呪言
――斬られた。
そう認識した瞬間、本能は身勝手にも作用していた。
胸元からストックしていた余剰分の影を浪費し、その代償に瞬く間に止血を済ませる。
更に、それと並行してつい先程まで切磋琢磨して斬撃世界を編み出していた影の一部を併用していく。
襲撃者はそれを自分自身を接続し、それが済まされた瞬間影を操作、影諸共クリスから後退することに成功。
この間、僅か0,3秒。
が、相手は元『最速』。
その速力はつい先程実証されたワケであり、それ故にこの程度の距離ならば、たった一歩で埋めてしまえるだろう。
故に――、
「――『常闇・蓮華』ッッ‼」
「……チッ」
直後、クリスを覆うようにして影の包囲陣が形成させる。
四方八方から雪崩のように殺到する凶刃の一切合切を片付けるのは、流石にクリスであろうとも手間がかかる。
(くっ……情けないが、そんなことを言っていられる戦局ではない!)
隔絶した彼我の実力差。
それをありありと見せつけられ、襲撃者は歯軋りする。
だが、もはや恥も外聞も知ったモノか。
自らの天命最優先。
奴からの勅命なんぞ、考慮に値しない。
その処罰は、生き残ってからで十二分。
「――ッ」
身体強化の出力を最高潮に。
それに反比例していき、どうしても展開していった影の操作における制度が低減するが、それでも時間稼ぎ自体は達成できている。
後は、この極限にまで強化した脚力で――、
「――甘い」
「っ!」
次の瞬間、襲撃者の進行方向上に鎖鎌の刀身により編み出される痛烈な斬撃が猛然と薙ぎ払われていく。
(回避最優先!)
これを操作する男も帝王とやらの一味。
ならば、クリス同様に支援魔術により容易く展開した影を蹴散らせる程度には強化されていると、そう推察するのは凄く当然。
迎撃は意味を成さない以上、襲撃者には回避以外に選択肢なんて無かった。
「――ッ!」
神速の勢いで振るわれる鎖鎌。
それを紙一重で躱した襲撃者であったが、ふいにそんな彼を陽光と見紛う程の光量のモノが照らし上げる。
「――残念。詰みの局面だよ」
「――ぁ」
――烈火魔術・『獄炎・六星』。
襲撃者が自ら絶対的な結界から退いたこの機をライカ程の猛者が逃す筈もなく、その純然たる炎熱の塊は襲撃者へと急迫し――、
「――『常闇・鏡花』ッッ!!」
「……へぇ」
寸前、火事場の馬鹿力で本来ならば数分程度の時間を要するような魔術を、たった一瞬で構築、展開。
直後に生じたのは、一切合切を喰らい尽くす巨大な顎門だ。
襲撃者が生み出す影は一切合切を断絶する。
それはたとえこれほどの規模の魔術であろうが例外ではなく、物凄い爆音を響かせながらも迫りくる陽塊を喰らい尽くす顎門。
「不味い……!」
これだけ緻密に練り上げられた戦局がそれまで鳴りを潜めていた虎の子により一転する気配を肌で感じ取り、あからさまに狼狽するグレン。
そして、その予感は正しかった。
爆音。
鼓膜が張り裂けんとばかりに響く轟音と共に、ついに莫大な魔力により構成された炎熱の塊が消えうせる。
(そんな……アレを完膚無きままに喰らったのか!?)
『獄炎・六星』はライカが扱える魔術の中で最高峰の威力を誇る大魔術であり、迎撃どころの話ではない。
それを、相当苦戦しながらも掻き消してしまうとは。
「存外、厄介ですね」
そう苦言を零すグレンの口元に浮かんだのは――快勝の予感を噛み締める笑みだ。
そして――、
「――俺の存在、忘れてやしないか?」
「――ッッ!?」
直後、大仕事を成し遂げ、心なしか脱力する襲撃者の真正面に、額から鮮血を撒き散らしながらもしっかりとした足取りで急迫する男が。
言うに及ばず、それはかつての『最速』で――、
「――俺相手に、瞬き厳禁だぞ」
そして、一閃。
抵抗する暇さえ与えることもなく、神速の勢いで襲撃者へと肉薄していったクリスは、その腹部に深々と一文字を刻み込んでいった。
「……怠ぃ」
「はいはい。ほら、クリス、ポーションだよ」
「ローション?」
「ポーションね!」
下ネタを挟む師匠に猛然と抗議しながらも、ライカは小さな小瓶を放り投げる。
クリスは粗雑に扱われたポーションをキャッチし、目を細めながら、久々の飲料で喉をこれでもかと潤す。
「あー。ホント、疲れたわあ。ライカ、お前疲労回復魔術とか、そういう便利な魔術とか会得してないのか?」
「私を何だと思ってるのかな……?」
某猫型ロボットみたいな不当な扱いを受けたライカであったが、それでも適当に魂魄魔術を行使する。
それと同時に、眩い陽光が疲労困憊なクリスを包み込む。
次第に常に全身を苛んでいた倦怠感も最初から存在しなかったと見紛う程の勢いで掻き消えていく。
「やっぱ、持つべきは便r……頼りがいのある弟子だよな」
「クリス殿、もはや誤魔化す必要性は皆無なのでは?」
「……へえ、便利ねえ」
おや、ライカちゃんの様子が……。
ライカが纏う気配が次第に般若さながらの品物となり、戦意に敏感な両者はそれを一瞬で察知する。
クリスはご機嫌斜めなライカへ頬を引き攣らせながら、しきりに頭を下げながら謝意を示していく。
「ち、違うんだライカ! これはちょっと本心が漏れ出ただけで……」
「――本心?」
「ヒェっ」
氷点下の眼差しがこれでもかとクリスへと注がれる。
(ヤバい! これ、マジだ!)
どうやら余程便利屋扱いは不本意だったららしく、普段の愛嬌さを取っ払い、帝王モードになるライカに戦慄するクリス。
これは、明らかに一時間丸々説教コースだ。
そうなってしまえば――まず間違いなく、年甲斐もなく泣いてしまう。
それだけは、絶対に阻止せねばならない!
男の沽券がかかったこの絶望的な戦局において、クリスは何とか一縷の望みを託し、クリスに助け舟を――、
「あら、グレンはもう次の戦場に向かったの。仕事が速いね」
「えっ」
おや、どれだけ目を凝らしてもグレンさんの姿が喪失してしまっているようにしか思えないのだが……。
(オッケーグレンさんなんなら靴底をみっともなく舐めてやるから、どうか姿を現してくださいお願いします!)
もちろん、グレンの巨躯が姿を覗かせることは無かった。
そして、待ち望んだ悪鬼でさえ顔面を蒼白にして逃げ惑うような、そんな威圧感たっぷりの笑顔が眼前に……。
「クリス。ОHANASIしよ?」
「く、くっ……!」
もはや絶体絶命、クリスの男の沽券は絶望的だと、そう誰もが目を背けたその刹那――、
「……ぃ」
「――っ!?」
不意に、クリスはこれでもかと目を見開き――直後、ライカの襟元をその膂力を以て引っ張り上げながら全身全霊で跳躍。
唐突な暴虐に当惑するライカであったが、突如の光景を認知した瞬間、その疑念は刹那で消え失せる。
「――『常闇・練魔』ッッ‼」
直後、おびただしい程の物量の幾多モノ斬撃がその身を凶刃と化し、猛然とクリスたちへ殺到していく。
既に支援魔術の効力は切れている。
クリスは咄嗟に迎撃しそうになり、それは悪手だとそう思い直し、必死に回避にていする。
ライカも当然の事態に困惑を隠しきれないようだが、それでもなお長年身を浸してきた修羅場により培った山勘にその身を委ねる。
「――シキちゃん」
「――――」
もはや、相手の命運は風前の灯火。
が、それでもなお往生際の悪さに関して、これほど醜悪に生き足掻く襲撃者の右に出る者など存在しない。
ならば、一切合切を意に介しないこの虎の子を切るのが得策である。
案の定、押し寄せる影の一切合切をシキは片手間で蹴散らし、虫の息の襲撃者をその巨大な掌で掴み取る。
そして――加圧。
骨が砕け散る耳障りかつ生々しい音が響き渡ると同時に、指先の隙間から幾筋もの鮮血が溢れ出し――、
「――とくと脳裏に刻め、帝王!」
「――――」
それでもなお、襲撃者は声を枯らすことなく、悲鳴を上げる声帯に頓着することなく声を張り上げる。
「これからお前が統治する国は戦火に見舞われる! お前のせい、お前のせいで! 今更後悔しようが、無駄――」
「――黙って」
氷点下が如し声音が響き――甚大な圧力が、襲撃者のその骨髄の一切合切を完膚無きままに砕いていった。
フラグ!
絶対これフラグですやん!
ライカちゃんには、強く生きて欲しいと思います。




