不撓不屈
だいたいボロクソ言われる残念なガバルドさんサイドです。
はて、『英雄』とは
――そして、流星のようにその男が異形の化け物の元へと出でる。
「――っ」
その気配を看破した瞬間、異形はこれまでとは異なり、明確に、その意識をその男へ傾けていった。
「――――」
雑音。
キチキチと、ようやく満たされるとその瞬間を心待ちにして歯で気色の悪い戦慄を奏でる魔獣たち。
それらのせいで正確な座標は不明瞭だが――それでも、猛烈な殺気がこちらへ向けられていることは理解できる。
そして、本能が警鐘を鳴らし、忠言する。
――この男を殺せ。さもないと、逆に喰い殺されるぞ、と。
ならば、実行すべき指針は自明の理。
「――――」
異形は本能にその身を委ね、その禍々しい片腕を魔獣の大群により構築されていた嵐へ薙ぎ払っていく。
風圧で周囲の木々が消し飛ぶ有様だ。
そして異形の全長は既に数十メートルを上回っており、増大されたのは掌とて例外ではないだろう。
――一閃。
「――――」
分体たちが消し飛ぶ感触を肌で感じる。
だが、今更になって異形がそのような些事に気にするワケもなく、止めとばかりに魔獣の弾幕へとブレスを披露する。
頭上にキノコ雲が立ち上り、それと共に痛烈な爆風が放たれた。
自らから切り離した分身体も先刻の吐息でほとんどが滅んでしまったが、それでもなおあの男を始末できたのならば、利益が損失を――、
「?」
ふと、空虚な違和感が全身を駆け巡る。
正常な思考回路を失ったこの魂であろうと明白に感じ取ることができたこの感触をなんと形容すればいいだろうか。
そして――直後、それに勘づく。
「――ッ!?」
異形は凝然と自らの手元を一瞥し、目を見開く。
それも必然だろう。
なにせ――なにせ、既に指先は完膚無きままに切り刻まれており、骨髄に至るまで裂傷が刻まれているのだから。
「――――」
だが、異形は到底理解の及ばない光景を無理して噛み砕こうとすることもなく、慄くように後退する。
本能とは存外正直なモノ。
それが自らの生命を削り取ると判断すれば、行動は早い。
事実、その行動はあながち的外れではなかった。
なにせ――、
「ふんっ――!」
「――ッ」
――そして、音速の勢いで『それ』はやってくる。
『それ』は、別段戦いに悦楽を見出すわけもなく、まるでそれが義務とばかりに機械的な表情であった。
だからこそ、如実に内面の凶暴さが誇示される。
――鬼。
そんな荒唐無稽な単語が、覚束ない異形の――レオンの脳内に浮かんでしまったのは気のせいだろうか。
恐怖により一瞬露呈する正気。
だが、それも一瞬のこと。
すぐさあ顔を覗かしていた理性は掻き消え、代わりに一切合切を破砕しようとする荒々しき本能がその身を乗っ取る。
そして――、
「――ッッ」
「はんっ」
跳躍。
それこそ『それ』に匹敵する程の勢いで、それもタックルでも披露するかのような姿勢で突進する異形。
だが、『それ』の瞳に焦燥の色は皆無で――、
『それ』は一滴たりとも冷や汗を流すこともなく、どこまでも飄々とした仕草で迫りくる異形を待ち構える。
それは余裕か、あるいは虚勢か。
そして――、
「――俺はしつけえ女は嫌いなんだよ」
「――ッッ」
そして、『それ』――ガバルドの姿形が掻き消えていった。
輪郭を掴み取ることさえ困難な程の速力で跳躍したガバルドの行き場は――もちろん、異形の暫定頭部。
無論、異形は原型を留めていないからこそ異形なのだ。
今更になってこの冒涜的な生物に頭部などという人間の枠組みが適用されるとは、とてもじゃないが思えなかった。
だが、ガバルドが狙い定めたのは、もっと別のモノだ。
「魔晶石ドンピシャ……さっさと沈めてやんよ、異形っ」
「――ッッ」
ガバルドは無遠慮にも土足で異形の推定頭部へと軽やかに跳躍し――その脳天へ、得物の刀剣を突き刺す。
生じた未知の感触に恥も外聞も無く異形は絶叫する。
無論、ガバルドがそれに頓着することもなく、刀身を引き抜き、再度更なる苦痛を執拗に与えていく。
それは復讐心故か、それとも純粋に生存には必須の、やむを得ない残忍な行為であったのか。
だが、言うに及ばず異形がそんなガバルドのあまりにも悪意に溢れた暴虐を許容する筈もなく――、
「――ッッ」
「ほう。そう来たか」
突如、ガバルドが踏み締めていた足場が歪曲。
直後にはそこら中から肉塊が研ぎ澄まされ槍のような形状と化して、存分にガバルドへと牙を剥いていった。
ガバルドは軽やかな動作でそれを最小限の仕草で容易く回避。
だが、それでも一度刀身を引き抜いてしまえば――、
「!?」
「――――」
突如、異形の身体の一部の足場が赤熱化。
靴底が愉快する感触に目を丸くし、ガバルドは即座に飛び退こうとするが――その足首を、おぞましい肉塊の掌たちが掴み取る。
握力自体は大したことはない。
だが、一瞬でも回避行動に支障をきたしてしまえば、もはやそれだけで十二分であり――、
「――――」
――刹那、異形の殺意が爆炎と化し顕現する。
龍特有の独特なエネルギーを灯油として盛大にその勢いを増していったその爆炎は、容易くガバルドの御身を吞みこむ。
もはや抵抗の余地はない。
爆発的な熱量にガバルドが適応できる筈もなく、灰塵さえも残らずに焼死してしまうのがセオリーである。
「――ぅんっ!」
――仮に、自らに『心臓』という異能が存在しないのならば。
その破格の異能の効力は『一時間ごとに一度限り死亡したとしても無傷で回帰する』というモノだ。
先刻『暴食鬼』から殺害されたのにも関わらず、こうして五体満足でいられたのはこの異能が存在したが故である。
そして、丁度あれから既に一時間後。
残機をこの程度のアクシデントで切らしてしまうのは少々痛手であるが、この絶好の機会を得られるのならば万々歳である。
「――――」
――ガバルドの滅亡を信じて疑わず、無防備な姿をみっともなく晒す、この刹那こそが、最高峰の好機。
ならば、それをむざむざ放棄する筈もなく。
「ハァッ――!!」
「――――」
そして、這いつくばるかのような姿勢で放たれたのは、どこまでも洗練された最高峰の一閃であった。
その殺意に今更ガバルドの生存に勘づいた異形は――その口元に、歪な笑みを浮かべた。
「!?」
肌を刺すような悪寒。
そのあまりにも不穏な冷笑に目を見開くガバルドは――直後、鮮血に染まり切る。
「は?」
その奇想天外な急展開に、そして何よりも果ててしまった人体の器官に魂が理解を拒絶してしまう。
だが、理性では否応なしにそれが分かってしまい――、
そして、気づいてしまった。
「――ぁ」
――ガバルドの右腕が、消し飛んでいることを。
「ああぁぁぁぁぁあああああああっっぁぁぁっぁぁっぁぁっぁぁっぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!???」
久しく体感したことの無かったその感覚にそれまで塞ぎ込んでいた激情諸共それが溢れ出してしまう。
痛みは、慣れていた。
だが、心の準備も無しにこれほどまでの重傷をあまりにも呆気なく刻まれてしまえば、誰だって発狂する。
そして、それはガバルドとて例外ではなく、
「――ッッ」
「――ぁっが」
打ち震えるガバルドを無論異形が見逃す筈もなく、目が覚めるかのような痛烈な薙ぎ払いを披露する。
直撃すれば良くて即死。
最悪極限にまで鍛え上げた頑強な肉体が裏目に出て死を渇望する程の激痛を永遠と味わう可能性さえある。
常人ならば、早々に生存を諦め、安息を享受しようとするのが必然。
「――諦めて、たまるかよっ」
だが、『英雄』――『英雄』だった男は、違った。
この逆境に陥てもなお諦観をあらわにすることもなく――、
「――――」
――そして、絶大な衝撃が異形の掌により生じ、一切合切を薙ぎ払っていった。




