アンサー
シリアスな展開はないと言ったな? ――アレは嘘だ。
――当初、セフィールがメイスに抱いていた感情は紛れもない敵愾心だ。
なにせ、完膚無きままにセフィールを叩きのめした挙句、その行動に大幅な束縛をしかけてきたのだ。
必然、親の仇レベルで忌み嫌っていたのである。
が、そんな日々にもちょっとした変化が。
「メイス、今日は殴らなかったわ。我ながら物凄い成長よ」
「……うーん、その基準はどうなんだろう」
「……何? 何か文句でも?」
「いいや? いやあ、あのセフィールが……感激のあまり号泣してしまいそうだね」
「この男……っ!」
劇的な変化は、無い。
それもそう、二人が送る生活は、どこにでもあつ、月並みにありふれたような、品物であったのだ。
刺激は皆無。
だが……それでもほんの少しだけ変われた気がした。
最初は忌み嫌っていたと明言しても差し支えない程のニンゲンに対する認識も、次第に改まってくる。
別に、理由があったワケではない。
明確な起因も無しにそんな変化が訪れたのは――きっと、メイスがあの日排水溝で囁いた言葉をほんの少しだけ理解できていたからではないか。
「――――」
龍は、尊く、至高の存在だ。
その価値観事態になんら変化が生じることはない。
だが――それでも、少しだけニンゲンのことを好意的に思えるように、いつのまになっていっていた。
「メイス! 今日は初めて友人(笑)と外出したわ!」
「友人に(笑)を付けないでおくれよ……」
「あら。別に良いじゃない。だってあの子物凄く能天気だもの」
「……へえ」
「……何その煮え切らない態度」
「いやねえ……なんだかセフィールの頬、物凄く緩み切ってたから」
「!!!???」
「いやあ……まさか君がそんな表情をするようになるとはね」
「ち、違う! 違うわよ! 断じてあの子の事なんて思ってないわよ!」
「僕は一度も彼女の事を明言した覚えはないけどね?」
「……こっちみないで」
「はいはい」
そういえば、人間の友人が出来て、ちょっと……ほんのちょっと、舞い上がったこともあっただろうか。
ニンゲンとは唾棄すべき存在。
そういう固定概念や次第に取り壊されており、ある程度は本心を押し殺すこともなく人間と会話を成立させることができた。
だけど、それでも――、
「――――」
それでも、きっと心のどこかではそれを拒絶する自分が居て。
それは、ある意味当然の理屈だろう。
何百年もの間、あれ程忌み嫌い滅ぼすべきだと、そんな確固たる持論を抱いていた人間と、馴れ合う?
「……ばっかじゃない」
でも、心のどこかではそんな人間を受け入れてしまいたい、そんな淡くいっそ憐れな思いが蔓延っていて。
――分からない。
自分がどうしたいのか、本心ではニンゲンのことをどう感じ取っているのか、一切合切が不明慮だ。
だけど、それでもいいと思えた。
「メイス……あの子は」
「――――」
「メイスは……もう分かってるの?」
「……うん。そうだね」
「――。じゃあ、言って。あの子は、これから先どうなるの?」
「……一命はとりとめた。だけど、僕たちは超人の類じゃない。ウイルスなんてモノ、どう足掻いても対処できないっ」
「な、なら治癒魔術……最高位のモノを扱えばっ」
「……それでも、数兆に至るウイルスを唾棄できると思うかい?」
「――――」
「現状維持なら……できないこともない。でも――きっと、それはあの子にとって、茨の道同然だと思うよ」
「…………そ、ぅ」
「……君、泣いているのかい?」
「……泣いて、ないわ。私が、どうしてニンゲンなんかのためにっ」
「――。そうかい」
別れが、訪れた。
当然の帰結だ。
ニンゲンと龍は根底的に異なる。
身体能力は魔術への圧倒的な適正という観点もあるのだが――何よりも特異的なのは、その寿命の差異。
龍は長寿の究極系で、容易く数千年は生きながらえる。
なら、人間は?
それも、あれほど虚弱な女の子は?
「――――」
この胸を燻る、複雑奇怪な感情は一体何なのだろう。
それは、今にも爆裂して、何もかもを滅茶苦茶にしてしまいそうな、それでいて眠りについたように静寂に包まれた。
そんな、感情だった。
「っ……」
強いて言うのならば、これこそがセフィールという少女にとって、あの退屈でありふれた日々での劇的な変化だろう。
でも、きっと強がりな彼女はそれを否定するだろうな。
そんなことを想い、メイスは「はあ」と嘆息したのだった。
それから、時は過ぎる。
「……家、壊れちゃったね」
「ああ……そうだね」
「うん」
「……君は、憎くは?」
「憎いわよ。臓腑を剝き出しにして、脳髄を抉って、咽び泣かせたいわよ」
「――――」
「でも、今ここでこのニンゲンたちを皆殺しにすれば――あの子が悲しむ」
「……そう、かい」
「ええ。そうだわ。――貴方は?」
「――――」
それから、二人は人里から離れた。
そのルーツは一目瞭然。
なんてことはない、ひょんな拍子で自分が『あの』龍であることが露見し、それが国に知れてしまったのだ。
もう、二人を束縛するあの家は無い。
本当にセフィールがメイスのことを腹の奥底から憤怒しているのならば、これから先はきっと分かれ道が続いていただろう。
だけど――、
「……あのね、メイス」
「――。なんだい」
「――今度は、どんな家にしようかしら。やっぱり、ログハウス的なモノが良いかしらね」
「……まるで僕とまた同居する前提なんだけど、そこら辺申し開きは?」
「ないわ」
「……君も、存外素直になったわね」
「あら。気持ち悪い笑みを浮かべないでくれる?」
「気持ち悪い!? 酷くないかなあそれは!」
「ハッ……。ごめんなさい、つい本音が勝手に……!」
「余計タチが悪いよ、ソレ!」
何時からだろうか。
暗闇に包まれた真っ暗な旅路の先頭が、何気なく入れ替わっていたのは。
「ふう……我ながら力作だわ」
「同じく、力作だね」
「……私の発言をパクらないでくれるかしら?」
「リスペクトという素敵な言葉を知っているかい?」
「それをパクったって言ってんのよ」
「君の受け取り方次第だと言っておこうか」
「うわあ……本人的には良い笑顔だった心算だと思うけど、見てよこの肌。全身の産毛が逆立ているわよ」
「それ遠回しにボクがキモかったって言ってない!?」
「ふっ。――ご想像にお任せするわ」
「それってもう肯定同然だよね!」
「人によるわ。バカな――良識的な人だったら、騙されるかもしれないじゃない」
「騙すって明言している時点で言い訳は意味を果たさなくなっていると思うけどね」
「ちょっと何言ってるのか分からないわ」
「……なんだか、最近立場逆転してない?」
「あら。幻覚?」
「やっぱり! やっぱり立場変わってるって!」
「あらやだ。そろそろお風呂の時間だわ。じゃあ、私はさっさと入ってくるから、あんたは私の残り香でも吸って興奮しときなさい」
「ボクを度し難い変態みたいに言わないでおくれよ!」
今日も今日とて閑静な森の奥深くに、そんな騒々しい喧騒が響く。
今になってようやく自分の答えを見出したセフィールの態度は、次第に素直……というか露骨になってきた。
それも、きっと人間に対する意識の差異だけが起因ではないだろう。
だって、こんなにも自分は――、
(ないない! 断じてない!)
と、時折そんな心底下らないことを思案してしまうセフィールであったが――そんな懸念は、数秒後速攻で解決されることとなった。
「セフィール」
「……何?」
「結婚しよう」
「ぶほっ」
「どうしたんだい。いきなり口元から牛乳なんて噴き出して」
「あんたのせいよ、あんたの! ……というか、けけ、結婚しようって一体全体どういう所存なのよ」
「どうしてって……そんなの、決まってるじゃないか。……最近ね、ようやく気が付けたんだよ。ボクは、どうしようもなく君のことが好きになってしまったんだって」
「!!?? どどどどど、どうして……」
「うーん……どうしてかな。多分、セフィールといると、なんだか無性にドキドキして……たっくさん笑えるんだよ」
「……それだけ?」
「そ、それだけって――」
「――私もよ」
「へ?」
「は、恥ずかしいことをそう何度も言わせないでっ。……好きよ」
「はぅ……」
「ど、どうしたの、そんな気持ち悪い声を出した」
「い、いや……ちょっと、感激のあまり、ね」
「そ、そう……」
「うん。――なら、改めて、言うね」
「――――」
「セフィール。――僕と、結婚してくれないか?」
「――。ええ、もちろん」
そして――そして二人は夫婦になった。




