何時かの
平和だった沙織さんサイドです
――きっと、これは報いなのだ。
罪は、決して掻き消えることはない。
そんなこと、とっくの昔に理解していて、身勝手な贖罪を果たした気になって――その末路が、これか。
「――――」
そう、セフィールという少女は己の阿呆さ――そしてなにより、魂を打ち下くような無力感に一人すすり泣いた。
■
王国。
王国には既に『老龍』、そしてその眷属たちの魔の手が及んでおり、まさに阿鼻叫喚と形容すべき惨状と化している。
悲鳴はやがて断末魔へ、そして最後にはその断末魔すら虚しく掻き消え、灰塵さえも残らずその烈火が呑み込んでいく。
「――――」
吐息が、零れる。
刹那、猛烈な勢いで爬虫類に類する、それでいてどこか異質な生物の顎門から猛烈な熱量が吐き出された。
激烈な熱波に薙ぎ払われ、既に王都は壊滅寸前。
と、そう誰もが絶望したその時。
――パンッ。
銃声。
それと共にそれまで存分に猛威を振るっていた龍の脳天に綺麗な風穴が空かれ、やがて力なく大地へと崩れ落ちる。
噴水のように頭蓋骨から鮮血を沸かせる龍をどこか冷めた眼差しで見下ろしながら、その男は強かに宣言する。
「――ルシファルス家当主、遅らせながら参上致す」
その明言と同時、小刻みな銃声が満身創痍の王都を木霊する。
それと同時にそれまで本能に身を委ねる悪辣な害獣たちを、ルシフェルス家今代当主の背後に控えた私兵たちが撃ち落とす。
その片腕には、無骨なレールガンらしきモノが握られていた。
それまで希望を失っていた人々は、突如として生じた空想上の一幕としか思えない暴威の乱舞に目を丸くする。
だが、次いでその瞳にようやく光明が浮かんだ。
そんな民たちを今代当主はどこか機械的な眼差しで一瞥しながら、傍らに控える側近へ耳打ちした。
「一般人の避難は、君たちに任せるよ」
「……シーフィル様は」
「私は……私は、ちょっと済ませたい用事がある」
「――――」
「なに、最悪無様に戦死したとしても、次代は用意してある。問題はないよ」
「……ですがっ」
「はいはい。忠義心は結構なんだけど、ここは私の言う通りにしてくれないかな?」
「……委細承知。どうかご自愛を」
「誰に言ってるんだよ」
「――。失敬」
「許す」
今代当主――シーフィルは目を細めながら、ホルスターに仕舞いこんでいたリボルバーを再度握りしめ、装填。
洗練された動作でそれを済ませると、シーフィルは目を細めながら側近へと踵を返す。
「さて……どういうことだ?」
その抜身の刀身のように鋭い瞳に宿ったのは、紛れもない当惑ともいえる感情であった。
なにせ、これは本来有り得ない事態。
龍たちを暴徒と化し、一体奴は何を目論んでいるのか――、
「……それを考慮するのは、後ででいいね」
あの男のことだ。
どうせ、阿呆な自分には夢にも思わないような、そんな奇想天外かつ荒唐無稽な真意が押し隠されているのだろう。
つくづく、厄介かつ迂遠な男である。
「……殺せたら、苦労はしないんだけどね」
そう自嘲にも似た笑みを浮かべながら、シーフィルは目的の箇所へ足を運ぼうとし――不意に、目を細める。
(この魔力……最高位か)
シーフィルがその超常的とも形容できる魔力察知能力で関知したのは、こちらへ猛然と飛翔する一体の龍の気配だ。
否。
その龍の行き先は、おそらくシーフィルなどではなく、もっと先の――、
「……ふむ」
放置。
それが最も賢い選択であり、今更になってシーフィルが愚者を演じる必要性など、皆無なのである。
(まあ、ある程度のフォローはするか)
この国は、飽き性の自分でも少々信じ切られないばかりに気に入っているし、不毛に高位な肩書も同様だ。
ならば、ある程度の餞別も然るべきだろう。
それに、あくまで加える力量は微弱。
本来の十分の一にも満たないモノである。
これならば、彼とてぐうの音もでないだろうと、そう希望的観測をしながら、シーフィルは魔力を周囲一帯へ飛散。
(……少なくとも、これで王国が滅亡することはないね)
これで、あらかた済ますべき業務は成し遂げた。
後は、シーフィるとしてではなく――■■■として、相応の責務を全うにするべきであろう。
「はあ……ホント、あの御城が恋しいねえ」
シーフィルはそう、自分が変身する契機を編み出したあの少年と出会った夢の舞台に想い馳せながら、自らに課せられた宿業を果たしに足早にあの男の元へと向かっていったのだった。
そして、その数分後。
「――――」
――王国は、阿鼻叫喚の図と化していた。
山のように積み重なった幾多もの亡骸からは鼻腔が狂乱するような、なんとも刺激的な腐敗集が漂っている。
だが、積み重なった死体の一切合切が人族というワケではない。
否。
その大半が――龍。
「……随分な、変わり様だな」
「貴方も相も変わらず息災なようだね」
「いや、一つ訂正。その生意気な口調は依然差異はないようだな」
「おやおや。誉めてるのかな?」
「ハッ。下奴が戯言をっ」
そう吐き捨てた男――『老龍』は、それこそ射殺せんとばかに鋭利な眼光で離反者たる男を睥睨する。
当の本人である離反者――メイスは、ちらりと屍の山を一瞥しながら心底苦々し気な声音で提言する。
「安心するといい。一切合切を殺めたワケじゃない。否、殺した数なんて、指折り数えられる程度だよ。後は各々失神させた」
「だから?」
「――投降するなら、今だよ」
「ハッ!」
「――――」
ある種虫の息な眷属たちを人質にするかのような、やや不穏なメイスの発言を『老龍』は鼻で嗤う。
「何故殺さぬ? そうした方が賢明であることは明白であろう?」
「それは……理念に反する」
「ハッ。下らぬ。貴様のその薄っぺらな理念信条の類に不毛にも付き合わさられる者たちのことをもう少し俯瞰して考慮するがいい」
「生憎、そういう意見は聞き入れる予定はないよ」
「ああ、そうか」
特段、『老龍』のあながち見当はずれでもない指摘にメイスは痛痒に感じることもなくのらりくらりと受け流す。
そんな彼をどこか疎まし気に『老龍』は見据えながら、低い声で釈然としないとばかりに問いかける。
「一つ。殺す前に聞き入れたいことがある」
「……ボクの死亡が大前提っていうのもちょっと、いや、おおいに気になるんだけど、続きをどうぞ」
「それは重畳」
『老龍』はその瞳孔が開き切った怜悧な瞳でどこか飄々としていたメイスを射抜く。
「――何故、我らから背いた?」
「――――」
『老龍』の瞳に宿ったのは純然たる疑念。
それはまるで、どうして空が青いのかが理解できないような、そんなどこでにでもいる赤子のようで――、
「――だからだよ」
「――――」
「確かに、ボクも一昔前は貴方の下命に従い、東奔西走していましたが――それも、いい加減飽き飽きしてきたんですよね」
「……それが、理由?」
「ええ」
「――――」
心底理解できないとばかりに、普段滅多に感情を覗かせない『老龍』は、凝然と目を見開いて――。
「ならば――貴様はここで、廃棄する」
「廃棄ねえ……。そんなんだから、あんたには嫌気が差したんですよ」
「吠えるな、煩わしい。――■」
「――ッッ!」
直後、張り巡らされたメイスの神経という神経が臓腑を無造作に抉られたような、そんな激痛に絶叫する。
次第に視界は白熱し、平衡感覚さえ覚束ない。
だが――、
「……これで、むざむざ殺されるとでも?」
「ふっ。貴様は古今東西、そのような愚直な男だな」
「それはどうも」
メイスはどこか懐古するかのように微苦笑する『老龍』から、どこか気まずげに視線を逸らし――、
「――参る」
そう、噛み締めるようにして宣言した。




