスの容貌が、ついに完膚無きままに変貌する。
その端正な容姿さえも爬虫類さながらとなっており、綺麗に手入れが施された爪先には鋭利な鉤爪が生え渡っていた。
そして、その龍の代名詞たる深紅の瞳。
微かに人間のシルエットを象ったその異形の存在からは、さしも『老龍』さえも身震いするような威信が放たれる。
無論、『老龍』程の男がそれを表に出す筈がないが。
そして――、
「――ッッ!!」
「ふんっ」
神速が如き勢いで急迫。
暴威の可視化ともいえるその禍々しき存在がこちらへ肉薄する最中、『老龍』の顔色が変動することはない。
無論、その由縁は一目瞭然。
異形の存在――否、それですらない半端者と化したメイスが、『老龍』へと稲光するその鉤爪を薙ぎ払う。
その鋭爪は、あるいは神さえも掻き消してしまうだろう。
だが――今回ばかりは相手が悪かった。
仮に、『老龍』自身が攻勢に回っていたのならば、『自戒』がその効力を失うことによりまだ勝算はあった。
だが、それも無いものねだり。
そのようなIF、言うに及ばず実現する筈もなく――、
「――――」
激突。
それと共に、噴き出される鮮血が『老龍』の視界を満遍なく埋め尽くしていった。
『老龍』はどこまでも怜悧な眼差しでかつての友人の成れの果てを見下ろしながら、その惨状を一瞥する。
先刻の一撃に宿った威力は確かに『老龍』さえも冷や汗を流してしまうような、それほどの練度であった。
だが――それでもなお、事足りぬ。
『老龍』が編み出した結界術はその莫大な『自戒』の土壌により成り立っており、その性能はおお墨付き。
それこそ、神仏であろうと、この絶対領域を破ることは叶わないだろう。
「無様なものだな」
「――ッ。――ッ!」
「ふっ」
かつてメイスだった化け物の右腕は自らの衝撃が強固な結界により反転し、既に肉塊と成り果ててしまっている。
更に、若干ながらも『老龍』が後天的に会得した魔術も作用しているようで、その仕草はやや精彩を欠いているように思える。
ならば重畳。
手早く、済ませる。
「――■■■」
「!!!??」
――そして、その刻限は無慈悲に訪れた。
その魔術は、いっそ慈愛に満ち足りていると思える程の残酷かつ悪辣で、そしてそれ故に宿った悪意に累乗した効力を発揮する。
即ち――、
「済まない、メイス。――滅びよ」
――それは、抗い難い『死』。
それからはどのような完成された存在であろうといも逃げ惑うこともできずに、皆等しくその首筋を撫でられる。
『老龍』の魔術は、ただそれまでの猶予を消し飛ばすだけ。
だが、それが及ぼした事象は絶大。
そして、『老龍』はこの刹那だけ常時展開している結界をあえて自ら消失させ――倒れ伏すメイスの額へ、その指先が触れた。
刹那――、
「――術式改変・『怨望隠状』」
――刹那、メイスのその肉体が風船が割れたかのように飛散した。
四方八方へ拡散するのはドス黒い鮮血のスコール、更に嫌に生々しい幾多モノ臓腑であった。
そして――それを、最悪のタイミングで目撃した少女が。
「――ぁ」
真面に声も出せないまま、少女――セフィールは、最愛の夫のあんまりな惨状に、凝然と目を見開くのだった。
――間に合った! 間に合った!!
「――――」
うなじの龍翼が過去最高峰の勢いで稼働し、それこそジェット機に引けを取らない程の速力で王国へ飛翔するセフィール。
セフィールはようやう視界に移った少々馴染み深い王国を一瞥し、目を伏せる。
なにせ、かつて繁盛していた王国のそこら中から暴乱の何よりをも証明である白煙が立ち上っているのだから。
途端、鼻腔をくすぐる血肉の香り。
直後、あの日からもう二度と喰い尽くさないと、そうメイスと固く誓った禁忌が破られそうになってしまい――
(違う、そうじゃないわよ!)
力なく倒れ伏す幾多ものニンゲンたちには悪いのだが、正直なところそんなの有象無象にしかとらえることはできなかった。
メイスと、その他大勢とは明確に優先順位が異なる。
その良し悪しなど一目瞭然であり、必然焦燥感に滝のように冷や汗を流すセフィールの行き先は唯一無二。
「――――」
その気配を察知するために静謐に瞑目するセフィール。
――結局、メイスは我が家にはいなかった。
書き残しもない、完全に行方不明。
だが――それでもなお、あのお人好しな男が死にも狂いで征く場所なんて、とっくの昔に断定している。
ならば――迷う必須性は皆無。
「――!」
事実、セフィールが若かりし頃ちょっとした契機により鍛え上げた気配察知魔術が馴染み深い魔力の波動を関知する。
位置は……此処からおよそ二キロ程度か。
「そんなの、散歩ですらないわ」
セフィールは既に近所に預けているので一切自重することもなく、高らかにセフィールは龍翼を羽ばたかせ、飛翔する。
無論、そんな彼女を疎ましく思う輩が存在しない筈もない。
「……鬱陶しいわねえ」
セフィールはなんら前触れもなくこちらへ肉薄していく弓矢を一蹴するが、別段報復行為は実施しない。
現状、龍種たちが群がって王国へ襲撃をッ毛工しているのだ。
ならば、セフィールもその一味を断じられても何も言えない。
そしてセフィールは、その程度の分別が付かない程の子供ではない。
そして、迫りくる弓矢や弾丸の一切合切を無視し、ようやく本丸へ到達することに成功した。
「――メイス!」
目を凝らすと、明らかに、異形と化け物としか形容のしようがない怪物が、力なく倒れ伏していた。
だけど、そんなシルエットでもあの男だと魂が理解し。
そして、メイスの元へと向かおうとした瞬間――、
「――術式改変・『怨望隠状』
――次の瞬間、愛しの彼は跡形もなく弾けとんでいった。




