『声』
聡明って、案外長所でもないんだよって話です。
「――終わったか」
殺到する『乱食鬼』と、成す術もなくそれに喰いつかれてしまう『暴食鬼』を視認するガバルドはそう嘆息する。
――下らない。
こんなことをしても、誰もかえってこないのだ。
それでもこんな馬鹿げた真似を実施してしまったのは――、
(……いや、今はそうじゃないが)
今はガバルド個人の感情など些事ですらない、
そのようなモノで思考のリソースを割く気にもなれずに、「はあ……」と溜息を吐きながらガバルドは今だ小刻みに震える少年へ向き直る。
「……よお、大丈夫か?」
「だ、大丈夫っ。それよりも、お父さんをっ」
「――――。
お父さん。
その声音が耳朶を打ち、ガバルドは目を細め少年はずっと壊れ物でも扱うように抱えていた青年程度の年齢の男を一瞥した。
その前身は度重なる負傷により血塗れで、もはや原型を留めているのかさえも怪しい。
(これじゃあもう……)
心音は依然皆無。
この周囲を見渡してみても、治癒魔術――蘇生魔術を扱えるような、そんな都合の良い存在も当然の如く滞在していない。
もはや、彼の命運は絶望的。
というか、もうとっくの昔に心肺停止に陥ているのだ。
鮮血も凝結しだしている。
基本蘇生魔術は死亡時刻が過ぎ去れば過ぎ去るごとに成功確率が低減する。
これでは、もう――、
「――御免な」
「っ……?」
少年は、何故ガバルドが唐突に頭を下げたのか理解が及ばず、目を白黒させている。
その様子に、嫌な予感が的中した。
(あー。やっぱりだな)
推し量るに、この少年は父親の死を受け入れることができていない。
なにせ、生れ落ちてこのかた、ずっと平穏な日々になんら疑念を抱くことなく享受してきたような幼子だ。
そんな彼が、こんな現実受け止めることができる筈もない。
というか――、
(……どうしてこんな奴がここに?)
確かに、護身用程度には武道を教わったと、そう聞いていたりもしたが、それはあくまで護身程度である。
その力量は、そこらの戦士の足元にも及ばない筈。
そんな彼が何故、このような戦場に足を踏み入れてしまっているのかと、そう疑念を抱いてしまう。
が、それを追求するのはまた後で。
あんまりこういう汚れ役は個人的にお気に召さないのだが、それでもせめて少年の憤慨が己へ向くことを祈って。
「お前の父さんはな――死んだよ」
「――ぇ」
一応、まだ可能性は有る。
しかしながら、それは余りにも微弱かつ脆弱な光明であり。自他共に認める生粋のリアリストたるガバルドはそのようなモノに縋ることはない。
無駄な希望を抱かせるな。
不毛な光明には、何の意味もない。
そう理解していながらも未だこの赤子同然のこの少年に、そんなことを無慈悲に告げることに対してどうしても罪悪感を抱いてしまう。
だが――それは、後回し。
「御免な……。俺がもう少し早く来ていたら……あの野郎がこの廃墟に辿り着くことを阻止していれば、もしかしたら生き残っていたのかもしれないのに」
「――――」
不意に、少年の頬に一筋の水滴が零れ落ちる。
それはやがて幾筋にも増大し――そして、何かの拍子に大粒なの雫が、盛大に彼の父親の頬に零れ落ちた。
「――――」
それを見届け、静かにガバルドは少年から距離を取る。
もう、ここから先は自分が立ち入るべきモノではない。そう判断したが故の行動だ。
――否。
もしかしたら、怖かったのかもしれない。
救ったあの少年が、耳を塞いでしまいたくなるような、聞くに堪えない罵詈雑言を吐き散らす、その姿が。
いや、たとえ少年から離れても無駄だ。
ガバルドの『耳』は、数百メートルの範囲ならば容易にその者の心の内から零れた独り言を容易く聞き取る。
聞き取って、しまう。
「――ッ」
それを理解していながらも、どうしても目を背けようとしている。
それは、まだ覚悟が定まっていないからか。
(本当に、俺は意気地なしだな……)
あんなに儚い少年に寄り添うこともできず、ただただ醜く見るに堪えない現実から目を逸らしてしまう。
きっと、それこそがガバルドの宿命だろう。
どれだけ強くなろうが、きっとそれに意味なんてない。
だって、心と肉体の成長は決して同一視していいモノではなく、そしてガバルドは自分自身の醜さを誰よりも理解できてしまっているから。
だから、もう――、
『お父さん』
「――――」
音――否、声だ。
脳の先端から奥深くまで隅々に至るその声音に、思わず眉根を寄せ、目を逸らそうと――、
『――ごめんなさい、お父さん』
「――っ」
した瞬間、愕然と目を見開く。
それまで淡々とその場から立ち去ろうと歩みを進めていたガバルドの進行が、その声音が木霊した拍子に停滞する。
『何も……何も、できなかった』
「――――」
『お父さんを守ることも、助けることも、支えることも……何一つ、できやしなかった。――本当に、情けないっ』
「――――」
それは、悔恨だ。
己のどうしようもない不甲斐なさを呪い、忌み嫌い――そして、痛烈に後悔したが故に呟かれる一言。
何度も、何度もそれを実感した。
己自身の無力さ、醜悪さは自分自身が一番理解しており、そんな自分をどれだけ怨嗟してしまっただろうか。
(ああ……そうか)
見るに堪えない罵詈雑言を覚悟していたが――そんなモノ、とっくの昔に可視化されているのではないか。
「はあ……ホント、何やってんだろうな。俺」
とっくの昔に性根は枯れ果て、一切合切を絶望するその価値観が、こんなにも呆気なく打破されるなんて。
(もう一度、考えを改めて見るべきだな)
自分を取り囲む『化け物』も、自分自身も、……あと、ついでにあの愉快犯のことも。
どこか晴れやかな表情でガバルドは緩やかにUターンし、嘆息しながらすすり泣く少年の元へと向かおうとした瞬間。
「――ッッッ!!??」
悪寒。
なんだ、これは。
本能的な嫌悪感、培ってきた豊富な戦闘経験がけたましく鳴らすアラート、吐き気さえよだつ痛烈な気配。
「おいガキ! さっさと逃げろ!」
「えっ、えっ」
どうやらまだこの異様な気配を感じ取ることができないようで、震えながら頭上に疑問符を浮かべる少年へ怒声を張る。
「――いいから早く‼」
「――っ。う、うんっ」
有無を言わせぬガバルドの強気な態度に目を剥きながらも、その剣幕に恐れ、渋々ながらも父親を背負って戦線離脱する少年。
(ったく、普通死体なんて持っていくかよっ)
そんなんじゃこれから先逃げ切れるか分からないぞと、そう内心で忠言を申しながら、静にガバルドは鞘から刀身を露出させる。
そして――、
「――来いよ、害獣」
「――ッッッ!!!」
ガバルドの呼びかけに応じるようにして、なんら前触れもなく廃墟が地震でも起こったように揺れ渡った。
それと同時に轟く咆哮。
それが、紛うことなき純然たる獣のモノで。
「……半魔獣、半人間っていう塩梅だったのかよ」
そう一人その異様に呆れ果てながらも考察するガバルド。
そんな彼を見下ろすのは、異形という概念を可視化してしまったような、そんな禍々しく身の毛がよだつ生物である。
否、これは生物などではない。
これまで出現した龍たちは、醜悪かつ粗雑な印象を抱くような存在であったが、最低限の秩序はあった。
だが、これはどうだろうか。
知性と理性を投げ捨て、ただただ本能のままに轟音を響かせるこの存在を。
「――――」
それは、怨嗟と殺意にまみれたおどおどしい眼差しでガバルドを睥睨し、そして――、
「――コ ロス」
「やってみろよ、三下」
直後、瞼を焼き尽くすような極光が燦然と煌めき、廃墟を存分に蹂躙していった。
お暇つぶしで三章あたりの『赫狼』というサブタイトルのお話をもう一度リメイクしました。
ちなみに終盤は面倒くさくなって投げましたよ。どうしてこうなったていいたくなる惨状になっておりますん。
追記ですが、明日は二話更新します。
一話は通常通りで、もう一歩はIFでも書こうかなと思います。まあでもIFなまだ書いてないのいで、八時くらいに更新すると思いますよ。




